「カーネーション一輪くださいっ!」
商店街。
中ほどの花屋で高々と声を張り上げる某邸宅の次期当主様、セタンタの姿があった。
長い髪をゆったりとひとつにまとめた店番の女性は少し目を丸くして、それからくすりと笑う。
「はい、何色にしましょうか? 赤、白、ピンク、オレンジ、ベージュ、ブルー……」
「あ」
もちろん赤、と答えようとしたセタンタは女性の次の言葉に目を見開いてしっぽを逆立てる。
「虹色」
「虹色ッ!?」
赤橙黄色緑青藍紫。
の、虹色?
「ね、ねーちゃん」
「?」
「そ、それ、見せてもらっても、い?」
女性はまた目を少し丸くして、笑ってうなずく。一旦店の奥へと引っこみ、がさがさと音を立てているあいだセタンタはもううずうずのわきわきだ。てのひらでちゃりちゃりと鳴る硬貨。ひっきりなしに音を立てる。
「はい、これですよ」
しばらくして女性が抱えて出てきたものに、セタンタは目と口をぽかんと丸く開けた。
さて、はたしてこれは花なのか。
生花というよりはいつかエミヤと一緒に出かけたときに見た、ファイバーなんとかだとかそういったものによく似ている気がする。針金みたいに細い透明な線で出来ていて、下から光を受けてきらきら輝くのだ。
ショーウィンドウにぴったり額をくっつけて見入っていたセタンタに、エミヤは忍び笑いをしていたっけ。
確か冬の話だ。
思い出に浸っていたセタンタは、はっと我に返る。そうして、おそるおそる女性に聞いてみた。
何をって?
「ありがとうございました」
セタンタはきれいにラッピングされた赤いカーネーションを受け取った。こころなしかそのしっぽはしょんもりしている。
それを見て、店員の女性は困ったように首をかしげる。
「ごめんなさいね。これは、ここに入荷したのが不思議なくらい珍しい種類みたいで……その分、お値段の方も」
「いいんだ」
セタンタの手に握られていたのは五百円玉硬貨。虹色のカーネーション、一本八百四十円也。
もちろんセタンタは毎月小遣いをもらっている。その量は決して少なくはない。だが、セタンタはそれを使って今回のカーネーションを手に入れたくはなかった。この五百円玉は、手伝いなどをして地道に手に入れたものである。買い物や掃除、洗い物その他諸々。
勘違いしてほしくないのは、エミヤから得たものではない。エミヤに対する手伝いは当然の行為である。いつも自分たちのために働いてくれているのだから、それを手伝う等価として何かを得るのは違うとセタンタは思う。
それでは誰からかというと、セイバーやライダー、桜からなどである。
それや街の商店街のおじちゃんおばちゃんたちだとか。一回十円くらいで地道にこつこつ溜めてきた。そうしてガラス瓶に入れて部屋の机の上に置いておいたのだ。
「オレ、もともと、赤いの買うつもりで来たし、」
しっぽがゆるゆると起き上がってくる。
「その虹色の、すげえきれいだけど、なんか、エミヤには違うかなって、」
ゆるゆると。
「だから!」
叫ぶと、しっぽは完全に逆立った。女性が目を見開く。そんな彼女に向かってセタンタは胸に赤いカーネーションをぎゅっと抱き叫んだ。
「だから、オレ、これでいい! あっ、ちがっ、これがいい!」
しっぽがぶんぶんと振られている。女性はぱちぱちと瞠目している。しん、としばらく沈黙が落ちた。
「……うん」
そっと頭の上に手を置かれたセタンタは、上目遣いでその手の主を見た。女性はにっこりと笑ってセタンタの頭を何度か撫でて、ささやく。
「それでいいんだと思うよ」
セタンタは女性の顔を見ていたが、
「ん!」
太陽のような笑みを浮かべると、大きくうなずいたのだった。


「……うわっ」
女性と別れて、通常の三倍のスピードで走って家に帰ったセタンタは、玄関に入るなりぎょっとした。
「ああ、セタンタ」
それを苦笑しながら歩いてきたエミヤが出迎える。
「エミヤ……これ?」
「ああ。その……うん。おそらく、君の予想した通りだよ」
カーネーションカーネーションカーネーションカーネーションカーネーションカーネーションカーネーションカーネーションリインカーネーション、いや最後のは違う。
真っ赤に咲き誇るカーネーションがありとあらゆる花瓶を総動員され家中に活けられていた。ええいここはバラ園もといカーネーション園か、というくらいに。
「おっちゃんたち……」
やりすぎ、とさすがにセタンタも呆れたようにぼやいた。とたんエミヤが眉を寄せて笑ったのはきっと同意の印だろう。
邸宅の寮母。母なる存在、エミヤ。
家事を一手に担い、次期当主の護衛でありながら教育係という立場であるのに、護衛たちそれぞれへの気配りも忘れないとくれば感謝の気持ちも否応なしに高まるというものだろう。それがあさってへの方向だとしてもだ。
「さすがにこの量だ。家中の花瓶を総動員しても足りず浴槽にも活けさせてもらった。……今日はカーネーション風呂だぞ? セタンタ」
それとカーネーションを使ったレシピを……などと冗談か本気かわからない口調で言うエミヤに、さすがにセタンタも同情して少し笑う。
「おっちゃんたちにも悪気はないんだろうけどなー」
たぶんあれだ。
“故郷恋しさ”“母親のぬくもり”そんなキーワード。それがこの暴走の引き金になったのではないかと。思う。うん、たぶん……。
「今年は母の日が百年目を迎えるということもあるのだろうな」
「え?」
セタンタは顔を上げた。
そんなこと、知らな、い―――――。
「エミヤ……それ、ほん、とに?」
「? ああ、そうだよ。だからかな。例年にも増して関連商品も溢れているようだ」
ぱちぱちぱち、とセタンタはまばたきをした。胸の中のカーネーションをぎゅうと抱きしめる。ピンクのリボンが、くしゃりと歪んだ。
「知らなかった」
呆然とつぶやくセタンタに、エミヤが怪訝そうな顔と声を向ける。
「セタンタ?」
「オレ、そんなの知らなかった」
ぱちぱちぱち、とまばたき。
「だったら」
つぶやく。
「だったら、オレ―――――」
もっと頑張って。
もっと頑張って、もっと特別なものをエミヤに―――――。
ぽす。
「!?」
普段のように。
いや、普段よりも強めに頭に大きな手が置かれ、セタンタは思わずつんのめる。次いで体勢を整える間もなくわしわしわしわし、と頭を掻き乱されセタンタはただされるがままになるしかなかった。
「えみや?」
思わずひらがな発音になってしまった声で問いかけると、


「君のくれる物ならば、私はどんな物の中に紛れようとも見つけられるというのに、君ときたら」
ふう、と嘆息がついてきた。
「え?」
まだ調子を取り戻せずにいると、エミヤの顔が至近距離に迫っていた。どうやら、顔をのぞきこまれているらしい。
現状把握が上手く行きません。
「私を侮らないでほしい、セタンタ。なんといっても私は―――――」
少々怒ったようなエミヤの顔がふわり、とほころんで。
「君の教育係であり、人曰く母代わりであり、そして恋人、なのだから。…………だろう?」
語尾が自信のないように小さくなっていくのを聞いて、セタンタは思わずその体に飛びついていた。抱きついていた。しがみついていた。 そしてごちんと、エミヤの後頭部が床にぶつかる音がした。


夕飯時、しっぽをぶんぶんと振りながら満面の笑みで白米をかっこむセタンタを見て、ランサーが半眼でつぶやく。
「ニヤニヤしながら飯食ってんじゃねえよ、気味悪いな」
なんとでも言え。セタンタは今、幸せの絶頂期なのである。それでもってしばらく下降する予定はない。
あの後、エミヤを全力で押し倒したセタンタは必死に詫びつつよれよれになってしまったカーネーションをエミヤに手渡した。だけれど飾る場所がないよなあ、と残念に感じ。
当然のように自らの部屋へ向かうエミヤに不思議に思い聞いてみると、
“君からもらう物を飾る場所を、私が用意していないとでも?”
一緒にエミヤの部屋に行けば、真白い花瓶が用意してあった。細身の、それも新品の。しかもエミヤの部屋には他のカーネーションなど、一輪も、なかった。
わーい。
「セタンタ、そんなに急いで食べると喉に詰まる……」
台所から味噌汁を持って出てきたエミヤが言いかけたところで、バッチリのタイミングでセタンタは白米を喉に詰まらせ、エミヤを慌てさせた。ランサーはそれを見て鼻で笑うと、
「ったくよ、ガキはいつまでたってもママの世話がないとやってけねえんだな」
ママ、のところによりいっそうの皮肉をこめて言った兄に、咳きこんで涙目になりながらもセタンタは言う。
「うるせえな! 兄貴なんか、今日、エミヤになんもしてねえくせに!」
その言葉にランサーは虚を突かれたように目を丸くする。それから、
「―――――はあ?」
誰が見ても憎たらしい顔と声音をセットにして、セタンタへと差しだした。
「なんでオレが今日に限ってエミヤになんかしてやんねえとなんねえんだよ。馬鹿かおまえ」
「バカ……バカは兄貴だろ、バカ兄貴ー! 今日は母の日でっ、」
「だから馬鹿かおまえ。エミヤはオレのもんで、おふくろじゃねえよ」
「バカは兄貴だ! エミヤは兄貴のなんかじゃなくオレのでっ、」
「ああ、ったくうるせえな」
実りのない口論を心底面倒くさそうに打ちきると、ランサーは隙あらば兄弟喧嘩を止めようと機会をうかがいつつ配膳をしていたエミヤの顎をとらえて、
「そんじゃまあ、基本的な赤で、な?」
そう言って。
「……………………!」
「……………………!」
合わせた唇を離すと、意地悪く口端で笑い。
「“熱烈な愛”」
いろいろあるが、花言葉のひとつにはそんなもんがあるらしいぜ、と言い放ち、やっぱりわかってたんじゃねえか!としっぽを逆立て飛びかかってきたセタンタの幸せを一気に下降させたのだった。



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