めずらしいものを見た。
「―――――」
ランサーは手土産の大判焼きをちゃぶ台の上に置くと、柱に寄りかかって寝ている幼なじみを見やる。少しだけ休憩のつもりだったのか、眼鏡をかけたまま髪も上げた状態でうたた寝をしている。膝の上にはこねこさん。
めずらしいものを見た。
「―――――」
にやり、と笑うとランサーは上着を脱ぎ、放り投げるとそれきりその存在を忘れた。大股に隣まで歩いていくと―――――。


「エーミーヤー!」
セタンタは鼻歌を歌いながら廊下を行く。
ただいまっといつものように笑顔で襖を開け放った瞬間、びよんと短いしっぽが逆立った。
「……な」
眠っているエミヤ。それはいい、それはいいのだ。問題は、その隣。
「なにしてんだよ、バカ兄貴!」
大声で叫ぶと、赤い瞳が半分開いてセタンタを見た。ワン、ツー、スリーカウント。またゆっくりと閉じた瞳に激昂し、セタンタは兄の胸ぐらを掴む。幼く丸いけれど力強い手で。
なんでだ。何故、何故兄がエミヤの隣で寝ている。それも、ふたり寄り添って。がくがくと揺さぶられてまた、まるで面倒だとでも言うかのようにランサーが赤い瞳を半分開けた。すかさずセタンタはその顔を覗きこむ。
「んだよ……うるせえなあ」
「なんだよはこっちのセリフだ! なんで兄貴がエミヤと一緒に、」
言いかけて口を手で覆われる。骨ばった長い指が、てのひらが鼻までを押さえてしまって、セタンタは目を白黒させる。
そんな様子を大して面白くもなさそうに見ながら、ランサーはしい、と唇の前に人差し指を立てた。
「エミヤが起きる」
「…………!」
それは魔法の呪文。
みるみるうちにおとなしくなったセタンタを解放すると、ランサーはぐいとエミヤの肩を抱き寄せた。
「こいつも毎日忙しくて疲れてんだろ。たまには休息が必要だ」
「……それでなんで兄貴が添い寝してんだよ」
「安らぐには人の温もりが大事ってな」
抱き寄せた肩をぽんぽんと叩いてやりながら、ランサーは意地悪そうに微笑む。
セタンタは眉をきっと吊り上げると、
「お?」
素早く、兄とは逆のエミヤの隣に陣取った。そしてその体にむしゃぶりつくように抱きつく。しがみつく。そして面白げに自分を見下すランサーを睨みつけた。
「オレだってエミヤをあっためてやれる!」
叫んだ。小声で。
「エミヤを安らがせてやれるのは、兄貴じゃなくてオレだ!」
言って、ぎゅうぎゅうとエミヤを抱きしめる。時折背中を撫でてやったりなんかして。
ほう、と小さくつぶやいたランサーは、笑みを浮かべたまま秀でたエミヤの額に唇を落とす。あっ、と小さな声が聞こえたがそれは無視され、何度もくちづけは落とされた。
「ガキにゃ出来ねえだろ?」
「…………ッ」
悔しそうに歯噛みすると、セタンタはふと思いついたように立ち上がった。
そして閉じたままのエミヤのまぶたにそっと唇を落とす。それから、頬に。またまぶたに、頬に。
唇が離れたあとのエミヤの寝息はどこまでも安らかだ。
セタンタは胸を張る。
「どうだ!」
半眼でそれを見ていたランサーだったが、
「あっ!」
薄く開いた唇に寄せられていく唇に、声を抑えることも忘れてセタンタは叫んだ。このエロ兄貴!と腕を振り回して駆け寄っていくが、ランサーの行動の方が早い。顎を押さえてエミヤから引き離そうと目論んだセタンタだったが、間に合わないと知るとぎりぎりと歯噛みして―――――


「あ」
薄く開いたエミヤの鋼色の瞳に、体の強張りを解いた。
「お」
ランサーも顎に手をかけたまま、小さく声を上げてその瞳を見る。
エミヤはぼんやりとした様子でふたりを見ると、しばらく黙って。……怒られる……そう思った兄弟に、低く、静かに告げた。
「こねこさんが起きる……静かにしたまえ」
ことん。
「…………」
「…………」
そう言ってまた眠りに落ちたエミヤに、兄弟はしばし動きを止める。赤い瞳を、顔を見合わせて。
「これだからこいつからは目が離せねえんだよ……」
「……オレもそう思う」
自分より、猫のこと。
自分の危機になどまったく気がついていないのではないか?
おとなしくふたたびエミヤの左右に陣取った兄弟は、複雑な思いを胸に抱きながら、健やかに眠る彼にそれぞれの方法で抱擁を施したのだった。
心配しつつも、やることはやる兄弟だった。



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