ふ、とセタンタは目を開ける。毛布だけがかけられていて隣にエミヤの姿はなかったが、まだぬくもりは残っていた。
満足そうに彼は笑う。ちゃぶ台の上に置かれた眼鏡。きっとなにか用事があって仕方なく目を覚まして出かけたのだろう。
いまは、それでいい。仕方ない。うんうん、とうなずく。休みなく働いていたエミヤが、少しでもセタンタの隣で眠ってくれるように、休んでくれるようになったのだ。それでいいではないか。
セタンタはなるべく休みの日はエミヤの部屋ですごすようにしている。なに、邪魔はしない。本当に忙しそうなときは見ているだけだし、一段落ついたところを見計らって声をかけるようにしているから大丈夫。
エミヤはよく困ったように笑うけど、その笑顔にも二種類あることに気づいた。
本当に困ったようにせつなく笑うのと。
仕方ないなあ、というように笑うのと。
セタンタが一緒に休もうとねだるときは後者だ。見ているほうが寂しくなるような前者ではない。前者の笑顔を見るとセタンタの心にはぽかりと穴が空いたようになる。ああ、こんな顔をさせてはいけない。好きな相手に、こんな顔をさせてはいけないのだ、と思う。
だからセタンタは努力するようにしている。
エミヤに、せつない顔をさせないように。
時計の針がちくたくと鳴っている。見てみると、二時半をすぎていた。
昼食を摂ってからすぐだから、二時間弱は休憩出来た計算になる。まずまずだ。
エミヤは夜遅くまで起きていることが多いから、昼間にも少し仮眠を取ったほうがいい。と、セタンタは思う。そうでなくとも仕事に、家事、セタンタの教育係と何役も兼ねていて忙しいのだ。
休んでほしい。セタンタは、そう思う。
さてと、とセタンタは毛布にうずもれてため息をつく。この時間ならもう少し待てばエミヤは戻ってくる。だから待とう。
―――――と、セタンタはくん、と鼻を鳴らした。
やわらかい毛布から、やわらかい匂い。不思議に思ってくんくんと鼻を鳴らす。なんだろう。エミヤの部屋の毛布は桃色で、空色のセタンタのものとは大きさも柄も違う。だからだろうか、だから、なにか違うのか。
くんくんくん、と鼻を鳴らしたとき、は、とセタンタは気づいた。
そうか。
エミヤの匂いだ。
エミヤがいつも使っている毛布だから、エミヤの匂いがするのだ。気づくとそれしか考えられなくなって、ひとりセタンタはぐんぐんとうなずく。
ちなみに兄がたまに無造作にかけてくる上着からは、煙草の匂いがする。あれはよろしくない。
「そっか」
エミヤの匂いだ。
ひとり、セタンタはつぶやいた。鼻先まで毛布を持っていって、匂いを嗅ぐ。
抱きついたときなどに感じるエミヤ自身の匂いではないけれど、よく似ている。とてもやさしい匂いだ。
たとえるなら、石鹸の匂いと料理の匂いが混じった匂い。
「エミヤ」
鼻先を毛布にうずめて、つぶやく。いとしい匂い。
エミヤの。


「―――――……ンタ」
「んー……」
「セタンタ」
今度ははっきり聞こえた。セタンタは素早く目を開けて、体を起こす。すると顔を覗きこんでいたらしいエミヤは少し驚いたような顔になって、それからふわり、と笑った。
「よく寝ていたな。気分はどうだ?」
「え、あ」
寝ていた。
のか、自分は。
セタンタは決まりが悪くなってぽりぽりと頭を掻く。きっとエミヤの匂いに心地よくなっていつのまにか眠ってしまったのだろう、そうだろう。
うんうんとうなずくセタンタに、エミヤはいまだ不思議そうな顔だ。
「三時をすぎたぞ。今日はわらび餅を作ってみた」
「ほんとか!」
「ああ」
うれしくなってセタンタはぱっと笑う。ほら、と差しだされたエミヤの手を取った。一緒に台所まで向かうのだ。
と。
「セタンタ?」
「んー」
背後から抱きつくとエミヤは首だけで振り返って問いかけてくる。セタンタは鼻先を押しつけ、胸いっぱいにエミヤの匂いを吸いこんだ。そして歯を見せて笑う。
「やっぱりだ!」
「うん?」
「なんでもない!」
エミヤは困ったような顔をした。それから、仕方ないなあ、という顔で笑う。
「行こう」
「うん!」
大きな手をぎゅうと握って、セタンタはエミヤを引っ張るように台所へと向かったのだった。



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