玄関が開く音がした。時計を見ると夕方。おそらくセタンタが帰ってきたのだろう。エミヤは微笑むと、眼鏡を取ってちゃぶ台に置いた。きっとセタンタは一直線にここへやってくるはずだ。
セタンタまっしぐら。
以前誰かが言っていた冗談を思いだしてふ、と噴きだしたエミヤの目の前で、すぱん!と音を立てて襖が開いた。
「ああ、セタンタ」
おかえり、と言おうとしたエミヤはセタンタの顔を見て目を丸くした。手にしたペンが落ちる。セタンタはなんというかこう、言葉では言い表せないような顔をしていた。地獄の釜を覗いてきたような顔だ。
「セタンタ?」
「エミヤ」
いつもなら弾ける笑顔を見せてくれるのに。心配になったエミヤは、その頭を撫でようと手を伸ばす。すると赤い瞳が潤んだ。
エミヤはぎょっとする。
「エミヤ!」
どうした、と聞こうとする前に飛びつかれて戸惑う。子供特有の高い体温。それが興奮状態にあるからか普段よりも熱かった。さらさらした肌は少し汗ばんでいた。やはり、具合が?
「セタンタ……」
「エミヤ、オレ、病気なのかもしれない」
「!」
思わず抱きしめてしまった体は熱い。すがりついてくるのを名残惜しく思いながら引き剥がし、額に手を当ててみる。……熱は、ない。舌や喉を見てみようか?いや、素人では限度がある。病院に連れていくべきか……その前に症状を聞いておこう。なるべく詳しくだ。
そう考えたエミヤは正座した姿勢のまま、不安そうに立っているセタンタの肩を掴む手に力をこめた。もちろん、セタンタが痛がらない程度に。
「どうしたセタンタ? どこが痛い? どこが苦しい? 言ってみろ」
するとセタンタはふるふると首を振って口を開いた。
「そういうんじゃない」
「……と、いうと?」
「なんか体が熱くて……関節がぎしぎしいう」
「そうか……」
風邪の前兆だろうか。最近、風呂上りに冷たい牛乳を飲ませたり深夜起きていさせたりしたから―――――エミヤは自分の所業を悔いた。
頭を撫でてやろうとして、気づく。
首をかしげて問うた。
「セタンタ」
「ん?」
「君、最近背が伸びたか?」
不思議そうな顔をしたセタンタは、きょろきょろと意味なくあたりを見回してみる。あ、と口を開いた。
「まわりがちっちゃいぞエミヤ!」
「ああ。それはまわりが縮んだのではなく……君が成長したのだろう」
不思議の国のアリスはケーキを食べて家を壊すほど大きくなったというが。
そこまでではないにしても、セタンタも最近よく食事を摂るようになった。セイバーには敵わないが。
兄と競うように茶碗を出して、炊飯器の中を空にしていた。食欲の秋といっても、と苦笑していたエミヤだったがこんな結果になるとは。けれどこの大切な存在の成長は純粋にうれしい。エミヤは微笑むと、えらいぞ、とささやいた。
前よりも少し高い位置にある頭を撫でてやりながら。
「えらいぞ、セタンタ。大きくなった」
「本当に!? オレえらい? えらい? エミヤ!」
「ああ、えらい」
「わあい!」
両腕を振り回しながらエミヤのまわりを走り回るセタンタの様子は微笑ましく、エミヤは微笑まずにいられない。肩を揺らしてくすくすと笑っていると、不意に開け放たれた襖の方から気配がした。
「―――――誰だ!」
エミヤは構える。セタンタはぽかんとしていたが、すぐに顔を引き締めた。
「……兄貴」
「誰が呼んだか冬木の猛犬参上だ。待たせたな」
「待ってねえ! 帰れ!」
「オレはエミヤに言ってんだよ、なあエミヤ」
「あ……うん? うん。どうかしたのか?」
「エミヤ!」
「おいおい、つれねえなあ……」
襖に寄りかかり、片足を上げた格好で決めポーズを取っていたのはセタンタの兄、ランサーだった。いつもならば叱咤する役目のはずのエミヤだったが、実はヒーローもの好きでその登場に見惚れてしまい言葉を忘れてしまった。おかげでセタンタにつっこみを入れられる。
「まあいい。おいガキ、おまえどうやら成長期らしいな」
「そうなんだランサー、喜ばしいことだ。君も一緒に祝い……」
「エミヤよ。知ってるか?」
「……なにをだろうか」
「小学生で成長期が来るとな……」
に、とランサーは指を立てて笑った。
「ぐんぐんそこで伸びるが、本番の中学生高校生になるとぴたりと成長が止まるらしい」
「!?」
セタンタは目を見開いた。しっぽがびよん、と逆立つ。
「マジでか!」
「マジでだ」
「……マジで?」
「オレがおまえに嘘をついたことがあったか?」
「めちゃめちゃある」
真顔で断言してから、セタンタはぱっと必死な顔になってエミヤの袖を掴む。しっぽはうなだれて、きゅんきゅんと鼻を鳴らす音が聞こえてきそうな気がした。
「なあ、エミヤ、本当か!?」
「あ……いや、その、私は高校に入ってから成長期が来たもので……よくわからないんだ、済まない」
「エミヤにも知らないことがあったのか……!」
「私は万能ではない……済まない」
「エミヤが謝るな! 謝っちゃだめだ!」
首っ玉にしがみついて、セタンタは叫ぶ。その声は必死で真摯だった。
「オレ、負けないからな! 成長期なんかに負けない! 絶対兄貴よりもエミヤよりもでかくなって、オレがエミヤを守るんだ!」
エミヤはその背中を叩きながら、本当に面白そうに笑うランサーの顔を見た。犬歯が覗いて、悪い顔で。そっとエミヤは嘆息する。
※間違った形でセタンタのステータス情報が更新されました。



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