セタンタの様子がおかしい。庭でこねこさんと遊んでいるが、ときおり立ち上がってはしきりに目を擦っている。
「セタンタ」
早めの確認を。エミヤは慌てたせいか裸足で庭に下りると、まだ目をこすっているセタンタの顔を覗きこんだ。少し潤んでいる目が赤い。いや、いまさらだが。アレルギー?だが、セタンタは小学校で飼育係をやっているはず。動物の毛などで反応するのなら、もっと早く……。
こねこさんは心配そうにふたりの足元をぐるぐる回っていたが、エミヤに軽く横腹を撫でられて落ちついた。柔らかな毛並み。温かい。セタンタによく似ているなと思う。
「どうしたセタンタ。目になにか入ったか?」
「んー……わかんね。なんか、ごろごろ、する」
「石か何かか? 大きさは?」
「よくわかんねえよお、エミヤー」
ふい、と口を左右に大きく開いて駄々っ子のような表情を作ると地団太を踏むセタンタ。ただしこねこさんに気遣いバージョン。大きな音を立ててはいけない、大きな声を出してはいけない。つまり驚かすな。これが対こねこさんとの作法だ。
みゅう。こねこさんが心配そうに見上げる中、エミヤは中腰になってセタンタの顔を間近に覗きこんでいた。まぶたを指先でつまんで、軽くめくらせたりすると目の中におかしな影が見える。小さいが、はっきりとした異物。ああ、これは痛いだろう……。
「少し我慢しているのだぞ」
「う、うん」
エミヤはセタンタの肩に手を置いて、ちらりと赤い舌を見せつけた。ぎょ、とセタンタが目を丸くするあいだにも、それは赤い瞳に向かって連結でもするかのように近づいてくる。
「エ、エミヤ! 舌!? 舐め……え、ちょっ、待っ、なんで!?」
「落ちつくんだ、セタンタ。昔はよくこうやって目の中に入ったゴミを取ったものだ。私も君の母上に教えてもらった―――――ああ、これだな。じっとしていろ」
簡単に言って、まるでキャンディを舐めるようにエミヤはセタンタの赤い瞳を舐めた。ひえ、と情けない声が口から漏れるが、なんとか動きそうになる体はおさえる。エミヤの舌はまずは表面をとばかりにゆっくり濡らしていって、後の刺激をやわらげた。
そうしていると、セタンタの、少年にしては長い睫毛が舌に絡む。エミヤはそれさえも舌先で艶を整えるように舐めて、梳かしてしまう。こすって腫れた左目にひたりと舌が触れて、セタンタはつい、体をびくんとこわばらせた。
くっ、と声が漏れる。笑い声。
「セタンタ?」
「あっは、あはははは、くすぐってえっ! くすぐってえよエミヤ!」
「我慢するんだ、こらセタンタ! 動いてはいけない! 奥に入ってしま……あっ」
じたばたと暴れるセタンタに慌てるエミヤ。どうやら今ので異物は隠れてしまったらしい。
無言になるとエミヤは、じっとセタンタを見つめた。セタンタはう、と言葉を呑む。エミヤの無言の抗議というのは切実だからして強い。 両手の指を絡めあわせてもじもじと下を向くセタンタ。
「あの……その……」
「…………」
「ごめんなさい」
「よし」
うなずくエミヤ。こうして冬木の子犬は教育係にしつけられていくのだった。
「それにしてもさ、エミヤ。どうしてもこのやり方じゃないとだめか?」
なんか変な感じするし、オレ苦手かも。
そう言って頭を掻くセタンタに、エミヤは首をかしげた。
「怖いのか?」
びょいん、と青いしっぽが跳ね上がる。
「ならば、目を閉じて―――――いては、出来ないか。どうする? やめておくか?」
ふ、とエミヤの苦笑する声がして、セタンタは意地を張った。
「こ、こわくない!」
「そうか?」
「全然、ないっ! だから早く終わらせちまおうぜ、エミヤ!」
「了解した」
エミヤは笑いまじりに答えると、セタンタの眼球を優しく舐めた。ひ、とくすぐったさとぬるつく感触に背筋を震わせるセタンタ。だが、痛かった目がじわじわと痛くなくなっていき、唾液がとろりと表面を覆っていく。と、ころん、とてのひらになにかが。
「…………っと」
落ちて、セタンタは目を丸くした。それは爪の先ほどの小石のかけら。
「ああ、こんなものが入っていたのか……それは、痛かったろうな」
かわいそうに、とエミヤはセタンタの背を抱いてぽんぽんと叩いた。セタンタはぽとぽとりと目から体液を落とす。それは純粋な涙と、エミヤの―――――。
「セタンタ?」
はっとする。不思議そうにエミヤが手を差しだしていた。
「あ……え、と?」
「捨ててしまおうと思ってな。君も、自分をじわじわと苦しめていたものを見ていたくはないだろう?」
「あ、えっ、と!」
後ろ手に小石を隠してしまったセタンタに、エミヤは怪訝そうな顔をして再度手を差しだす。
「セタンタ」
「えーっと……自戒! 自戒のために、持ってたい! ん、だ、け、ど、さ。……だめ?」
エミヤ、とつぶやいて上目遣いをすると、セタンタは反応を待った。エミヤは怪訝そうな顔をしていたがさきほどとは反対に首をかしげ、
「君が言うのなら」
従おう、と差しだした手を引っこめた。
セタンタはほっとして思わず笑う。
「? どうした、セタンタ」
「なんでもないっ」
笑うと、セタンタはエミヤに抱きついた。そしてぐりぐりと額をエミヤの肩口にこすりつける。
エミヤは?マークを飛ばしていたがよほど痛かったのだろうと結論づけて、その小さな背中をぽんぽんと再度叩いた。
その小石は、こっそりとセタンタの机の引きだしにしまわれることとなる。


後日。
「うあ」
「ランサー?」
どうした、とたずねるエミヤに、読んでいた雑誌を膝の上に投げだして上を向いたランサーが答えた。
「目にゴミが入った」
きゅぴん、とセタンタの目が光る。ああ、なら……とエミヤが立ち上がりかけたとき、
「兄貴! 目薬!」
「……セタンタ?」
「……おまえにしちゃ、気が利くじゃねえか」
片目をしばたたかせてそれを受け取ったランサーが見たセタンタの顔は、ちょっと邪悪だったという。



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