セタンタは、中学に入ってからぐんぐんと背が伸びた。それはランサーも驚くほどの成長っぷりだった。
“……おまえ、飯になんか混ぜたんじゃねえのか?”だなんて。
不名誉な疑いをかけられたりしたけれど、どうでもよかった。だってそんなことはないとランサーだって本当は知っていたのだし、それでもなにか言ってみたくなっただけなのだろうから。
だから、許した。
それから、高校になって。
「エミヤ―――――!」
ぱん、とシーツを張っていたエミヤは、己の名を呼ぶ声に振り返る。するとそこには学生服を着た愛しい子供の姿があった。
いや―――――もう、彼は子供ではない。
“エミヤ!”
薔薇色の頬を上気させて、嬉々としてエミヤの名を呼んでいた子供では、ないのだ。
エミヤは振り返ったまま微笑む。
「おかえり、セタン……」
タ、と締めの言葉が宙に浮く。空の青とシーツの白が目に焼きついていたところに、学生服の黒が視界いっぱいに広がった。
さらりと青い髪が前に流れて頬をくすぐる。
「こら」
「ただいま、エミヤ」
その声から、幼いころの甲高さはなくなった。声変わりも済ませてますます彼は大人らしくなった。
まだエミヤより数センチ背は低いが、ここのところの成長ぶりならいつか抜かれるだろう、とエミヤは思っている。
「学校はどうした? ずいぶん早い帰りだが?」
「ん、テスト期間でさ。今日は三教科済ませてきた。……昨日言わなかったか?」
「言ったかな」
「エミヤぁ」
しっかりしてくれよ、と笑う。それに嘘だよ、と返してエミヤはシーツを洗濯籠へと戻す。
この大きなかつての冬木の子犬が相手では、せっかく洗ったシーツをだいなしにされかねない。
なんといってもそこだけはまだ子供のようで、スキンシップが激しいのだ。今だって、ほら。
「ん」
ぐりぐりと頭を撫でられて、エミヤは目を細める。押さえつけられるように撫でられ、抗議の意をこめて上目遣いで見上げればかつての子供は歯を見せて笑っていた。
その顔が兄とそっくりで、つい心を奪われる。
「……エミヤ?」
「あ……ああ」
「まただろ」
とがめるような口調。
成長してから、彼は勘が鋭くなった。“エミヤがわかりやすすぎるんだよ”まあ、そんなところもオレ、好きなんだけど―――――とはエミヤの頭を撫でながらの言。
そうやって、感情を素直に口にするのは昔から変わらない。
けれど。
エミヤは、時折少し寂しくなるときがあるのだ。
幼いあの子供と、もっと一緒にいたかった、と。
もっと遊んでやりたかった。頭を撫でてやりたかった。
今の彼は、頭を撫でようとしてもどうも上手く行かない。子ども扱いするなよとふくれて撫でさせてはくれるが、なんだか急に大人びてしまったようでしっくり来ないのだ。
「ほら、エミヤ、またぼーっとしてる」
白い手が視界を遮る。
目の前で手を振られ、はっとエミヤは我に返った。
「あ、す、まない、」
「…………」
彼は沈黙して。
エミヤを、きつく抱きしめてきた。
「あ」
「エミヤ」
「セタンタ……」
「たまには兄貴とオレを重ねてもいいよ。だけど、あんまりそんなことしてるとオレ、少し悔しい」
オレだって大人になったんだ。
ああ、そうだなセタンタ。
もう君はあの日の子供ではない。セタンタ、大きくなったな。
セタンタ―――――


「なに?」
目を開けると、そこには子供がいた。
まさに子犬の名がふさわしい子供は、短いしっぽをぶんぶんと振ってエミヤを覗きこんでいる。
「あ、セ、タンタ?」
「うん、オレここにいる!」
ぶんぶんぶんぶん。
高速で振られるしっぽ。速い。すごく速い。すっごく速い。
「あ……ええと?」
「学校から帰ってきたらエミヤが寝てたから、寝顔見てたんだ。そしたらなんかオレの名前呼んで、何度も呼んでるから」
そばにいたんだ!と子供は笑顔で言う。
気づけば、やわらかくてあたたかい手にエミヤの手は握られていた。小さな手。
エミヤはなんだかほっとして、
「エミヤ?」
その青い頭を撫でた。ゆっくりと、だが確かな感情をこめて。
子供はわけがわからないといった顔をしていたが、やがてその顔が笑み崩れて。
「へへっ」
心底うれしそうに子供は笑った。
それでいい、とエミヤは思った。
なにか寂しい夢を見たような気がするけれど。それでいい、これでいい、と。
そう思って、こぼれるように微笑んで子供の頭をずっと、撫でていた。



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