今日はひなまつりだ。
はっきり言って女っけゼロのこの邸宅には関係ないことなのだが、それでもセタンタはうきうきと帰路を行く。
帰ったって別に雛壇が飾ってあるわけじゃなし、ひなまつりの歌を歌ってパーティーをするわけでもない。それでもセタンタはうきうきと坂道を下る。
「エミヤ!」
玄関をがらりと開けて元気よく叫べば、それに反応する気配が台所からした。
うん、今年もまた。
靴を脱いでぱたぱたと駆けていくと、おかえりなさい坊ちゃんと護衛が声をかけてくる。いつもの光景、でも今日は特別。
「ただいまエミヤ!」
台所に行く前に手を洗ってから駆けこむと、案の定エミヤはそこにいた。エプロンをして立ち、なにか細かい作業をしている。だけど、セタンタの声を聞いて手を止めて顔を上げて、
「おかえり、セタンタ」
そう、笑ってくれた。
うずうずと体が震え、しっぽもぶんぶん振られるが、飛びついてはいけない。だってそれでは、エミヤの努力がだいなしになってしまうから。静かに静かに、でも早足で近づいていくと、背伸びをしてセタンタはエミヤの手元を見る。
「わあ……!」
うずらの卵にゴマやショウガで描かれた顔。体は三角おにぎりで、ふんわりと薄い卵と海苔などの着物を着てすでにスタンバイしている。
今日はひなまつり、女の子の祭りだけどそんなことは関係ない。
なにかイベントごとがあるときはエミヤは必ずこうして特別な料理を作ってくれる。セタンタはそれがとてもうれしく、素晴らしいことだと思っている。
「エミヤ、やっぱりすげえ!」
だから声を大きくして賞賛する。頬を赤くして。
エミヤはセタンタの自慢の家族で、恋人だ。胸を張って誰にも負けないと言える。だってエミヤはすごいのだから。
「ありがとう」
微笑むとエミヤは冷蔵庫を指してささやく。
「開けて、一番下の段を見てみるといい」
目を丸くするセタンタ。首をかしげて、なんだろう?と思いつつその言葉に従う。するとそこには。
「今日は金魚の日、とも言うらしい。なので作ってみたのだが、どうだろう?」
セタンタは目をぱちくりさせて、その場を動けない。セタンタ釘付け、である。
透明な寒天の中に泳ぐ小さな金魚。なんて言っていいのかわからないけれど、とても、きれいだ。
言葉にするのは難しい。だから、一番心に強く思った、簡単な言葉を口にした。
「すげえ……!」
あまりにもつたない表現だったけど、エミヤはそうか、と満足そうに微笑んでくれた。
「君が喜んでくれると、私もうれしいよ」
「あ、あ、それ、オレも! オレもエミヤが笑ってくれたり喜んでくれたりすると、すっごくうれしい!」
「では、同じだな」
「うん!」
おんなじだ、とぐんっとうなずいて両方のこぶしを握りしめると、セタンタは満面の笑みを浮かべた。
「夜になったら食べよう」
「うん!」
やはり満面の笑みで返してふと上を見上げてみると、三角おにぎりは全部でお雛さま・お内裏さまのセットかけることの三つある。
あれこれはもしかして。
「バカ兄貴の気配が……」
「おー、よくわかったじゃねえか」
一等賞の子には賞品をあげましょう〜と棒読み気味な声がしたかと思うと、ぐりっ、と。
「いてててててて!」
「ランサー!」
さわやかな笑顔で両のこぶしをセタンタのこめかみにぐりぐりしながら、ランサーはようエミヤ、といつもの調子で挨拶をした。
「やめないか!」
「スキンシップだよ、スキンシップ」
「君のスキンシップは極端すぎる!」
うずらの卵をまな板の上に置いて、エミヤはエプロンで拭った手でランサーの腕を掴んだ。とたんにぱっと降参、とでもいうかのように手を開き、ランサーはセタンタを解放した。
「暴力兄貴……!」
「だからスキンシップだっつってるだろうが」
エミヤの後ろに回りこんだセタンタが睨みつけるが、ランサーはどこ吹く風。ジーンズのポケットを探り、見つけたものをエミヤの手に預けた。
「ほらよ」
「……? なんだね、これは」
「あー、おまえに土産」
その言葉を受けてごそごそとエミヤは包みを開ける。
「今日は耳の日だっていうからよ」
出てきた高級そうな耳かきに目を丸くしているエミヤに向かって、ランサーは口端を上げて笑った。
「飯食った後でいいから、耳かきしてくれよ。おまえ得意だろ?」
笑顔のまま顔を近づけるランサーの足元でぴょんぴょんセタンタが跳ねる。
「ずりい! ずっりい、兄貴だけ!」
「オレが買ってきたもんだ、おまえは黙ってろ」
「ぼうじゃくぶじんー!」
わいわいと騒がしい様を見て、エミヤはいまだ目を丸くしていたが。
「エミヤ?」
小さく噴きだして肩を揺らしだしたエミヤに、兄弟の高低の声がそろう。視線を受け止めて、エミヤは目を細めて口元に手を当てた。
「まったく、仕方ないな君たちは……」


その夜。
夕食の後、交代に膝枕で耳掃除をしてもらった兄弟はえらく機嫌がよかったという。



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