くつくつと鍋が音を立てる。
台所中が香辛料の匂い。
セタンタはそれを胸いっぱいに吸いこむと、しっぽを振った。ぶんぶん振った。そりゃあもう、勢いよく。
あたたかそうな靴下を履いた足元にはこねこさんがいて、不思議そうにそんなセタンタを見ていた。細い声で鳴いてみせるがセタンタは匂いとそれを発する鍋に夢中で気づきやしない。
だから、ランサーがひょいと抱き上げてごろごろと喉を鳴らさせた。
「セタンタは中辛でも大丈夫だったか?」
「ん! だいじょぶだ!」
おたまで鍋の中味をかきまぜていたエミヤが振り返って問う。それに力をこめて答えたセタンタは、目を輝かせてエミヤを見つめる。
そこに、兄のチョップが炸裂。
「いて」
軽い一撃に振り返れば、こねこさんを無造作に抱いたまま火のついていない煙草をくわえたランサーの姿。
つい先日までの着物モード解除でいつもどおり柄が悪い。安心の柄の悪さだ。
「なんで殴るんだよ!」
「殴ってねえ。チョップだ。ていうかなんなんだてめえのその楽しみにしっぷりは、イエローかおまえ」
「いえろー?」
首をかしげるセタンタ。鍋をかき回しながらエミヤ。
「カレー好き=イエローの図式はセタンタの世代ではわからんだろう、ランサー」
「ああそうか、ガキにはわからねえよな、ガキには」
「ガキガキいうなっ! ……エミヤ、それって大切なことか?」
兄に対する態度とは打って変わって真剣な顔つきで眉根を寄せて聞いてくるセタンタに、エミヤは苦笑する。古い戦隊物のお約束など、知らなくとも良いことなのに。
心配そうな気配を漂わせる、その青い頭をくりくりと撫でてエミヤはそっと首を振ってみせた。いいや、と。
「いいやセタンタ。大丈夫だ」
「本当か?」
「私が君に嘘をついたことが?」
もはや取り決めのようになったやり取りを交わす。こう言えば、セタンタは笑ってはつらつと言うのだ。
エミヤの愛する笑顔で。
「ないっ!」
太陽のような笑顔には思わず微笑んでしまう。
にこにこと笑い合っていると、ランサーがいつのまにかエミヤの肩を抱いていた。
その手にはおたま。
「ラ、」
ンサー、と制止しようとしたが遅かった。くい、とそのまますくった鍋の中味、カレールウをランサーは口にしてしまう。
おたまから直に。
「こら! 行儀が悪いぞランサー!」
「ん、美味い。だけどよ、もうちょっと辛くてもいいんじゃねえのか」
「セタンタのことも考えたまえ! そうでなくとも子供にあまり辛いものは与えない方がいいのだからな、ランサー?」
「オレ子供じゃないぞエミヤ!」
ぴょんぴょんと跳ねるセタンタ。エプロンの紐を引かれて、むっすりとしかめっ面をされるとエミヤは弱い。
だが彼が謝ろうとしたとたんランサーが前に出て、セタンタの顔を片手で掴む。
大きな手にまるっきり視界を遮られてしまって、セタンタは地団太を踏んだ。文句も自然と不明瞭になる。
「威勢はいいが、それだけだな」
「―――――ッ!」
「あ? なんだって? もっとはっきり喋れよ」
「! …………ッ! …………!」
「ランサー!」
窒息死してしまう。
慌てたエミヤは力づくでランサーを引きはがすと、セタンタを救出した。さすが寮母、否、命に代えてもセタンタを救う教育係。
こういうときには計り知れないパワーが出るのだろう。
おお、偉大なる母よ。ママン、ママンレーヌ。
「……ぷは!」
大きく息を吐いてー。
深呼吸ー。
「しぬかとおもった……っ」
「私がいる限り君をそんな目に遭わせるものか。どんなことが起きようと、命に代えても君を守ろう、セタンタ」
「エミヤ……っ、だめだ! エミヤはオレが守るんだ!」
美しい抱擁の向こう側で、ランサーがまたカレーをおたまから直接飲んでいる。そう、飲んでいるのだ。ぐびりと。
そうして舌なめずりをして、「やっぱり、も少し辛れえ方がなあ……」などとつぶやいたりしている。
異様な光景だった。
「あ、ランサー! そう欲張るものではないぞ、夕飯の分がなくなってしまうからな!」
セタンタを抱擁したまま、エミヤが叫ぶ。それにへいへいと空返事を返して、ランサーはまたカレーを飲んだ。
ぐびぐびり。
一月五日。
おせちなどにも飽き、そろそろ庶民の味が恋しくなる頃の夕方だった。



back.