「これでいいかな、エミヤ」
言われて、ボウルの中を覗きこむ。泡立て器を手にして生地の固さを確かめた。落ちる生地でくるりと円が書ける。
エミヤは満足そうに微笑むと台に乗ったセタンタに向かってうなずいてみせた。
「充分だ」
初めてにしては上出来だと言われ、ぱあとセタンタが表情を明るくする。いつものようにしっぽを振ろうとしてやめたのは調理中だからだろう。髪が生地の中に入ってはまずいと思ったのだ、おそらくは。
表情を引きしめてボウルを持ち直したセタンタに、エミヤは微苦笑した。


“エミヤ、オレにも簡単に作れるおやつってあるかな”
息を切らせて早めに帰ってきたセタンタが発した言葉に初めエミヤは戸惑った。何故セタンタが急にそんなことを言うのかと考える一方、もう一方では彼の要望通り初めてでも簡単に作れる菓子の類いを考えていたからだ。
ゼリー……は季節外れだ。杏仁豆腐も似たようなものだし、このまえ作ってやった。みたらし団子や白玉も意外に簡単だが、どうも派手さに欠ける。やはり洋菓子、焼き菓子か。
ぽん、とエミヤは手を叩いた。
“それなら―――――……”


それで、マドレーヌというわけだ。
クッキーも考えたがあれは結構手間がかかる。それに生地をこねすぎると固くなるし、その見極めが初めてでは難しいだろう。焦げるということもある。
難しいのではないかとしきりに心配していたセタンタだったが、やってみると案外器用にこなした。ただ、薄力粉とベーキングパウダーを合わせてふるうという作業のときに「ふるうってなに?」と衝撃の発言(エミヤにとっては)を落としたのだけれど。
教えたときも「一緒の袋に入れて振ればいいのか?」とまたも衝撃の発言をして、エミヤを瞠目させたのだが。
まあ、料理というものはやってみないとわからないものである。あれをこうする、どうするなどと、口で言ってもわからないことが多い。 エミヤも昔はそうだった。
エミヤの初めて作った料理を食べてくれたのはランサーで、きっとまともに食べられたものではなかったと思う。それでもランサーは何ひとつ文句も言わずすべて平らげてくれた。
そして、笑って、美味かった、と。
「エミヤ」
「うん?」
「ここにこれと、さっきの粉入れればいいのか?」
「ああ、そうだ」
あとは溶かしバターも。
「混ぜすぎなくともいいんだぞ」
「わかった!」
元気よく答えると、セタンタは泡立て器を手に生地を混ぜだす。さくさく、というよりはざくざく、というほうがふさわしかったがいいだろう。勇ましくていい。
そのあいだにエミヤは型を用意しておく。あらかじめバターを塗っておいたものをだ。
セタンタが舐めて、気に入ってしまったときはどうしようかと思ったが懸命に言い聞かせてやめさせた。行儀が悪い、だとか体にも悪い、だとかいろいろなことを言った気がする。ランサーも昔……ああ、それはいい。調理中だ、今は。
「中に入れればいいんだよな」
「そうだ、焦ることはないぞ。ゆっくり、慎重に」
「……なんか、ちょっとどきどきするな」
「そうか?」
「失敗したらと思うとさ、なんか」
「大丈夫だ」
君なら出来る、とエミヤは微笑む。今日は本当に笑ってばかりだ。驚かされることもあったけれど、セタンタのすることはどれもこれもひどく微笑ましい。思わず顔がゆるんでしまう。
と。
「…………」
セタンタが顔を真っ赤にしてエミヤを見つめている。その手から、ボウルからはとろとろと生地が流れだして、とうとうと河を。
大河を。
「セタンタ!」
「えっ!? あっ、うわ!」
……そんなこんながあったけれど。
無事、マドレーヌは焼き上がった。焦げることもなく、串を刺して確かめてみたところ、生焼けの風もなく。甘い匂いが台所に満ちて、セタンタはすんすんと鼻を鳴らす。そして、笑って。
「どうだ、エミヤ」
「ああ、上手く出来ていると思うぞ」
「へへ」
山と積み上がったマドレーヌの前に行くと、セタンタはなにやら物色し始めた。あれでもないこれでもない。
不思議そうに見守るエミヤの目前でしっぽがびよん!と逆立った。
どうやら、決まったらしい。
「エミヤ、はい」
「私に?」
「うん!」
満面の笑みと共に手渡されたマドレーヌは、まだ温かかった。甘い香りがふわりと漂う。期待の視線を感じながらひとくち食べてみると、ほどよく甘く、やわらかく。
素直に美味だった。
「どう思う……?」
「うん」
ああ、本当に。
「美味しいよ」
今日は、笑ってばかりだ。
セタンタは心配げだった顔を輝かせると、抱きついてきた。その体は、エミヤが手にした菓子のように甘い匂いがした。


「いつもエミヤに作ってもらうばっかりだったからさ」
マドレーヌを口にしながらセタンタが言う。
だから、と頬張りながら。口端につけたくずをエミヤは取ってやる。そして当然のように自らの口へ運んだ。
「だからさ、オレも、エミヤになんか、してやりたいな、と思って」
「それで突然あんなことを?」
「うん」
いまやセタンタの機嫌は絶好調のようで、しっぽがぶんぶんと振られている。せわしなくしゃべりながら話すので口端にやたらとくずがつく。
「エミヤの喜ぶ顔が見たかったんだ」
それがオトコのカイショーってもんだろ?
そんなことを言うので。
「…………!」
ぺろりと指先を舐めると、わずかに赤くなってエミヤは笑う。眉を寄せて。
口端にくちづけられてくずを取っていかれたセタンタは、先程よりも顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を開け閉めした。
さすがに恥ずかしくなって、エミヤはその口にきゅっと小さめのマドレーヌを押しこむ。反射的にセタンタはそれを飲みこんだ。
もっきゅもっきゅ。
ごくん。
「美味しいだろう?」
「……うん」
「うれしかったよ」
「……うん」
へへ、と笑って、セタンタは首をかしげた。
ああ、もう、本当に。
この子供は、愛しくてたまらない。


「お、今日はこんなもん作ったのか」
深夜やってきたランサーが皿に盛られたマドレーヌに手を伸ばす。
残り少なくなったそれをひとくち齧ったとき、眼鏡を外したエミヤは何気なく告げた。
「ああ。それはセタンタ手製だぞ」
「げ」
眉間に皺を寄せてつぶやいたランサーに、笑みを浮かべてエミヤは言う。
心の底からの笑みで。
「一生懸命作っていた」
「オレはおまえの手製のもんが食いたかったんだがな」
「また今度作ってやろう」
いつでも、機会はあるのだから。
そう言うとまた書類に向かったエミヤは真面目な顔を作りながらも、背後でマドレーヌを齧っているランサーに笑いが隠せない。
彼とて、結局は。
なんていとしい兄弟なのだろう。
口の中に、記憶に残るやさしい甘さが疲れを取ってくれる。さてもうひとがんばりするか、とエミヤは腕をまくってペンを取った。



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