「おまえ、エミヤが女だったらどうする?」
セタンタの動きが止まる。セタンタ用に用意された、洋酒の入っていない林檎のパウンドケーキをまさにひとくち頬張らんとしたときの兄の言葉だった。縁側にふたり並んで腰かけて、エミヤは洗濯物を干しているところ。
ちょうど純白のシーツをぱんぱんと音を立てて広げているところだった。
兄の言うことは気にはなったが、とりあえず目の前のパウンドケーキの誘惑には逆らえず、齧りつくセタンタ。甘く煮た林檎だけでなく数々のドライフルーツが入っているそれは、とても美味しかった。
「男とか女とか関係ないと思う。エミヤは、エミヤだ」
まぐまぐ口を動かせてつぶやくセタンタに、ランサーは意地の悪い笑みを見せる。反射的にセタンタはむ、となった。
「いいのかよ?」
「なにが」
「もしな、エミヤが女だったら―――――」
そこでランサーはいったん言葉を止めた。胸ポケットから煙草を取りだし、火も点けずにくわえる。その間の長さにセタンタはいらつき、自分よりはるかにたくましい兄の腕を掴んだ。エミヤの涙と柳桐寺の魔女の薬以外に怖いものなしのセタンタ。
そんなセタンタに、にい、とさらに意地の悪い微笑みを見せると、ランサーは言い放った。
「今ごろオレの嫁になってるところだ」
「……は?」
ぽろりと。
セタンタの手から、パウンドケーキが落ちた。もったいない。
ランサーが語るにはこうである。過去より、ランサー、クー・フーリンとエミヤの家庭はそれぞれに男女の子供が生まれたら、結婚させようと誓った仲だったというのだ。許婚制度ってやつだ、とランサーはご丁寧に付け加えたがセタンタとてそれくらい知っている。
「よく気がきいて、家事万能で仕事も出来る。おまけに初心で、なにより俺好みだ。いい嫁さんになったと思うだろ、おまえもよ?」
それにそうすればエミヤはおまえの義姉さんだ。おねえちゃんだぜ、おねえちゃん。
からかうように言って、おねえちゃん、と繰り返すランサー。む、とセタンタは眉を寄せると落としたパウンドケーキを手に取り、埃を払って口の中に放りこんだ。
「やだ」
「あ?」
「オレはエミヤだから好きになったんだ。男とか女とか関係ない。それにそんなのやだ。兄貴のものになったエミヤをただ見てるなんてオレはやだ。絶対やだ」
「なら略奪愛でも仕掛けてみるか?」
「リャクダツアイ?」
きょろんと目を丸くするセタンタ。難しい言葉を知ってはいるが、そういう色事についての単語は知らないらしい。なにしろ知識の元は、あのエミヤだ。そういった単語についての情報が入ってくるはずがない。
「……ま、そいつは置いておくとしてだ。オレは女のエミヤもなかなかのもんだと思うんだがなあ」
「やだ。オレはいまのままのエミヤがいい」
やさしくて、いとしくて、きれいなエミヤ。男だとか女だとか本当に関係ない。エミヤは、エミヤだ。
半分怒って、半分泣きそうになって言い募るセタンタを見て、ランサーは火の点いてない煙草を口先でもてあそぶ。ちょっといたずらを仕掛けてみたのに、ここまで予想通りの反応を返されるとおかしくてたまらない。くく、と喉を鳴らしたランサーの目前に、ふ、と影が差した。
「……なにをやっているのだね? ランサー」
呆れてわずかに冷えた声。
見てみると、洗濯籠を抱えたエミヤの姿があった。どうやら家事は終わったらしい。エミヤは洗濯籠を縁側に置き、唇を噛みしめてぶるぶる震えているセタンタの頭をかき抱く。エミヤ、と声を上げてその胸元に顔を押しつけるセタンタ。
ガキの特権……などと頬杖をついたランサーがそれを見ていると、いつになく厳しい視線で睨まれ、やや後ずさる。
「説明してもらおうか」
ランサーはしばらく視線を泳がせると、目を閉じて両手を上げた。ホールド・アップ。
「へいへい」


ランサーの説明を聞いたエミヤは、しばしのあいだ呆然としていた。
「た、確かに小父様から冗談でそのような話を聞いたことはあるが……まさか、本気だったとは……」
「親父は真剣におまえをオレの嫁にしたがってた部分があったからな。ま、ちょっと変わった奴じゃあった」
思わず額を手で押さえるエミヤ。眩暈を堪えるようなしぐさだ。
「もし思い詰めてたらおまえが女じゃなくても嫁に迎えるとか言いだしてたかもな!」
まあそこまでイッちまってはいなかったようだがな。言って大笑いする姿に、脱力するエミヤ。
「小父様……」
嘆息する。と、セタンタがぎゅうと腕にしがみついてきたので、よしよしとその頭を撫でてやった。
「エミヤ」
「うん?」
「オレはいまのままのエミヤが好きだ。いまのままのエミヤがいい。エミヤが変わっちゃうのとか……やだ」
「セタンタ。大丈夫だ、大丈夫。私はずっとこのままで、君の傍にいると約束しよう」
「本当? 本当だぞ、エミヤ」
「ああ」
「エミヤ!」
ひっしと抱きあうその様子を眺めながら、ランサーはおうおうといまだ火の点いていない煙草を遊ばせた。―――――まあ、ランサーもエミヤが男だろうが女だろうがかまわないのだ。
エミヤだから。
こういうところが兄弟なのだな、と思いつつ、ようやく思いだしたようにポケットを探ってライターを取りだした。



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