邸宅内に甲高い絶叫が響き渡る。
「おら、参ったって言えよ」
「言わねえ! 絶対に言わねえからな!」
オレとエミヤの名に誓って!と腕を伸ばしながら叫ぶ弟の頭部に、容赦なく兄のチョップが決まる。すこん、と間の抜けた音。
「それはオレとエミヤだけのもんだ。他人が勝手に使うな」
「他人とかいうな!」
ぎゃーぎゃーぐるるがおがおと吠える声が響き渡る居間に、こねこさんを足元に引き連れ飛びこんだエミヤは目を見開いた。なんて……惨状!
まだ伸びきっていない小さな体にかけられたコブラツイスト。柔らかい骨が!筋肉が!エミヤはふたりのあいだに割って入ろうとする。と、兄弟に同時に睨まれた。四つの赤い瞳がぎらりと光る。邪魔するなとその瞳たちは物語っていた。邪魔?なんの?兄弟喧嘩の?
「いいかエミヤ……これは男と男の一対一の真剣勝負だ。悪いがおまえは黙ってそこで見てな」
「そんなランサー……そんな馬鹿げた理屈で私が納得するとでも思うか!? セタンタ、すぐ助け……」
「手出ししないでくれ、エミヤ!」
駆け寄ろうとしたエミヤはそのまま動きを止める。まさか、まさかセタンタにまでそんな馬鹿げたことを言われるとは思わなかったのだ。そりゃあ助けてくれだなんて簡単にこの子供が言うはずはないと思っていたけれど、手出しするなまでとは。疎外された気分になって、エミヤは数歩後ずさる。動揺に足元がよろめいた。
私の言うことなど聞かないと―――――ああそうか、仕方ないのか―――――私は―――――しかし―――――守ると誓った―――――この名に懸けて―――――だから私は―――――ランサー―――――セタンタ―――――こねこさん、私に力を!
だいぶエミヤも混乱していた。小さな声で鳴くこねこさんを背に、見えないロープをくぐるかのように身をかがめて苦痛に顔をゆがめるセタンタに手を伸ばす。さあこの手を掴んでくれ。私は君の守護者だ。
「エミヤ……言ったろ、これは一対一の……」
「私とセタンタは一心同体、同じ人間として扱ってくれてかまわない! セタンタの喜びは私の喜び、セタンタの怒りは私の怒り、セタンタの悲しみは私の悲しみ、セタンタの楽しさは私の楽しさ!」
「エミヤ……」
セタンタはせつなそうに目を潤ませた。コブラツイストをかけられながら。一方のランサーは、面白くなさそうな顔をした。コブラツイストをかけながら。と、ランサーが打って変わって面白そうに、にやり、と笑った。犬歯まるだしで。
明らかになにか企んでいる顔であったが、セタンタはエミヤしか、エミヤはセタンタしか目に入っていなかった。仲がいいのはいいことだが、互いを気遣いすぎて近くの企みに気づかないのは浅慮だ。
それでもセタンタはエミヤを、エミヤはセタンタをしか見ていない。のであった。
「よし」
どっ、と音がして、セタンタが畳の上に放りだされる。突然に責め苦から解放された彼は、赤い瞳を白黒させてまわりを見た。そして、いまだ自分の上に君臨する兄を見る。その兄の顔といったら―――――凶悪だった。世の女性が見たならばたんきゅうと古風に気を失うことうけあいの、獰猛さとセクシャルさ。ゆっくりと舌なめずりをすると、ランサーは真剣な顔のエミヤへ向かって手を伸ばした。
「そこまで言うなら交代だ。来い、エミヤ。……手加減はしねえぞ」
「望むところだ」
「エミヤ! だめだ!」
一歩踏みだすエミヤのスラックスの裾を掴んでセタンタが早口に叫ぶ。いけない。行ってはいけない。エミヤまであの兄の毒牙にかけてしまってはいけないのだ。
だが、エミヤはやさしく微笑むと首を左右に振った。セタンタはそれに見惚れると同時に絶望する。神はいないのか!神はどこへ行った!ええい祈るものか、役立たずの神になど祈るものか、こんなときに助けてくれない神などに!
「エミヤ!」
セタンタが叫ぶ中、ランサーとエミヤは向き合った。首をこきこきと鳴らし、わざとらしく指先四本を使って挑発するランサーに対してエミヤは直立不動のままだ。妙な緊張感が居間を満たしていく。そういえば兄とエミヤの直接対決を見たことはなかった、と、畳に倒れ伏したままでセタンタは思ったのだった。
ゴングが鳴る。
おっとエミヤ、伸ばされたランサーの腕を避けた!俊敏性には定評があるランサーの攻撃をかわすとはなかなかのものだ!だがしかし、ランサーもあきらめない!またも腕を伸ばす!……おっと!?エミヤ、足元を気にした!
セタンタだ、セタンタだ!
さきほど交代したセタンタが足元に倒れている!エミヤ、これに気を取られたか!エミヤ煩悶の表情!悩ましい、悩ましいぞエミヤ!
ああ!捕まったーっ!エミヤ、捕まってしまったーっ!セタンタに気を取られているうちに傍へ忍び寄っていたランサーに捕まってしまったーっ!コブラツイストふたたび、コブラツイストふたたび、決まったーっ!決まったァァァ!
と、まあこんな感じで。
「油断したなエミヤよ……ああ? 勝負のときに他を気にするなんざ、ずいぶん余裕じゃねえか。オレはそんなになめられてたのか?」
残念だぜ、と耳元でささやくと、さきほどのセタンタへの拘束とは比べ物にならないほどの拘束をエミヤに科すランサー。ぎりりと締めつけられたエミヤは苦痛に呻く。全身をのけぞらせ、なんとか逃れようとするがランサーの腕力がそれを許さない。
戦闘能力では互角な彼らであったが、腕力だけでは圧倒的にランサーが勝っていた。単純な力勝負であればエミヤは負けてしまう。
それを攻略出来なかったエミヤはすでに負けていた。
身を捩り、眉を寄せて拘束から我が身を解放させんとするが所詮は無駄なあがき。あがけばあがくほどに体力を奪い取られ抗う力は失われていく。完璧な悪循環だ。
「……ッん、は……!」
「どうだエミヤ。オレの攻めは……きついだろ?」
「このくらい…………なんと、でもでき、るっ」
「おいおい、強がり吐くなよ。かわいくて……潰しちまいたくなる」
物騒なセリフを吐いたランサーはまたも凶悪に笑って締め上げる腕に力をこめた。とたんエミヤの眉間の皺が深くなり、玉のような汗が首筋を伝って鎖骨へと落ちた。食いしばった唇の隙間から漏れる声に、犬歯をむきだしてランサーは笑う。
そのままその犬歯を首筋に突きたてんばかりの表情はエミヤからは望めない。悦と期待に満ちた、男にしか出来ない荒ぶる表情だ。
世の女性が見たら以下略。まったくランサーときたら、無駄弾の撃ちすぎである。
首をがくんとうなだれさせて熱い息をこぼすエミヤにランサーは顔を寄せる。ぎりぎりと締めつけながら、それはまるで抱擁のごとく。
朦朧とした鋼色の瞳でその顔を見やったエミヤは、どこか淫蕩に見える表情でランサー、と旧友の名を呼ぶ。
エミヤ、と睦言のようにそれに応え、ランサーは口を開いた。
「だらしねえ……」
その続きは突然の場外からの乱入によって途切れ、聞こえることはなかった。
セタンタだ!セタンタがロープを越えて乱入!そのジャンプ力を生かして大きくダイブ!油断していたのかランサー、エミヤを拘束したまま後ろ向きに倒れた!倒れたーっ!こねこさんが素早く駆け寄る!畳を叩く肉球!ワン、ツー、スリー!
……決まった!決まったーっ!この勝負、セタンタ・エミヤ組の勝利ーっ……


「……で。どうしてあんなことになっていたのだね」
「なんでだっけ?」
「おまえがオレの分の饅頭盗ろうとしてよ、それでもってだったら力で決着つけようぜって話になって」
「思いだした! ってかそれ兄貴だろ! おとなげねえ、ちょうおとなげねえぞ兄貴! だから大人って信じられねえんだ!」
軽く人間不信に陥った子供は、あ、でもでもエミヤは別だからな、と慌てたようにその腕にすがる。と、その腕が細かく震えているのに気づいた。
「―――――君たちは……」
やべ、という顔になる兄弟。こねこさんはきゅっと丸くてちっちゃくって三角のお耳を伏せた。
その日響き渡った怒号は、三軒両隣を軽く越え町内全域まで届いたという。たわけがー、たわけがー、がー、がー、がー、とすばらしくエコーのかかったその声にご町内の皆さんは思ったそうな。
またあそこか、と。



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