「ただいま、エミ……」
ヤ。というつづきは宙に溶けた。学校帰り、満面の笑みでエミヤの部屋へ顔を出したセタンタは、自分より先にそこにいる兄の姿を見て烈火のごとく怒り狂う。
「なんで兄貴がいるんだよ! こんな早い時間に!」
「あー。急にバイトが休みになってな。明日に振り替えだ」
火のついてない煙草をくわえて不明瞭な発音で言ってのけた兄の手には、
「…………?」
とりあえずエミヤと抱擁をかわしてから、頭を撫でられつつセタンタは首をかしげる。なんだかずいぶんと古い感じの表紙だ。エミヤが、いつもセタンタに見せてくれるアルバムはぴんとしているというかしゃんとしているというか、とにかく新しくて、きちんとしている。
きっとエミヤがきちんと手入れしているのだろう。それなのに、どうして?
首をかしげたセタンタは、兄とエミヤの顔がやたらと懐かしそうなのに気づく。
あれ。
なんだろう、このふたりの顔は。
「ああ、セタンタ。これはな……」
セタンタの怪訝そうな顔の理由に気づいたのか、そう言ってエミヤはセタンタにも見えるようにアルバムをわずかにかたむけてくれる。ランサーはその前に文句も言わずアルバムから手を離していた。
身を乗りだしてエミヤと兄の両方の肩に手をかけると、セタンタはアルバムを覗きこむ。と、そこにあったのは。
「あれ? これ……」
いつも見る幼い自分と、エミヤではない。どこかの洋館の前で本を持って佇んでいる少年がひとり、写っている。
緊張しているのかその表情は少々硬かった。
白銀の髪に鋼色の瞳、ベストに半ズボン姿の褐色の肌の少年―――――。
ぴん、とセタンタはひらめいた。
「エミヤか!?」
「ご名答」
兄が迷惑そうな顔でセタンタの手を肩から払う。
「というか、ここまで特徴が一致してて気づかなきゃ嘘だな」
いつものからかうような口調にもセタンタは反応しない。ほー、と目と口をまんまるく開けて写真の中の少年を眺めていた。
その赤い瞳はきらきらと輝いていた。
「このエミヤ、オレと年、同じくらい?」
「そうだな。今の君とちょうど同じくらいだと思うよ」
「へえ……」
つまりこれは昔も昔、十年以上前のアルバムなわけである。どうりで古ぼけた感じがするわけだ。
ふんふんとひとり納得しながら、セタンタはページをめくる。次のページも一面エミヤ少年の写真。いまだ表情は硬いが、微笑っている写真もある。それは今のエミヤに似ているような、どこか遠いような不思議な表情だった。
でも。
「エミヤだ」
言って、セタンタはにこりと笑う。エミヤは不思議そうな顔をしてその笑顔を見た。
セタンタの見たことがないエミヤでも、エミヤはエミヤだ。ずっと変わらない、きれいだ、とセタンタは思う。
無性に機嫌がよくなって、鼻歌を歌いつつセタンタは次のページをめくった。
「……あれ?」
みゃあん、とこねこさんがぺたぺたとやってくる。手を止めたセタンタを見上げて、その手をぺろりと舐めてふんふんと匂いを嗅いだ。それで覚醒したように、セタンタは一枚の写真を指差す。
「これ、オレ?」
そこにあったのはエミヤ少年ともうひとりの青い髪の少年が笑って並んでいる姿。確かにセタンタによく似ている。
青い髪の少年は、にっと歯をむきだした満面の笑みでエミヤの肩を抱き、エミヤ少年は少し照れたように、それでもうれしそうに笑っている。本はもう、その手にはない。
エミヤはうん?とその写真を覗きこむと、ああ、とうなずいた。何故だか苦笑している。
「それはな、セタンタ」
「うん」
「君の兄だ。ランサーだよ」
「……っえ」
ぴたり、と。
写真の上をさ迷っていたセタンタの指先が、ちょうどランサー少年の上で停止した。しばらく停止した後、ねじ巻き人形のようなぎこちないしぐさでセタンタはエミヤとランサーを交互に見やる。
その顔は魂が抜けたように呆然としていた。
「―――――えええ!?」
邸宅中に響き渡る絶叫。
セタンタはわたわたと手を振り回し、だって、これ、オレ、だって、これ、兄貴?などと支離滅裂な言動を繰り返している。まあ、そうなるのも無理はないかもしれない。なにしろランサー、クー・フーリン少年とセタンタはとてもよく似ていた。
多少クー・フーリン少年のほうが見た目に野生的ではあるが、多少だ。金の髪留めを赤いリボンに変えれば、もうほとんどセタンタだと言ってしまって問題はない。
いや……兄が先に産まれたのだから、セタンタが兄にそっくりだと言えばいいのか?
とにかくふたりはまるで双子のようによく似ていた。
「ふむ、こうして見るとやはり君たちはよく似ているな」
「そうか? オレのほうが年の割には大人っぽいだろ」
「……変わらないと思うが」
変わらない。
まったく、変わらない。
呆然とするセタンタの前でなにやら話している幼なじみふたりは、ぽつりとセタンタが漏らした言葉を聞いてそろって目を丸くした。


「オレも大きくなったら兄貴みたいになっちゃうんだ……」


「てめ、このガキなんだその言い様は喧嘩売ってんのかコラ」
最速でいちゃもんをつけた兄に言い返すこともせず、セタンタは落ちこんでいる。その小さな肩が余計に小さく見える。
「なにかといえばエミヤにいたずらしたり、ちょっかいだしたり、ろくでもないことばっかりしてるだめな大人になっちゃうんだ……」
「セタンタ、そんなことはないぞ。君は立派な大人になる。この私が保証しよう」
「エミヤよ。それはオレを遠回しに非難してることにならねえか」
「あ、いや、そういうことではなく! 決してそんなことはないぞ、ランサー!」
慌てるエミヤ、ふてくされたように横を向くランサー。落ちこむセタンタとどちらを優先したらいいのかわからず、エミヤは兄弟の間でおろおろと右往左往した。
その手がアルバムに触れて、は、とエミヤは気づく。
「セタンタ」
体育座りをして影を背負ってしまったセタンタに、エミヤはアルバムのとある一ページを差しだす。
「これを見てみるといい」
「……?」
のろのろとした速度でエミヤの指差す写真を見たセタンタは、暗さを宿していた表情をわずかに変えた。
「……エミヤ?」
それはエミヤ少年のアップ。今までのどこか硬い表情と比べて、その表情は年相応の少年の顔だ。どこか照れたようにその頬はほのかに赤い。その頭には、誰か大人のものらしき大きな手が乗っていた。
「この手が誰の手だかわかるか?」
「……ううん」
「小父様だ。君の父様だよ」
セタンタは、目を見開いた。
ばっとエミヤの手からアルバムを受け取ると、まじまじとその写真を見る。
大きな手に頭を撫でられて、くすぐったそうに目を細めて笑っているエミヤ少年。骨ばっているが、やさしさに溢れた大きな手は、実にいとしそうにその頭を撫でている。
ふたりの笑い声が聞こえてきそうな一枚だった。
「小父様は、よく私の頭を撫でてくれた」
エミヤはまじまじと写真に見入っているセタンタの頭を同じように撫でながら語りかける。
「その手はとても大きくてやさしくて、私はそれをいつも心待ちにしていたものだよ」
「……だから?」
「だから、私も小父様にならって大切な存在にはいつもそうするようにしているんだ」
君のことだよ、セタンタ。
セタンタはぱあっと顔を輝かせる。
「あのな、エミヤ、オレな」
「ああ」
「エミヤに頭撫でられると、すごくうれしい」
そう言って、セタンタはとろけるように微笑んだ。まるで、写真の中のエミヤ少年のように。
「エミヤも、うれしかったんだな」
「ああ、そうだ」
へへへと笑うセタンタ。微笑むエミヤ。
遠くからそんなふたりを見やるランサーの顔も、どこか安らかに笑んでいた。
「私の大事なセタンタ」
大きな手にくしゃりと髪をかきまぜられて、セタンタは声を上げて笑った。



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