「宿題は?」
「うん、全部おわった!」
終わった、というのを力んで発音したためにひらがな発音になる。ちゃぶ台の上に一冊のノートを広げて色鉛筆……24色入り……を握りしめ、中腰で自分を見つめるエミヤをセタンタは見上げた。
そのまま流れるように座ったスラックスの、膝部分が畳に擦れる音を聞きながら言う。
「ドリルも自由研究も全部終わって、あとは絵日記だけだ! ちゃんとできないとだめだからな、兄貴みたいになっちゃいけないんだ」
そうだ。エミヤのようにきちんきちんと。
規則正しくやっているか?と夏休み中に時々、ただし鬱陶しくなく聞いてくれたエミヤのおかげでセタンタの夏休みの宿題は順調にかつきちんと片づいた。兄、ランサーならとぼけて、さぼってほっぽいてしまうのだろうとセタンタは思いうんうんとひとりうなずく。
当主の。この家業のように、である。
その目より少し淡い赤の色鉛筆を手に取りセタンタはぐりぐりノートに描いていく。そんなセタンタの頭を、エミヤがやわらかく撫でた。


「毎年、君はちゃんと自分で宿題を終わらせるな。偉いぞセタンタ」
大きなセタンタの大好きな手が頭を撫でてくる。夏でもどことなく涼しげなエミヤの笑顔を見てしまって手が止まり、セタンタは思わずぽおっとなってしまった。丸く見開かれた目より少し淡い色の赤鉛筆は、夏休み最後の一日を描く途中で止まって、いる。
「エ、エミヤのおかげだ」
「そんなことはない。もらってきた通信簿だって冬より上がっていただろう? ……まあ、下がっていた箇所もあったが。それより私は、担任の先生の言葉がうれしかったよ。あの先生はいい先生だ。あそこに書かれた君の評価は信じて疑いのない評価だと思っている」
セタンタくんはとても元気な子です。
少し元気すぎるところもありますが、友達思いで何事にも一生懸命―――――
相変わらず体育だけが抜きんでてよくて、他は平均的(音楽は上がった!)な通信簿にランサーはいつもの意地悪い笑いを浮かべていたけれど、エミヤはよくやったと言ってやはり今のように頭を撫でてくれたなとセタンタは思いだした。
そして笑ってくれて、あの笑顔を見ただけで頑張った甲斐があった。
好きな相手のいい顔を見る、いい顔をさせるように頑張るのが男のカイショーである。
うんうんとうなずくセタンタの頭の動きにエミヤの手がついてくる。怪訝そうにしながらエミヤは青い頭を撫で続けていた。しばらく。


「今日で夏休みも終わりかあ」
ようやっとステータス・呪縛から解放され止まっていた手を動かしつつセタンタがつぶやく。今度はその頭のように青い色鉛筆を握っていた。
赤と青。かといってセタンタが描いているのは青い空と赤い太陽といった夏休みおなじみの光景ではない。描き終えてからとりあえず、いったん頬杖をついてセタンタは天井を仰いだ。
つぶやく。
「なんか、今年は変な夏で、ちっとも夏! って感じ、しなかったけど」
それでも夏休みだったんだよなあ、と。
「ここ数日雨降って、かと思ったら止んで、かと思ったらまた降って、しかも雷までがんがん鳴りだして!」
ちっとも夏らしくなかった!とセタンタはわめいた。晴れ、晴れ、晴れと連続するはずの絵日記の天気は曇りのち雨、のち雷。洗濯物は家の中、庭は乾く暇もなく何だかそこここが浅い泥沼みたいになっていた。
エミヤもうん、と顎を引く。
「確かに。夏は急な雨や雷が多いものだが、今回はそれとはまた違うな」
夏の、夕暮れる前にざあっと降って、唐突に止んでしまう去年やらの雷雨とは違って今年のは、
「しつこいよな」
セタンタから言わせればそうだった。
たとえば去年なら雨が降りだしてもこれで少し涼しくなるよなと笑えたけれど、今年のは眉を寄せまたかと叩きつける音を家の中で聞く。楽しくない、ちっとも。夏らしくない夏だった。
天井を仰いでいた顔を前に戻したセタンタに、エミヤがたずねる。
「……セタンタ?」
「ん?」
「不満だったかな、君にとって今年の夏は……夏休みは」
せっかくの夏休みだったろうに。
まるで自分のことのごとく言ったエミヤにぱちぱち、とまばたきをしてセタンタは。
「不満、じゃないけど。別に」
「しかし……」
「変な天気だったけど、夏休みは夏休みに変わりない。ちゃんと途中までは夏だったし、それに」
言葉を切ってセタンタは、に、と笑った。
「エミヤがいた」
いつもと同じだ。
今度はエミヤがぱちぱち、とまばたきをした。それを見てもう一度、に、と笑うとセタンタは色鉛筆の箱に手を伸ばす。
「楽しかった。いろんなことがあった、エミヤがいたし、兄貴と喧嘩もしたし、いつも通りの夏休みだった」
楽しかった、とセタンタは。
心からそう言って夏休み最後の絵日記を描く。
「毎年とおんなじに、楽しかったけど残念だって書く。今日が終わっちゃったら一ヶ月近く、ずうっとエミヤと一緒にいれて、好きな奴と一緒にいられてそれだけで幸せな時間が終わっちゃうんだっていつも通りに書くよ」
日付は八月三十一日。
天気は生憎の曇りだ。
だけどセタンタは機嫌よく鼻歌を歌いながら仕上げていく。最後の宿題を。
「明日っからまた、エミヤに会うため急いで帰ってくるからな!」
全速力で走って!と叫んだセタンタにエミヤはぱちぱちぱち、とまばたきをするとやがて表情をゆるめた。
「―――――まったく、変わらず毎年いつも通りだ。君は」
セタンタは満面の笑みを見せた。
隠れてしまった太陽の代わりだとでもいうかのように。



夏休み、最後の日のことだった。



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