昨日のキャスターの軟膏が劇的に効いたのか、セタンタはよく喋り、笑い、飛び跳ねた。
リップクリームを買いに行って、ついでに買い物もして戻ってきたときもそれはまあ元気のいいこと、元気のいいこと。セタンタ、セタンタ。なに見て跳ねる?
ではないけれど。
まさにそんなハッスルっぷりだった。
「セタンタ、そんなにはしゃぐとまた唇が裂けるぞ?」
冗談めかしてエミヤが言ってもふふんと鼻を鳴らして、
「平気だ!」
ときた。リップクリームを塗った上からさらに厚塗りして笑う。これであんぜんだ、と。力の入った様子で。
スーパーで試食したときもやたらと大きく口を開けて食べていたっけ、とエミヤは苦笑する。それで、美味い!なんてにこにこ笑って。
だから今日の夕飯はすき焼きだ。肉はたくさん買った。
「冬は鍋もいいけど」
帰り道、手をつないでエミヤを見上げながらセタンタは言った。
はつらつとして。
「すき焼きもいいよな!」
あったかくて、甘くって、卵がとろり。
うんうんとひとりうなずくセタンタ。オレしゃぶしゃぶより断然すき焼き派だなんて贅沢なことを言うから、こつんとその青い頭を軽く叩いてやった。するとぺろっとセタンタは舌を出す。
いて、なんて言うけどまったく力をこめてなんていない。ほら、その証拠にセタンタは楽しそうに笑っているではないか。
「ただいまー」
からからと音を立てて玄関を開けると、いつもはぴゃっと迎えに飛びだしてくるはずのこねこさんが来ない。
「?」
ふたり、不思議に思って足元を見てみれば。
見慣れた靴がそろえてあった。
とたんセタンタが赤い瞳を光らせ、
「兄貴!」
叫んだ。
早くエミヤ早く、とでもいうかのように地団太を踏んで急かすが、手は離さない。……この辺がセタンタなのだろう。やはり。
手をつないだまま居間へと駆けこめば、やはりそこには予想通りランサーがいた。
「よお」
炬燵に入ってこねこさんの喉をくすぐっている。こねこさんはごろごろと喉を鳴らしてうっとりだ。なかなか他人に懐かないこねこさんだったが、よく通ってくるランサーにはすぐに懐いた。彼はこの家の者だ、とこねこさんは思ったのだろう。
とはエミヤの言である。
「ずいぶんと長い買い物じゃねえか。待ちくたびれたぜ、エミヤ」
「あ? ああ……、済まない」
「エミヤちがうぞ! そこは謝るところじゃねえ!」
「まったくよ、合鍵持ってなかったら外で締めだされてるところだったじゃねえか、なあ?」
喉をくすぐりながらこねこさんに語りかけるランサーに、エミヤが言う。
「それなら護衛の誰かに言って―――――」
「合鍵!? 兄貴そんなの持ってたのか!」
「ああ、持ってるぜ」
その答えに、むーっと眉を寄せたセタンタは振り返って叫ぶ。全身を使って。
「だめだエミヤ! 変質者に合鍵なんて持たせちゃっ」
「よし、喧嘩売ってんだな? オレの攻撃範囲内でうかつなことを言えば……わかってるよな」
「いててててて!」
アイアンクロー。
絞めつけながらぶらんとセタンタを宙に浮かせて、にこにこ笑うランサー。このにこにこ、が曲者だ。
「せっかく土産も買ってきてやったのによ、その言い草はなんだ?」
「いててて、ちょ、やめろってば、バカ兄貴、いてえよ!」
「よーしお兄ちゃんもっと頑張っちゃうぞー」
「がんばらなくていい!」
「じゃあ言うことがあんだろ」
「…………い」
「聞こえねえぞ」
「ごめんなさい!」
「よし」
ぽてん、だなんて気楽な音を立てて畳の上に落とされたセタンタは安全圏、エミヤの傍へと駆け寄る。エミヤは慌ててそれを保護した。ぎゅうと抱きしめて、ランサーをきつく睨みつける。
「ランサー!」
「へいへいオレが悪うござんしたよ」
「…………子供に向かって君は…………」
「だってよ、土産だって買ってきたのにしょっぱなから変質者扱いじゃ頭にだって来るじゃねえか」
なあそうだろ?と炬燵板にこてんと頭を乗せてつぶやくランサー。冬木の子犬の兄は、猛犬のあだ名の割に実は上目遣いも、上手い。
エミヤはぐっと続けようとした言葉を呑んだが、袖を握りしめてくる小さな手に再び、
「それでも! 子供に暴力をふるうのはよくないことだ! わかったかね、ランサー!」
「……ちえ」
泣き落とし失敗か、なんてけろりとした様で言ってランサーは顔を上げて顎で台所の方を指す。
「電子レンジの中に入ってるぜ」
「え?」
「土産だよ。ちっと冷めてるだろうが、食えないもんでもねえだろ」
詫びの印だ、そう言って笑うランサーにセタンタとエミヤは顔を見合わせる。
「兄貴は?」
「オレは美味いうちに食った」
「ずりい……!」
「おまえらがさっさと帰ってこねえからだよ」
にやりと、ああ、これが本来のランサーの笑い方だ。にやりと笑って言って、ランサーは目を閉じた。
しばらく眠るつもりなのだろう。
こら、炬燵で寝ると―――――そういつものように言うエミヤの声を聞きながら、セタンタは駆け寄ってきたこねこさんの喉をごろごろと鳴らしたのだった。



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