縁側で足をぶらぶらとさせていたセタンタは、かすかに聞こえてきた声に耳を澄ませる。
エミヤの声だ。それはすぐわかった。うたごえ。
エミヤは低く甘い声で、セタンタの知らない言葉で歌を歌っていた。
知らないはずなのに、どこか懐かしいその歌。ずっと聞いていると頭がぼうっとなってくる。聞き惚れる。静かな旋律よりは元気な音を好むセタンタだったが、その歌には素直に聞き惚れた。
「―――――」
どこか遠くを見ながらエミヤが歌い終える。そっと目を伏せて、書類の束をちゃぶ台の上に置いた。
余韻を残すような鋼色の瞳。それにしばらく見惚れたあと、セタンタは思わず拍手をしていた。
ぱちぱちぱちぱち。
立ち上がって小さな手を叩き合わせて、派手な音を出す。きらきらと目を輝かせるその様子に、エミヤは驚いたようにまばたきをした。セタンタ、と名を呼ぶあいだに走り寄ってきたセタンタはエミヤの膝の上に熱を持った手を乗せると、その顔を見上げ素直な賞賛をぶちまけた。
「な、な、な、エミヤ、いまの歌すごくよかった! オレびっくりした! なんて歌? どこで覚えたんだ?」
一気に早口で、息継ぎなしで。まさにぶちまける勢いで言ってのけたセタンタは、大きく温かいエミヤの手の上に、いまだ熱の引かない手を移動させた。ぎゅうと握って期待する目で見上げる。
エミヤが質問に答えてくれることを。
あわただしいその矢継ぎ早の質問にエミヤは驚いたようにまだまばたきをつづけていたが、ようやっと意味を理解したように眉を寄せて笑った。エミヤはときどきこんな風に困ったように笑う。
「ずっと聞いていたのか?」
「途中からだけど。でも、すごくきれいな歌だった」
すごくやさしい歌だった。
セタンタは言う。
エミヤのように大きくて、きれいで、それでいてどこかはかない。やさしい、歌だった。
「な、エミヤ、なんて歌なんだ?」
その問いに、エミヤはますます困ったように笑う。首をかしげてなにか答えを探すように目を細めた。
セタンタはわくわくと答えを待った。
「……わからないんだ」
「え?」
わからない?
予想外の答えに、セタンタはきょとんと目を丸くする。タイトル不明?そんな単語がふと頭の中に浮かぶ。エミヤはその頭を撫でながら、少しかすれた声でつづける。
「これはな、セタンタ。小父様……君の父様が私によく歌ってくれた歌なんだ」
写真でしか知らない父。
エミヤはよく、その父のことを語る。セタンタに教えてくれるように。
「親父が?」
なんと呼んでいいかはわからなかったから、兄が言うように真似るとエミヤは驚いた顔をして、それからまた苦笑する。そしてああ、とうなずいた。
「君の父様は、歌うのが好きだった。勇ましい歌、楽しい歌、悲しい歌などいろいろな歌を歌ってくれたよ。その中でも一番よく歌ってくれたのがこの歌なんだ」
「へえ……」
「いまの君のように私が何の歌なのだと聞いても、古い歌だからなと笑って教えてはくれなかった。本当に知らなかったのか、それともふざけていたのか。いまとなってはわからないが」
少し兄に似たような性格なのだろうか。
知らぬ父を、そうイメージづけてセタンタは考える。歌が好きで、エミヤの頭をよく撫でてやったという父。陽気な性格だったのだろう、おそらくは。
なんとなく不思議な気持ちになって、セタンタは父のことを語るエミヤを見る。
その顔はひどく懐かしそうだった。
エミヤの歌を聞いていたときのセタンタに似て。
「なあ、エミヤ」
「うん?」
「オレもその歌、覚えたい」
エミヤは軽く目を見開いた。その隙をつくように、身を乗りだしてセタンタは言い募る。
「それでエミヤに歌ってやりたい。オレは親父じゃないけど、エミヤに歌ってやりたい。エミヤ、この歌好きなんだろ?」
「あ、ああ」
「だったら、きちんと覚えて、それで」
エミヤに歌って聞かせてやりたい。
手をぎゅうと握る。
その手に一瞬視線を落として、それからすぐにエミヤはセタンタのほうへと視線を戻す。鋼色の瞳はどこか揺らめいているように見えた。
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
―――――ふ、と。
エミヤは、笑った。
「そうか」
セタンタはぱあっと顔を輝かせる。そしてぐんぐんぐん、と何度も大きくうなずいた。
「異国の歌だからな。少し難しいぞ?」
「おぼえる!」
「私はあまり歌が得意ではないが……」
「そんなことない!」
すごく上手だった。
セタンタはそう言うとエミヤに飛びつく。温かな体温が服を通して伝わってきて、エミヤの匂いがして、セタンタは目を閉じる。
とても安らかな気持ちになった。
そっと大きな手が頭の上に乗せられる。ならば、聞いて覚えるのがいいか。そう声が聞こえ、やがて先程の歌がセタンタの耳へと届いてきた。
やさしく、懐かしい。はかない、うた。
それに耳を澄ませて不器用にハミングで後を追いながら、音を外しながらもセタンタは一緒に歌った。
いつかきちんとエミヤに歌ってやれる日がくることを思いながら。
エミヤが聞いて、笑ってくれることを想像しながら、名前も知らない歌を歌った。



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