「エミヤ」
「エミヤ」
兄弟にそろって名前を呼ばれ、めずらしくエミヤは慌てふためいていた。呆れたような顔をしたランサー、むうと頬をふくらませたセタンタ。青いふたりの赤い瞳。鋼色の瞳はそれを見ながら、おろおろとどこか宙をさまよっている。
兄弟はそろって一歩、ずいと足を踏みだす。びくりとエミヤは後ずさった。
「なんでそんな怯えてるんだよエミヤ!」
「でかい声出すな、よけい怯えさせるだけだろ、ガキ。……だがなエミヤ、オレもこの意見には賛成だ」
「……あ。いや。その。怯えているわけでは、なくてだな」
「じゃあなんで逃げたんだよ!」
オレから!と地団太を踏むセタンタ。その頭を押さえこんで煙草を一吸い、ランサーは紫煙を吐きだす。とたんエミヤは顔をしかめた。これもめずらしい態度である。煙草のみのランサーがいくら煙草を吸おうが、注意こそすれ嫌な顔をすることはない。
ランサーもそれをわかってか、エミヤよ、ともう一度名前を呼ぶ。煙草はぐしゃりと手で握りつぶした。そろそろ携帯灰皿を持て、と、誰も煙草を吸わない邸宅にランサー用の灰皿を用意しているエミヤはなにも言わなかった。
ただ、腕の中の存在をぎゅうと抱きしめる。
「エミヤ!」
「―――――…………」
沈黙。セタンタに、エミヤが、言葉を返さない。
驚天動地。
絶句するセタンタ。ほう、という顔をするランサー。エミヤはいたたまれないようにうつむいた。その顔は、耳まで赤い。
「そんなにそいつが大事か?」
体を震わせるエミヤ。顔を上げようとするが、か細い鳴き声に気を取られて上げることが出来ない。あ、あ、と同じくか細い声を上げ、エミヤは完全に困りきっていた。
その腕の中には、小さな三毛猫がいた。
目を細めるとランサーは、頭を掻いて軽く嘆息する。やれやれといった顔つきだ。彼にしてはめずらしい。今日はめずらしいことだらけである。
「エミヤ、落ちつけ。おまえのことだ。そいつ、捨てられてでもいたんだろ? で、放っておけなくて拾ってきちまったってわけだ」
「……あ、ああ」
「だが、拾ってはきたもののどうしたらいいのかわからなくなった。そうだよな。おまえは教育係だ。ここにその猫と同じくらい……、いや、訂正だ。それ以上手のかかるガキがいる」
「オレかよ!?」
「おまえだ。……で、こいつはたいそう嫉妬深いときてる」
「兄貴に言われたくねえし、猫にまで嫉妬しねえよ!」
「してただろうが。エミヤの腕の中はオレの場所だー、って言ってただろ」
「いってねえ!」
「ふたりとも!」
声をひそめてエミヤが叫ぶ。腕に子猫を抱いたまま。今にも言いあい睨みあいを始めそうだった兄弟は、その声にエミヤの方を見た。
エミヤはひそひそと小さな声で早口にささやく。
「子猫さんが怯える」
みゅー……、とか細い鳴き声。セタンタは叫んだ。
「こねこさん!?」
「静かにしろって言われてんだ、馬鹿ガキ」
鉄拳制裁。それは、エミヤのものと比べて格段に強い。当然セタンタは声もなく呻いてうずくまった。
ランサーはしい、とわざとらしく唇の前に指を立ててみせて、その隣にしゃがみこむ。すると座りこんでうつむいたエミヤと視線が合うことになる。
「エミヤ。そんなにそいつが大事か?」
「…………」
「エミヤ。そうなら言え。そうでないなら、すぐそいつを放せ。優柔不断はよくねえと、こいつに言ったのはおまえだ」
それに昔のオレにもな。
ランサーは言う。なにも言わないのは卑怯だと。エミヤは顔を上げた。口を何度か開けたり閉めたりして、逡巡する様子を見せてから、うなずく。
「大事だ」
「エミヤ!?」
「私は弱い。この子猫さんを見て、ついこの腕に抱き上げてしまった。だがそれはよくないことだ。私にはすでに守らなければならない存在がいる。大事な存在だ。しかし―――――私には、この子猫さんを見捨てることが出来なかった」
ぎゅうとエミヤは腕の中の子猫を抱いた。苦渋の表情。
涙目でうずくまっていたセタンタにもそれは見えて、エミヤ、と彼はつぶやく。
「私には、セタンタがいるのに―――――」
「エミヤ」
セタンタは走った。頭の痛いのも忘れて、子猫ごとエミヤを抱きしめる。
「エミヤ、エミヤ、エミヤ、ごめん。オレが悪かった、ごめんな」
「セタンタ……」
みゅう、と子猫が鳴いた。その声に我に返ったようにふたりは子猫を見る。そして、ふ、と笑った。
そのとき、ぱん、ぱん、ぱん、と手を叩く音が庭内に響き渡り、はっとふたりはそちらを見た。
「―――――で、だ」
ランサーだ。
意外にも彼はおどけた顔をしていて、真剣なものを想像していたエミヤとセタンタは肩から力を抜く。
「エミヤ。おまえはそいつをどうしたい?」



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