エミヤの様子がおかしい。
「あー……やっちまったな」
兄が頭を掻きながら言った言葉に、セタンタは食ってかかる。がお、と牙をむいてその胸ぐらをええいと掴んだ。
もちろん兄は重くて持ち上がらない。だがこういうときは勢いと雰囲気だ。
「な・に・が?」
「いやな……?」
ランサーもさすがに気まずいのか、らしくなく目を逸らしてどこか遠いところを見ている。そんなふたりに雷が落ちてきた。
「君たち!」
ふたりぶんの青いしっぽがびよんと跳ね上がる。エミヤの本気の恫喝というものは、実はかなり怖い。セタンタだけでなくランサーも長い付き合いの中でそれを知っていた。背後に迫る黒い影。兄弟はおそるおそる振り返る。
エミヤ……?呼ぶ声が、高低でそろった。
「喧嘩をしてはいけないと私はいつも言っているだろう! そんなことも守れない輩は……」
にやり、といまだかつてない表情でエミヤは笑んだ。跳ね上がったしっぽがぞわぞわぞわ、と震える。
「御仕置きだな」
「ちょっと待てエミヤ!」
「どしたんだよエミヤ!」
逃げる兄弟、追うエミヤ。と、セタンタが壁に行き当たってしまう。ひえ、と情けない声を上げてぺたぺた壁を触ったセタンタだったが、迫りくるエミヤの姿を見て思わず硬直した。手には酒瓶(日本酒)目線は定まらない。口元には笑みを浮かべて、足取りは妙にしっかりしている。
ぶっちゃけ怖い。いとしいけれど怖いひとと化している。
伸びてくる手にセタンタは固く目を閉じた。
と。
「めっ」
「え?」
つん、と額をつつかれてセタンタは面食らった。額を押さえてぱちぱち瞬きをしていると、ぎゅうと抱きしめられて泡を食う。頬に額にキスの雨を降らされて、セタンタ、セタンタと名前を呼ばれてセタンタは耳まで真っ赤になった。
ああああにき?と腕の中からたどたどしく兄を呼ぶと、ちゃっかり反対側の壁まで避難したランサーは、はあ、とため息をついて解説を始めた。
「エミヤはな。酒乱なんだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……え? 終わり?」
「他になにを言うことがあんだよ」
「この責任感なし兄貴いいいい!」
事の次第はこうだ。
昨日丸一日ランサーを放っておいたおかげで、一日中彼の相手をしなければいけなくなったエミヤ。
朝食の世話から始め、話し相手、釣りの相手、昼食の世話に昼寝の相手。そうなればもちろん夕食までも食べていくこととなる。それはいつもどおりのことなのでいいのだが、その〆が悪かった。
“知り合いの坊主からせしめてきたんだ。ちょっとでいいから付き合えよ”
そう言って、ランサーは笑顔でどこから出したのか、日本酒の瓶をちゃぶ台の上に置いたのだった。
「いやな……ちょっとならいいんだよ。だがな、エミヤの場合、限界ってもんがわからねえ」
「わからないなら飲ませんなよ!」
「馬鹿ガキ。てめえはほろ酔いのエミヤの色っぽさを知らねえからそんなことが言えるんだ」
「色っぽ……?」
そこで強く頬をすり寄せられ、セタンタはあうと呻いた。褐色の肌をうっすら赤く染めて、潤んだ瞳でエミヤはセタンタを見ている。
色気などまだわからないセタンタだったが、その姿にはどきりとした。
「セタンタ……君はいとしいな。本当にいとしい」
「エミヤ……」
「抱き殺してしまいたいくらいにいとしいよ」
え、と言う暇もなくエミヤの腕の力が増す。愛のさば折り。まったく手加減なく締めつけられて、さすがのセタンタもギブギブ!と声を上げたがエミヤは聞く耳持たずだ。それどころかさらに力は増すばかり。ランサーは助けようともしない。遠くからがんばれよー、などと気楽な声援をかけている。
むせきにん兄貴、と歯ぎしりしながら、セタンタは決意した。
この状態のエミヤを絶対兄貴には近寄らせない。エミヤの抱擁はオレだけが受けてやる。
それは幼いが立派な独占欲だった。


「あ、こねこさんではないか……いとしいな、君は」
「ちょっまっエミヤ! こねこさんはだめだろ! 逃げろこねこさん! にげろー!」
これはまた、独占欲とは別の話。



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