午後二時をすぎたころ、ランサーがバケツを持ってやってきた。
土産だ、といって置かれたそのバケツの中に泳いでいたのは、
「―――――鯖か」
「―――――鯖だ」
最近よく釣れてな、というランサーの趣味のひとつが釣りである。何事にも淡白なように見える彼だが意外と多趣味なのだ。
エミヤはふむ、と顎に手を当ててうなずいた。
「鯖ならいろいろな調理法がある。竜田揚げ、塩焼き、南蛮漬け……洋風ならムニエルという手もある。ああ、セタンタは味噌煮が好きだったな」
「楽しそうだよな、相変わらずよ」
「うん? ああ、料理は私の趣味だからな」
にっこりと笑みを見せたエミヤに、何故だか呆れたような目をしてみせるランサー。その理由がわからず首をかしげると彼は首を振り、
「ああ、いい、いい。おまえはそのままでいろ」
「…………なんだか失礼なことを言われているように感じるのだが? ランサー」
「そんなこたねえよ。オレはそのままのおまえが好きだってことさ」
そう言うとエミヤの髪にくちづけをした。そしてちゃぶ台の前にあぐらをかく。
「とりあえず茶でも煎れてくれよ。おまえの煎れた茶が飲みてえ」
くちづけられた髪をぱさぱさとかき回していたエミヤだったが、その言い様に微苦笑するとバケツを脇にどけて立ち上がった。
「まったく、缶コーヒーばかり飲んでいたのだろう? ああいったものはあまり体によくないのだから……」


「わあ!」
やがてセタンタが鼻歌と共に学校から帰ってくると、エミヤは満面に笑みを浮かべてランサーの戦果を見せた。なんで兄貴がいるんだよ、とお決まりの怒りを見せたもののそれを見ると怒りはどこかへ飛んで行ってしまったようだ。
「なんだこれ! 魚?」
「見りゃわかるだろ、ガキ」
「…………」
「鯖だ、セタンタ。君は味噌煮が好きだろう?」
むっと兄を睨みつけていたセタンタは、ぱっと顔を輝かせる。うんうんうん、と何度もうなずく。
「オレ、エミヤの作ってくれた味噌煮好きだ! 毎日でも食べたい!」
「そうか」
そう言ってもらえるとうれしいな。
ほんわかした空気が漂ったところで、ぼそりとランサーがつぶやく。
「その年でそんなことを言うたあ、末恐ろしいガキだな」
「え?」
「何故だ? ランサー」
「なんでもねえよ」
汁と煮の違いがあるにしてもなー。
そんなことを言いながらランサーはエミヤの顎にくいと指先を当てて、
「オレもおまえの作った味噌煮が毎日食いてえな、エミヤ」
「あ? ああ、毎日とは行かないが、出来る限りは作るぞ?」
「……っの、エロ兄貴!」
急所、弁慶の泣き所を狙って繰り出した蹴りはしかし華麗にかわされる。勢いのままセタンタはすてんと転がった。
それがよほどツボにはまったのか、ランサーは思いきり噴きだすと腹を抱えて笑いだす。
呆然と畳の上で大の字になっていたセタンタはその笑い声を聞いて起き上がる。顔が真っ赤だ。ついでに目も。
らんらんと怨嗟に輝く赤い瞳は末恐ろしいものを感じさせる。
「この、バカ兄貴!」
「いつまでも卑怯な奇襲攻撃がこのオレに効くと思うなよ?」
「卑怯じゃない! 卑怯じゃない!」
「ああ? 卑怯だよなあ、なあ、エミヤ?」
じっと兄弟に見つめられて、エミヤは目をまばたかせる。そして、視線をさ迷わせると。
「そうだセタンタ。今日は豆大福をセイバーにもらっ…………」
「「話を逸らすな」」
首をすくめるエミヤ。
兄弟ににじり寄られておろおろと視線をさ迷わせる。
眉を寄せて、ぼそぼそとつぶやいた。
「卑怯……でもあるし、そうでないとも言える」
「はあ?」
「あ、エミヤ、それずるいぞっ!」
「君たちが喧嘩をしなければいいのだよ!」
あ。
切れた。
めったに切れることがないだけに、切れたエミヤというのはおそろしいものだというのが兄弟そろっての見解だ。
ぷいとそっぽを向いたエミヤに、兄弟は慌ててご機嫌を取り始める。
「エミヤ、オレたちが悪かった。なるべくしねえようにするからよ、機嫌直せ。な?」
「なるべくじゃだめだろ兄貴! な、エミヤ、しねえから、も、絶対しねえから、怒らないでくれよ。な?」
「……今日の味噌煮はなしだ」
「そりゃねえぜ、エミヤ!」
「エミヤ、ごめん! まじでごめん! しないから、もうしないから!」
―――――懸命の説得は一時間強にも及び、無事に夕飯の献立は鯖の味噌煮となったそうだ。



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