今日は春分の日だ。
だから学校は休みなのだけど、セタンタはいつものくせで早起きをしてしまった。
いや、早起き自体は悪くない。悪くないのだ。だってエミヤだって早起きだし、「はやねはやおき」はとても大事だと教わっている。
だけどなんとなくあれかな、もったいないかな、と人差し指を唇に当ててセタンタは思った。その次の瞬間大きなあくびをひとつ、もらして。
「おはよう、セタンタ」
寝巻きのまま目をこすりつつ居間へ行けば、すでに着替えたエミヤが座って新聞を読んでいた。にこり、と微笑まれ胸がきゅんとする。えへ、と笑ってセタンタは小走りにエミヤの元へと駆け寄った。
「おはよう、エミヤ!」
元気に声を張って挨拶。するとエミヤは少し驚いたように目を丸くして、それからまた微笑んでくれた。
「朝から元気がいいことだ」
「うん、オレ元気!」
だってエミヤがいるんだもんと浮かれた調子で言ってセタンタはエミヤに抱きついた。こねこさんのようにすりすりとなつく。エミヤはこら、と言いながらも寝ぐせのついたセタンタの頭を撫でてくれた。やさしいエミヤ。かわいいエミヤ。だいすきだ、とセタンタは思う。
エミヤは春のようにあたたかくてやさしいのだ。
「ん?」
がさがさと音がするので不思議に思ってセタンタが見てみると、放りだされた新聞にこねこさんがじゃれついていた。こねこさんは新聞やビニール袋が大好きだ。どうしてなのかセタンタにはわからないけれど、大好きなのだ。
それはたぶんきっとエミヤをセタンタが無条件に好きなのと同じ理由だと思う。うん、とセタンタはうなずいて、納得した。
「こねこさん、それはまだ全部読んでいないから破いては駄目だぞ」
そう言ってこねこさんから新聞を(やさしく)取り上げると、エミヤは新聞立てから古い新聞を取りだしてきた。こねこさん用に広げてやる。
しょんぼりとした様子だったこねこさんは、目を輝かせると再び新聞と格闘しだした。セタンタはおかしくなって笑う。
「セタンタ、顔を洗ってくるといい。朝食の準備はもう出来ているから」
「うん!」
大きくうなずいて、セタンタは洗面所へと向かった。空色のタオルがセタンタ用のタオルだ。
もう冷たくない水で顔を洗ってぷは、と息をつく。それから顔を拭いてまたぷは、と息をつく。エミヤが洗ってくれたタオルはいい匂いがしてふわふわだ。
エミヤの作る甘い卵焼きみたいに。
思い返しでれっと笑うと、セタンタは急いで居間に戻った。ちゃぶ台の上に準備がしてある。台所の方からは味噌汁の匂いが漂ってきて、朝だな、という感じがした。
「卵焼き!」
正座して、台所から出てきたエミヤに言うとエミヤはうん、とうなずいてセタンタの前に白米がよそわれた茶碗と味噌汁の入ったお椀を出した。そして、ことん、と。
「…………! ! !」
セタンタはさっきのこねこさんのように目を輝かせてしっぽをびょいんと逆立てた。卵焼き。卵焼き。卵焼き卵焼き卵焼き!
毎日食べているけど、いつもこの瞬間はうれしくてたまらない。
エミヤは自分の分も用意して、セタンタの前に正座する。
ふたりそろって。
「いただきます」
「いただきます!」
まっさきに卵焼きを口に入れて、とろけた顔になるセタンタ。これだ。これがエミヤの卵焼き。
家庭科の調理実習でセタンタも挑戦したことがあるがあんまり上手く作れなかった。なんでエミヤはこんなに上手く作れるんだろう、とセタンタは首をかしげたものだ。
まあ、だけどセタンタはエミヤとずっと一緒だから、別に作れなくたってかまわないのだけど。
エミヤが作ってくれるんだから、セタンタは作れなくたってかまわないのだ。
もちろんその代わりに、セタンタは出来ることはきちんとやるけど。
出来るのにやらない、兄とは違うから。
「なんでかなあ」
「うん?」
「あ、なんでもない!」
テレビではニュースが流れている。今日は春分の日です、昼と夜の長さが同じになる日です。
へえとセタンタは思って、覚えておこうと思った。新しいことがあるとセタンタはいつも覚えておこうとする。たくさんいろんなことを知って、立派な大人になるのだ。そうしてエミヤを幸せにする。そう、セタンタは決めた。
セタンタはちろりと上目遣いでエミヤを見る。味噌汁をすするエミヤ。
(きれいだなあ)
世間一般では“のろけ”というらしいそれを頭の中に思い浮かべて、セタンタは同じく味噌汁をすすろうとして熱かったそれで舌を火傷した。



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