セタンタが静かだ。
膝を抱えて揺れながら、心なしか下を向いて黙りこんでいる。
エミヤはペンを持つ手を止めて首をかしげた。
セタンタのことだ。何か、悩みがあるのならばすぐにエミヤに話すだろう。それがこうして長らくの無言、ということは、話したくない事情でもあるのだろうか。
あっけらかんとしたようなセタンタだが、意外と繊細なところもある。
だから。
エミヤは再びペンを動かしだす。セタンタの様子を気にしつつ。
やがて仕事が終わり、昼食の時間になった。今日はうどんにでもしようかと思い、エミヤはセタンタに伺いを立ててみる。
「セタンタ?」
「…………」
「今日の昼食はうどんにしようと思うのだが、どうだろう」
「…………」
青い頭が小さくうなずくのが見えた。
そのうなずき方にもいやに覇気というか、そういうものがない。魂が抜けたようなありさまだ。
「セタンタ」
さすがに放っておいてはいけないと思って、エミヤは立ち上がる。
そうして、座っているセタンタの正面に回りこむようにしゃがみこんだ。
「どうした? セタンタ」
「…………」
「何か、話したいことでも?」
「…………」
「それとも、私には話せないかな?」
「ちが……っ!」
大きな声を上げてセタンタが顔を上げる。と、その顔が一気に歪んだ。泣きそうな表情になるセタンタ。
「―――――ってえ……!」
エミヤは、目を丸くした。


「唇が裂けた」
それは静かにもなるだろう、とエミヤはため息をついた。冬の乾燥した時期は特にそうなりやすい。対策のためにリップクリームを持たせてはあったのだが、つい先日なくなってしまったのだという。
「なら、買いに……」
言いかけて、思いだした。セタンタの使っているリップクリームを唯一売っているドラッグストアが、今日は閉店だったことを。
合わないものを使わせても悪化するだけだろう。
「はちみつやバターを塗るという手もあるが」
エミヤは、ぱっと顔を輝かせたセタンタを見て苦笑する。
「……舐めてしまうな。君なら」
ホットケーキの大好きなセタンタ。きっとすぐにぺろりと舐めてしまうことだろう。それでは意味がない。
舐めると、唇は余計に荒れてしまう。
「それにしても…………」
それにしても?
「…………よく、頑張った」
なんだかふさわしくない気がしたけれども、そう言っておいた。青い頭を撫でる。
エミヤエミヤと飛び跳ねるように喋って、はしゃいで、笑うセタンタには今までの沈黙は辛かったことだろう。話したかったこともたくさんあったことだろう。
昼食のうどんを向かい合って食べながら、エミヤは思った。
ぬるめのうどん。あまり、裂けた唇に障らないように。
「……ああ」
思いついたようにぽん、と手を叩いたエミヤを、セタンタがうどんをすすりながら見やる。
「柳桐寺の」
ぶんぶんぶんぶんぶん。
「……まだ何も言っていないのだが……」
「魔女はやだ!」
唇が裂けないようにあくまでも小声で叫ぶセタンタ。そうか、そんなに嫌なのか……。
キャスターに頼んで軟膏でも作ってもらえばよく効くだろうかと思ったのだが。
柳桐寺の魔女と呼ばれる若奥様、キャスターこと葛木メディアの作る薬は効果抜群だがとにかく見た目が悪い。飲み薬だと味も悪い。
セタンタはそれを心底嫌っている。
「真っ黒い、泥みたいなのなんだ……」
やだ、絶対やだとつぶやきながら箸を握りしめるセタンタ。真顔だ。とことん嫌らしい。
「明日になれば店が開くのだがな……」
なんとなく、エミヤまでもセタンタにつられてぼそぼそとした喋り方になる。ぽつり、とエミヤは正直な思いを述べた。
「それまで、君の笑顔を見れないというのは、さびしいものだ」
「!」
しっぽが。
びょいん、と逆立った。
「……エミヤ?」
「うん?」
「さびしい、のか?」
「ああ……さびしいな」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……魔女の薬って、すぐ効くのかな」
「セタンタ」
しぶしぶ、といった様子でつぶやいたセタンタに、エミヤは表情を明るくした。
「セタンタ、それでは」
「エミヤのためだぞ! エミヤのためなんだからな!」
あくまで小声の主張にうんうんとうなずいて、エミヤは黒電話のあるところまで歩いていった。柳桐寺にダイヤルする。
ふてくされたような、うれしそうな複雑なセタンタの表情にくすりと笑い声を上げたところで、ちょうど回線がつながった。


結果。
キャスターの作った軟膏はコールタールのようだったが。
とてもよく効いて、エミヤに常用を考えさせたほどだという。もちろんセタンタは必死になって止めたけれど。



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