「……は?」
青い髪をひとつに結った少年は、渡された紙を見て信じられないようにつぶやいた。2年E組エミヤ。紙の表面にはそう書いてある。だが彼の名はエミヤではない。
紙を見て、目の前の白銀の髪の少年を見て、紙を見て、少年を見て。
「……おい、エミヤ。これに書いてあることに間違いはないか?」
「ないはずだが」
「ほお」
そうかそうか、と青い髪の少年は笑って。
「っざけんな!」
べしっ、と手にした紙を思いきり床に叩きつけた。
周囲の少年少女たちと白銀の髪の少年が目を丸くする。クー・フーリン?と白銀の少年は青い髪の少年を呼んだ。その手には2年E組クー・フーリンと書かれた紙がある。交換っこしたのだ。
つまり青い髪の少年は後の冬木の猛犬ランサー、クー・フーリン。白銀の髪の少年は後の寮母さん、いや、教育係アーチャー、エミヤの姿である。
制服を着た彼らは高校二年生。小学生のときに出会ってからずっと同じ学校同じクラスという驚異の腐れ縁だ。朝は一緒に登校し(朝食の用意はエミヤの仕事)昼食も一緒(用意はエミヤの略)下校も大体一緒という噂のふたり、そのふたりの喧嘩など誰も見たことがないという。
―――――まあ、今の事件とて別に喧嘩というわけではないのだが。
「なんで! オレに黙って勝手にオレのこと追いこしてんだ! ああ!? エミヤ!」
「べ、別に黙ってだとか……そういった……企みをしたわけではないが……」
「当たり前だ! 企まれてたまるか!」
クー・フーリンは地団太を踏んだ。こういうところが弟のセタンタに受け継がれていくわけだが、まあそこはおいておこう。
赤い瞳で睨まれたエミヤはめずらしくうろたえた。冷静が常のエミヤにはめずらしい……と思われるが、エミヤ少年、実際は天然である。冷静と天然のあいだ、ではないが。特にクー・フーリンと弟のセタンタはエミヤにとって泣き所だ。
いらいらと爪を噛むクー・フーリンに、エミヤは上目遣いでたずねてみる。
「どうした、クー・フーリン。一体なにがそんなに気に入らない?」
「どうしたってな、おまえ……」
がくりと肩を落とすクー・フーリン。おまえ本当にわかってねえのか、そんな風に言いたげな顔だ。
「ああ……そうか、おまえ、天然だもんな。オレの繊細な男心なんてわかるわけねえか」
「繊細……?」
「そこにツッコミ入れんのかよ!」
「あ、いや、その、失礼した」
廊下だとざわざわまわりがうるさいので、ふたりは屋上に場所を移していた。ちなみに身体測定の結果表はエミヤがちゃんと拾ってきてある。
身体測定。
問題はそこから発展した。
さて、年頃の少年が気にするものといえば?
そう、身長だ。
クー・フーリンは年齢から言っても文句のない長身である。なにもふてくされることなどない及第点越えなのだが、おさななじみと結果表を交換したのが悪かった。
え、と彼は目を見張って。隣に立つおさななじみを見て。
「……は?」
と。信じられないといったようにつぶやいたのだ。
「といっても、一センチだろう? そう悲観することも……」
「一センチでも抜かされたことは抜かされたんだよ! あと悲観してねえ!」
途中で買ってきた紙パックの牛乳をぐびぐび飲み干すクー・フーリンにエミヤはこっそり苦笑した。毎日同じもの食って同じ時間寝てるくせに、いや、むしろおまえの方が勉強してて睡眠時間短かったりするくせによ、なんでだよ。背中合わせでぶつぶつと文句を言うクー・フーリン、きっとまた爪を噛んでいるはずだ。幼いころからの彼の癖。だから、クー・フーリンの親指の爪はぎざぎざで、エミヤは少し心配している。
口寂しいのだろうか。将来、煙草にでも手を出さないか。
その予感は的中することになるのだが、まあそれもおいておこう。
「……昔よ」
クー・フーリンがつぶやく。
エミヤは黙って話を聞くことにした。もたれかかってくるクー・フーリンの体温と重みを心地良く感じながら。
「おまえ、オレより背が低かっただろ。最初に会ったとき、こいつ背も低いし、やせっぽちだし平気なのかと思った。でもって、本ばっかり読んでたって言うじゃねえか。笑ったね。予想どおりだって」
弱々しいにもほどがある、とクー・フーリンは言った。エミヤは軽く眉間に皺を寄せた。そうだったろうか?
「それでよ。オレ、決めたんだよ。こいつはオレが守らねえとって」
ああ。思いだす。
どこへ行くにも手をつないでくれた彼のこと。森へ毎日のように出かけたあのころ。木の実を取ったり、花環を不器用に作ってエミヤの頭に乗せ、太陽のように笑っていた青い髪の。
思わず過去の記憶にまぶしげに目を細めると、エミヤはつぶやく。
「君はずっと、守ってくれているだろう?」
身長など関係あるのかね、と言うと、あー、とふてくされたような声がした。また爪を噛んでいるのだろう。間が空く。
「ねえよ。……ねえけど……正直、少しショックだったな」
「一センチだろう」
「一センチでもだ」
「プライドかね?」
「男のプライドだ」
「私も男なのだが」
「知ってるっつの」
女扱いはしてねえよ。
そう、クー・フーリンがつぶやいて、エミヤに体重を預けてくる。エミヤはそれを黙って受け止めて空を見た。
青い。高く、澄んでいる。
背後の幼なじみのようだと、ふと思った。
「クー・フーリン」
「なんだ」
「私はまだまだ未熟だ。それに、君が突然いなくなってしまったらどうしたらいいのか、わからない」
「は?」
背中から体温が消える。クー・フーリンは赤い瞳を見開いて、驚いたようにエミヤを見つめてきた。
「なんでそういう話になる。オレがおまえを置いてどこかへ行くと思うか?」
「いや、思わんよ」
にこりと、エミヤは微笑んだ。
「君は身長のことなどで落ちこまないし、これで安心したなどと私を見捨てたりしない男だ。な?」
「あ―――――ああ」
言わされたようにクー・フーリンはつぶやいて。
いや、少なくとも言わせた、とエミヤは思った。クー・フーリンが目を丸くして、それから呆れたような表情をして、そして笑ったのを見たからだ。
「しねえよ、そんな無責任なこと」
誓ったろ?と笑う。
エミヤは無言でうなずいた。


“オレたち、ずっと仲良しだよな!”
“ああ。ずっと私たちは一緒だ。クー・フーリン”


幼いころの自分たちの声が空に溶ける。
「……んじゃ、あらためて」
照れくさそうに頭を掻きながら、クー・フーリンは言った。手を差し出す。
「オレは生涯おまえを守る。オレの名と存在に懸けて」
「ああ。私も君の傍にいよう。私の名と存在に懸けて」
握手を交わす。
と、その手に突然クー・フーリンがくちづけを落として、エミヤは顔を真っ赤にした。
やってやった、と言いたげに笑う彼に、やっと元気になったとエミヤは眉間に皺を寄せつつも花がほころぶように笑った。
空はどこまでも青く澄んで、高かった。



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