台所は湯気と心温まるような良い匂いに包まれている。
「―――――でな、ハッピーバースディの歌みんなで歌って、ケーキ食べてきた」
「そうか」
「だけど、エミヤのホットケーキのほうがオレ好きだ」
「なら、今度作ろう。……そうだな、ちょうどランサーが持ってきた苺のアイスがある。それを乗せてみようか」
「ほんとか!?」
セタンタはほどきかけていたエプロンの紐から手を離して叫ぶ。アイス、アイス、アイス。頭の中は豪華なホットケーキのヴィジョンでいっぱいだ。
思わず涎を垂らしかけたセタンタは、はっと我に返って口元を拭う。あぶないあぶない。
そんな彼を見て微笑むと、エミヤは鍋の蓋を開けた。箸で中の野菜をひとつ取って、ふうふうと冷ますとセタンタへと差しだした。和風だしの匂いがふわりと漂う鮮やかなオレンジ色の人参はひとくちサイズだ。
「あーん」
うながすと、セタンタはすかさず雛のように口を開けた。その中に放りこまれる人参。
「どうだ?」
いつもエミヤの作ったものを食べるときのように一生懸命に咀嚼すると、セタンタは満面の笑みを見せた。
「はなまる!」
屈託のない言い方に、きょとんと目を丸くするエミヤ。まばたきを繰り返してから、そうかと言ってまた微笑む。セタンタいわくのはなまるをもらった彼は、とてもうれしそうだった。
「包丁を使うぞ。危ないから、しばらくいたずらはなしだ」
「はーい」
「はい、だろう?」
「はい」
満足そうによし、と言って青い頭をぐりぐりと撫でるエミヤ。目を細めてその大きな手のもたらす甘い感触を感覚いっぱいで受け取っていたセタンタは、やがてその手が離れていくのを少し残念に思った。でも、いいのだ。
エミヤは傍にいるし、ここはとても温かい。
「プレゼントは喜んでくれたか?」
「うん!」
「そうか」
「うん、やっぱりエミヤについてきてもらってよかった! すごく喜んでくれたぞ!」
「だが、最後に決めたのは君だろう? 私はただ少しアドバイスをしただけだ」
「ううん!」
黒いスラックスを掴んだまま、セタンタは叫ぶ。
「エミヤのおかげだ!」
エミヤがいたから。
自分は最高のものを選ぶことが出来たのだと、誇らしげに告げた。
くつくつと鍋の音。とんとんとそれにつづいていた包丁の音が、止んだ。エミヤはまっすぐに自分を見返す少年を見て、表情をゆるめる。そうか、とやわらかな相槌をひとつ。漏らした。
そしてまな板の上のきゅうりのぬか漬けをひときれ手に取る。
「あーん」
すかさず開く口。一生懸命な咀嚼、評価ははなまる。
「―――――な、エミヤ」
「うん?」
「エミヤの誕生日も、お祝いしような」
「ならば君の誕生日もお祝いしなければな」
「じゃ、兄貴のも……?」
少し躊躇したような様子に、苦笑する。そうだな、とボウルの中の卵を菜箸でかしゃかしゃとかきまぜながら。
「君はランサーが嫌いなわけではないだろう?」
「ん、そうだ、けど」
でも兄貴、いじわるだ。
ぺたんと台所の床に座ってそうひとりごちたセタンタに、またひときれぬか漬けを与えてやってエミヤは言う。
「けれど、嫌いではないだろう?」
「ん」
ぽりぽりと音を立てつつ、セタンタはうなずく。ちょうどいい漬かり具合だな、とあまり子供らしくないことを思って。
兄は嫌いではない。だけど、意地悪だ。あと、エミヤに手を出す。
だけど嫌いではない。決して。
みゃあん。
「あ、」
セタンタは思いだしたように言う。
「こねこさんの誕生日っていつだろ?」
「ああ……」
エミヤも手を止めて、気づいたようにふたりでじっと台所に足を踏み入れたこねこさんを見やる。みゃ、と鳴いて不思議そうに、こねこさんは首をかたむけた。
「こねこさんの誕生日もお祝いしないとな」
忙しい忙しい、とセタンタは大げさに言ってエミヤに寄りかかる。まるで疲れたサラリーマンのような言い草に苦笑して、エミヤはその頭を撫でた。
「だけどエミヤ」
赤い瞳が、エミヤを仰ぎ見る。
「誕生日って、うれしいし楽しいよな!」
じゅう、と卵の焼ける音。
砂糖多めの甘い卵焼き。
「そうだな」
そう言って微笑んだエミヤに、セタンタは心からの微笑みを返した。
すべての人に。
お誕生日、おめでとう。



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