「―――――ただいま……」
「ああ、おかえりセタンタ」
玄関の掃き掃除をしていたエミヤは、引き戸を開けるなりがくりと膝をついたセタンタを見て目をむく。
「どうしたセタンタ!? 具合でも悪いのか!?」
「あー、いや。だいじょぶ」
「だが、しかし……」
尋常ではなく顔色が悪いではないか、とあたふたするエミヤの手をぎゅうと握って、エミヤ、とセタンタは絞りだすようにつぶやいた。
「ど、どうした」
「オレ、がんばった」
「え?」
「オレ、エミヤのために、オレのために、がんばったからな」
握る手に力がこもる。熱っぽいセタンタの視線。
エミヤは。
無言でその顔を見つめると、真顔で額に手を当てた。


時はわずかにさかのぼる。
桜とライダーに連れられて柳桐寺までやってきたセタンタは、やや臆していたものの境内にまで足を踏み入れると心を決めた。
確かに、相手は魔女だが。魔女であるが、なにも出会った相手に無差別にあの薬を飲ませるわけではない。そうだ、今セタンタは健康だ。とすれば魔女などおそるるにたらず。
うん、魔女なんて怖くない!
「おや、キャスター」
びよん!
……条件反射というのはおそろしいもので、思わずしっぽが勢いよく逆立ってしまった。
「桜さんにライダー、よく来……あら?」
伴侶の古着を改造して作ったといういつもの格好で境内まで下りてきたキャスターは、硬直したセタンタを見て、片眉だけを器用に跳ね上げる。
怜悧な美貌がそうすると少し尖りを帯びた。
そんなもの、そんなものセタンタは怖くはないが。
(魔女やっぱこええええ)
―――――刷りこみというのも、おそろしいもので。
キャスターの美貌すら、あの丸薬に見えてくるのだから不思議なものだ。こわくないこわくないこわくない、と呪文のように内心でとなえるセタンタを心配そうに見やるライダーの前に出て、桜はキャスターに一礼した。
「こんにちはっ、キャスターさん! あの、今日は、実は」
「めずらしい顔がひとつあるわね。どうしたのかしら? また薬を処方してもらいにきたの?」
「ちがっ」
「あ、あの、ちが、違うんです!」
慌てて叫ぶセタンタに桜。キャスターは眉間に皺を刻む。
「桜さん? 一体これはどういうことかしら?」
桜は一生懸命に説明した。かくかくしかじか。
「坊やの想い人?」
ああ、とキャスターは納得したように笑う。形のいい唇が蟲惑的に吊り上がった。
「あの教育係ね」
「知っていたのですか、キャスター」
「こう見えてもこの坊やのお家とは付き合いが長いのよ。そうすればね、自然とわかってくるものなの」
というか、あからさまなのよね、兄弟そろって。
そう言うとキャスターは馬鹿にしたようにセタンタを見る。セタンタは思わずむっと頬をふくらませた。
魔女に言われたくない。
「でも、そうね。確かに坊やの恋愛談には興味があるわ。……よろしい。特別に参加を認めましょう。ただし今回だけよ?」
これは女の子の集まりなんですから、と言われてふたたび複雑な気分になりつつも、セタンタはガッツポーズを取った。
「よっし!」
「よかったね、セタンタくん」
「うん!」
「さ、いらっしゃい。今日のためにいい茶葉を用意したのよ」
「あ、わたしマフィン焼いてきたんです! よかったら、ぜひ」
「まあ、桜さんてば相変わらず気がきくわね」
いいお嫁さんになるわいやだキャスターさんたらやめてください照れちゃいます、あははははうふふふふふ。
「セタンタ?」
「あ、うん、今行く」
ちょっと、後悔したかな。
なんて思ったセタンタだったが、ぶんぶんと首を振ると勢いよく本堂の方へと向かって駆けだす。
ライダーは不思議そうにその様子を眺めていたが、その後を追うようにゆっくりと文庫本を開きながら歩きだした。



back.