子供が廊下を駆けてくる気配。
エミヤは眼鏡を直すと、襖の方を見やって微笑んだ。ぱたぱたぱたと軽い足音が近づいてきて、そして。
「エミヤ!」
元気に飛びこんできた子供、セタンタは不思議そうに目をぱちくりさせた。
「なんで笑ってるんだ? エミヤ」
「ああ、いや、うん」
なんでもない、と言えばそっか。と納得するのでその素直さがまたおかしい。笑いを堪えているとセタンタは意気ごんだ様子で、
「エミヤ、あのさ」
「うん?」
「白い便箋持ってる?」
白い便箋。
確かあったはずだ。
「ちょっと待っていてくれ」
そう言うとエミヤは眼鏡を外し、ペンを置いて棚の方へと体を向ける。
「簡素なものになってしまうが、いいかな」
「かんそ? ん、よくわかんないけど白きゃなんでもいい」
「またそれは」
乱暴だな、とくっくと喉を鳴らし、エミヤは便箋を探り当てた。生憎と縦書き用しかなかったが、白ければなんでもいいとたった今言われたところだし。
これでいいのだろうと結論づけてセタンタへと手渡した。
セタンタは受け取ったそれを確認して、顔を輝かせると胸に抱きしめる。
「サンキュ、エミヤ!」
本当に素直だ。
微笑ましいとエミヤが表情を緩めると、セタンタは思いだしたように身を乗りだして。
「あのさ、エミヤ」
「どうした」
「もひとつ、持ってないか」
「……? 便箋を、か?」
さてあったかな、と首を捻るエミヤにセタンタは首を横に振り、
「ピンクのペン!」
―――――。
「いや……悪いが、持っていないな」
「そっか」
「黒ならあるが」
「ピンクじゃないとだめなんだ」
「そうか……」
ここに、と今まで使っていたペンを示したが、しょんぼりとしたセタンタに断られた。勢いエミヤもしょんぼりとなる。
彼に協力できなかった自分が口惜しい。
力不足だ。
「セタンタ……」
済まない、と詫びかけたとき、セタンタが突然顔を上げた。
「あっ、じゃあさ、じゃあ!」
またもや顔を輝かせてなにか思いついた、という様子のセタンタに少々驚きながら、エミヤは問う。
「なにかな?」
「緑のペンは?」
「……ないな」
「銀色の折り紙!」
「……ないな」
「赤いビーズと青いビーズ!」
「……ないな」
「ピンク色のマニキュア!」
「……セタンタ」
エミヤはため息をついた。肩を落としてしょんぼりとした様子のセタンタを指先で招いて、手前に来るように呼ぶ。
素直に彼はやってきた。
その肩を掴んで、まっすぐに視線を合わし、眉間に皺を寄せてエミヤは言った。
「何があったのか。正直に私に話してみる気はないか?」


赤色の表紙の本はずっしりと重く、ぶ厚い。
それにざっと目を通したエミヤはなるほどとつぶやいてセタンタを見る。
「ミミの友達に借りたんだけど。そういえば用意しないといけないもの、オレ全然持ってなかったな、って」
エミヤの腕に絡みつくように腕を組んだセタンタは、難しい顔をしてほらここ、と“恋に効くおまじない”の欄にずらり書かれた一覧を指す。
「…………」
「なんでエミヤとの絆を深めたいだけなのにこんなにいろいろ用意しないといけないんだろうな? 不思議だよな」
「なあ、セタンタ」
「ん?」
なんだ、と首をかしげたセタンタに。
エミヤは真面目な声で。
「私にはよくわからないが、こういったものは相手にばらしては効果がないのでは……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あ!」
エミヤは眉間の皺を指先で揉んで、再度ため息をついた。
まったく、素直すぎる。
けれどここで嘘をつけるようならそれはセタンタではないと、思ったことも確かだ。



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