エミヤは今日もまだ大事をとって眠っている。
それを承知でそっと帰ってきたセタンタは、庭を見て目を丸くした。
「…………ッ」
声を上げようとしたところで、すぐさまエミヤが眠っていることを思いだして口を押さえた。いけない。大声を出しては。けれど、この状況は……。
庭では、こねこさんが小さな体をふくらませて唸り声を上げていた。その前には、大きな猫。白黒のぶちででっぷりと太っている。
あれはなんだろう。セタンタは口を押さえて懸命に頭を働かせたが、なんのことやら全然わからなかった。
なんなんだろう……。
呆然とするセタンタ。そこに、ある意味救世主が現れた。
「おい。なに突っ立ってんだ、おまえ」
「兄貴!」
普段なら牙を剥くはずのセタンタが大きな目を輝かせて自分を迎えたことに、ちょっと気持ち悪そうな顔をするランサー。なんだこいつ、という顔をして、頭に置いた手をそのままに後ろに引いた。セタンタはかまわず、早口で、しかし小声で、状況を説明し始める。
するとランサーは火の点いていない煙草のフィルタをがじりと噛んで、面白そうな顔つきになった。
「でかい猫っつうと……あれか。ああ、確かにでかいな」
「だろ!? な、兄貴、早く助けてくれよ」
「助ける? 誰をだ」
「こねこさんだ!」
いまだ大きな猫と対峙するこねこさん。その体は大きな猫と比べると、小さい。本当に小さい。セタンタは心配になってランサーの腕を掴む。
「早くしないと、こねこさん、食われちゃうかもしれないだろ! そしたら、エミヤがどれだけ悲しむか……」
セタンタは下を向く。エミヤの悲しむ顔など見たくはない。こねこさんを抱き上げてはうれしそうな顔で頬ずりをしていたエミヤ。そりゃあ少し妬けたときもある。けれど、いまではこねこさんはセタンタにとっても大事な家族の一員だ。
護衛たちだって実はこっそりかわいがっているのをセタンタは知っている。ほら、みんなこねこさんを好いているのだ。
―――――目の前の兄は、どうだか知らないけど。
そんな兄はいつもの飄々とした態度で大きな猫VSこねこさんを眺めると、ふいとその顔をそむけた。
「必要ねえよ」
「なっ!」
叫ぶセタンタ。もちろん、小声で。
「なんでだよ兄貴! こねこさんが心配じゃないのか!」
「あいつだって一匹の立派な獣だ。オレたちが心配する問題じゃねえだろ。それに―――――」
ん、と煙草をくわえたまま、ランサーは親指で背後を指した。
「保護者が目を覚ましたみてえだしな」
目を見開くセタンタ。
素早く振り向けば、そこには寝巻きに半纏姿のエミヤ。少しぼうっとした顔をしているがどうやらしっかり目は覚めているようだ。
「エミヤ……っ」
セタンタは慌てた。エミヤを起こしてしまった。自分たちが騒がしくしていたからだろうか?エミヤ、エミヤと声を上げて、セタンタは柱にもたれるエミヤに駆け寄った。
「エミヤ! 起きて大丈夫なのか?」
「ああ、セタンタ。大丈夫だとも。心配してくれてすまない」
微笑むエミヤ。そのはかなげな微笑みについぽうっとなってしまって、ぶんぶんと思いきりセタンタは首を振った。違う!そうじゃない!
「エミヤ、こねこさんが」
「大丈夫だ。……彼は、ここを守ってくれていたんだ」
サンダルを履いて庭に下りたエミヤに気づくと、こねこさんはしっぽを跳ね上げてその足元に駆け寄ってきた。
「こねこさん、すまない。気づくのが遅れた」
みゃあみゃあみゃあ。
まるで会話しているかのようなエミヤとこねこさん。いや、実際に心が通じているからお互いの言っていることもわかるのかもしれない。そんなふうに思わせるかのような絆がひとりと一匹のあいだには感じられた。
こねこさんを片手で抱き上げると、そっと大きい猫の前にしゃがみこむエミヤ。
「おおねこさん……」
「おおねこさん!」
「相変わらずセンスねえな、エミヤよ」
だがしかしそれは昔からだと注釈をつけるランサー。その昔を思いだしているのか、にやにやとおかしそうに笑っている。
そっと大きい猫、もとい、おおねこさんへと手を差し伸べるエミヤ。
「ほら、怖くない」
その手に喰らいつくおおねこさん。セタンタは声を上げて庭に飛び降りかける、だがランサーが肩を掴んでそれを制した。
「兄貴!」
「見てろ」
エミヤは少し顔をしかめたが、声も上げず手を引くこともせず、じっとおおねこさんを見ていた。怖くない……そう繰り返して。
しばしの沈黙。セタンタが耐えきれずに飛びだしていこうとした、そのとき。
「よし、良い子だ」
なーう。
間延びした声を上げて、エミヤの手に頭を擦りつけるおおねこさんの姿がそこにあった。
「エミヤ!」
たまらず裸足で庭に飛びだしていったセタンタを、笑顔で迎えるエミヤ。
「怯えていただけだったんだよ」
ぐるぐると喉を鳴らすおおねこさんの頭を撫でてやるエミヤ。セタンタは目と口を丸く開けてその様子を眺めていた。
「すげえ……」
「だから言ったろ」
「知ってたのかよ、兄貴」
「長い付き合いだからな」
くつくつと肩を揺らすのを見て、人が悪いと睨むセタンタ。だがエミヤ第一だ。
「エミヤ、手、大丈夫か」
「このくらい、なんでもない」
「手当て!」
「ん?」
「オレが、するから!」
早く部屋に戻ろう、と乱れた半纏を直してやりながら言うセタンタに、エミヤは少し驚いた様子を見せる。そのときのセタンタはあまりにも必死だったのだろう。
「ありがとう」
微笑むエミヤにまたぽうっとなったセタンタだったが、おおねこさんが動いたのを目端にとらえて、あ、と声を上げる。
塀の上に乗ったおおねこさんは、エミヤのほうを見てなーう、とまた間延びした声で鳴いた。エミヤは静かにそちらを見ると、うん、と一度小さくうなずいた。
「君の好きなときに、また来るといい」
それを聞くと、満足したようにおおねこさんは塀の向こうへと姿を消した。それは見事な身のこなしだった。
みゃあ。
こねこさんがエミヤに顔をすりよせる。
エミヤ。
セタンタもエミヤにしがみつく。
ついでにランサーも笑って、まったくおまえは、と言いながら下りたエミヤの前髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
エミヤは驚いたようにその手にされるがままになっていたが、同じように笑って首をかしげた。



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