セタンタは一心不乱にみかんを剥いている。
眼鏡をかけ、半纏をはおったエミヤは苦笑してそれを見ていた。
「ほら、エミヤ。あーん」
「……ん」
丹念に白い筋まで取られたそのひとふさを、差しだされるままにエミヤは口にした。広がる甘酸っぱさ。もぐもぐとそれを咀嚼していると、にこりと微笑んでセタンタが問うてくる。
「美味い?」
「ああ。……セタンタ?」
「じゃ、もっと剥いてやるからな!」
言ってまた一心不乱にみかんを剥きだしたセタンタに、エミヤはかけようとした制止の言葉を失う。仕方ないという顔でエミヤは真剣な様子のセタンタを見守った。
エミヤが風邪をひいたのは先日のこと。咳が出て喉が痛む、いわゆる今年の一般的な風邪だ。
それでも大したことではないと宗家の仕事をこなしていたエミヤだったが、それを聞いたときのセタンタの驚きといったらなかった。
“エミヤ! なんで仕事なんかやってるんだよ!”
“なんでと言われてもだな……熱も出ていないし、大した症状でもない。私は平気だよ、セタンタ”
セタンタはランドセルを背負ったまま、書類を抱えたエミヤを見上げてふるふると細かく震える。エミヤが首をかしげ、とたん軽く咳きこむと青いしっぽがびょいん!と激しく逆立った。
“だめだ!”
……そうして、エミヤは仕事を休まされ、セタンタのみかん責めにあっている。
セタンタいわく、みかんはビタミンCが豊富で風邪にいいんだとかなんとか。確かにそのとおりだが、摂りすぎてもどうかと思われる。
だがエミヤがセタンタから与えられるものを拒絶するなど出来るはずがなく、結局食べさせられたみかんはもう十個にも到達する勢いだ。甘くて美味しいからいいのだけれど、とエミヤは軽く咳をしながらぼんやりと思う。ああ、やはり調子がよくないのだろうか。
思考回路があまり上手く回らない。
こん、と小さく咳きこんで、エミヤは眼鏡を外す。
「セタンタ」
「うん?」
ぱっと顔を上げて反応するセタンタ。と、その顔が曇った。
「エミヤ」
不思議そうにエミヤがどうした、と問いかければ眉を寄せてセタンタは言う。
「エミヤ、顔色、悪い」
「……そうか?」
ぶんぶんと縦に首を振る。そういえば少し寒いような気がした。半纏の前をかきあわせれば、ぶるりと背筋に走る悪寒。
―――――まずい。
「すまない、セタンタ。私は少し休ませてもらう」
「じ、じゃ、オレも一緒に寝る!」
「駄目だ。君にまで風邪が伝染ってしまったらどうする?」
「だいじょぶだ!」
「大丈夫ではない。現に君は数日前に風邪をひいていただろう?」
ぐ、とセタンタが言葉を呑む。でも、と言い募ろうとした彼の小さな頭を撫でて、エミヤは困ったように微笑んだ。
「わかってくれないか。私のせいで、また君が苦しむようなことになったら私は……」
セタンタは納得の行かないような顔で下を向いていた。が、エミヤが頭を撫でつづけていると、ぽつり、小さくつぶやいた。
「……わかった」
「セタンタ」
いい子だ、とエミヤがささやけば、セタンタは勢いよく顔を上げた。目線を合わせる都合でしゃがみこんだエミヤは、思わず顔を後ろに逸らす。額と額がぶつかりそうになって慌てたのだ。
「逃げるなよ、エミヤ」
「……? セタンタ?」
怪訝そうな顔をしながらも言われたとおり、動かないでいるようにしたエミヤにセタンタは顔を寄せてくる。額に、やわらかい感触。
「エミヤの風邪が早く治りますように!」
そっとエミヤの秀でた額にキスをしたセタンタは、にかりと笑うと快活にそう告げた。
エミヤは突然の攻撃に目を白黒させて、やがて我に返ると笑い崩れて、ああ、とささやく。


「ありがとう、セタンタ」


ちなみにこねこさんという生きた湯たんぽが一緒に眠ってくれたせいで、エミヤの風邪はほどなくよくなったという。



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