今年の夏はちょっとおかしかった。
最初はちゃんとしていたのだ。夏休みに入る前、入ってから初め、それから途中までは、ちゃんときちんと夏だった。夏をしていた。
だっていうのに。
「兄貴みたいだ」
縁側でふくらませたビニールのビーチボールを抱いて顎を乗せ、セタンタはぶすくれる。独特のにおいのする青と白のビーチボール。夏だからとせっかく用意したのに八月の途中からすっかり出番がない。何でだろう。なんで?
むいむい。
唇を尖らせてセタンタは弾力のあるボールに顎を沈ませる。不満を隠そうともしない。兄貴みたいだ、ともう一度つぶやいた。
「ランサーが何か?」
ちょうど麦茶と羊羹を持ってきたエミヤが不思議そうにたずねる。その声にセタンタは少し気分を上昇させて、それでも不満そうに短いしっぽを振りながら。
「今年、全然暑くなくって夏らしくねえだろ。最初は暑かったけど途中からだれてきて、だから、それが」
「……ランサーのようだ、と?」
「ん」
エミヤは苦笑した。ちゃぶ台の上に盆を置いてセタンタを呼ぶ。セタンタはエミヤに逆らう気はまったくない。ぽん、とぶらぶらやっていた足からサンダルを両方とも放り投げて居間に上がる。去年の夏はフル稼働していた冷房も今ではしんとして、扇風機が置かれているくらいだ。
スイッチは入ってない。
竹の楊枝で水羊羹を切り分けセタンタは頬杖をつく。ちらりと扇風機が置かれているその奥の襖を見た。
そこにしまわれているのは旅行鞄だ。海に、行くはずだった。だから縁側に転がしてきたビーチボールも新しく用意して、エミヤが見繕ってくれた大きな麦わら帽子も一生懸命詰めたのに。ランサーは「古い。田舎じみてる。ださい」と三回も馬鹿にしたがセタンタは無視した。
嘘だ。ちょっと喧嘩した。嘘です。かなり喧嘩をしました。本来の暑さだったらふたりそろって伸びてるんじゃないかと思うくらいどったんばったんと騒がしく。
いつも通りに仲裁したエミヤがため息をつきながら持ちだしてきた話とアルバムでセタンタの機嫌は回復したのだけれど(アルバムには古くて田舎じみてださい、麦わら帽子をかぶって笑っている小さなランサーとエミヤの写真があった)。
エミヤと砂浜で追いかけっこしたり、貝殻を拾ったりしたかった。本で読んだのだ。恋人同士はそうするものだと。
毎年海に行っては泳いでばかりで、他には焼きそばやかき氷を食べたりするばかりのセタンタは目を輝かせたものだ、が、なのに。
「うみ……」
予定していた八月半ばになってから急に暑さは失せて、海行きは中止になってしまった。中途半端なときに行ってもつまらない。
代わりにテーマパークに行ってきたけど夏はやっぱり外で遊びたい。
そして夕食後のデザートはメロンより西瓜がいい、やっぱり。
セタンタはメロンが嫌いなわけじゃないけど、八月にメロンが西瓜の居場所を盗るのはどうかと思う。ランサーのように空気を読まない、とセタンタは思った。メロンとランサーが頭の中でイコールで結ばれる。
エミヤはついにちゃぶ台の上に顎を預けてしまったセタンタを見て眉を寄せ首をかしげた。右手で持っていた麦茶のグラスを置く。
去年よりかなり少なめの氷がからん、と音を立てた。
「過ごしやすいがやはり夏らしくはないな、今年は」
つぶやかれた言葉に無言でセタンタはうなずきを返す。素麺や冷やし中華を全然食べてない。
「君は夏が好きだものな、セタンタ」
「ん。好きだ」
エミヤの方が好きだけれど。
常にセタンタの心の中のランキング第一位にエミヤはいる。揺るがぬ不動のナンバーワンだ。
今年の夏は変な感じで、特に夜はびっくりするくらい涼しかったりするから、眠れないセタンタをエミヤがやさしくうちわで扇いでくれたりすることもない。好きなのに。セタンタの夏の楽しみなのに。毎年かかさず絵日記に書くほど好きなのに、暑い夏の夜に、エミヤにうちわで扇いでもらうのは。
他にも蝉を捕まえに公園に駆けだしてついでにそこらじゅうを走り回って汗だくになって帰り、驚いたエミヤにねだって、一緒に風呂に入ったりだとか。
セタンタはもう小学四年生だからめったに誰かと風呂に入ったりしない。中学年なのである。十歳だ。
だからエミヤと風呂に入るのは特別、なことなのに空気の読めない誰かさんみたいな夏のせいでだいなし。広いエミヤの背中を流したり頭を洗ってやるのがセタンタの楽しみだったのに!
朝六時からのラジオ体操も学校のプールもあんまり楽しくない。行くけど。
「…………」
むー、と唸ったセタンタをエミヤはさらに少し眉を寄せて見る。
好きな相手にはそんな顔をさせたくないけれど。
エミ、呼びかけた名前が次の瞬間セタンタの喉の奥でんがくっく、と詰まった。
「!?」
しっぽと一緒に跳ね上がると、エミヤは半袖のシャツから伸びるセタンタの腕に触っていた指を引いて目を丸くした。
「な、なに?」
「ああ、……いや、済まない。ちょっと、思ったんだ」
「なにを?」
エミヤはひらがな発音になってしまったセタンタを見て、
「せっかくの夏なのに君の肌は相変わらず白いな、と」
言われて見下ろす。
……確かに。夏は八月の真ん中辺りからが本番だ。その前に何だか尻すぼみに終わってしまったのでセタンタの肌は白いままで焼けずにいる。セタンタは日焼けするより赤くなる方で、それもすぐに治ってしまうのだが。
「それが私は好きだから、少し、うれしいよ」
「……!」
淡く微笑んだエミヤに、セタンタは釘付けになった。跳ね上がったしっぽはそのまま。
無言の時がしばらく過ぎる。
「……うれしい?」
「うん?」
「エミヤ、うれしいのか? でもってオレの色の白いとこ、好き?」
「ああ。……ああ、うん」
ああ、と最初で納得し、ああ、ともう一度うなずいて、うん、とエミヤは微笑んだ。
セタンタが好きなカルピスのように甘酸っぱく。
「君のその透けるような白い肌は好んでやまないよ、セタンタ」
「…………」


セタンタはエミヤを見つめると、腰を下ろした。肘をつく。
両側から頬を包みこんで、にっかりと笑った。
「なら、いいや!」
やっぱりエミヤはすごい。
たったひとことでセタンタの憂鬱を吹き飛ばしてしまった。
今年の夏が暑くないからなんて文句はもう言わない、エミヤが笑っていてくれればセタンタはそれでいい。それがいいのだ。
エミヤがうれしそうなら、セタンタだってうれしい。
その夜の絵日記にセタンタはその想いを全部ぶつけた。ぎりぎりになって行が足りなくなって外にはみだしたけど、まあ全然かまわないだろう。



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