「ただいま、エミヤ!」
いつもの声。襖を開けてにかっと笑う。エミヤは眼鏡姿のまま微笑みを返した。
「おかえり、セタンタ。大事はなかったか?」
「うん」
ランドセルを脱ぎながら歩み寄ってきて、すとんと隣に座りこむ。うずうずとなにか言いたげにしているから、エミヤはさりげなくうながした。
「どうした?」
「あ、うん。えっと」
「言いよどむなど君らしくない。なにかあるなら言ってみたまえ」
うん、とうなずくと、セタンタはエミヤの肩に手を伸ばす。
小さな丸い手が肩に触れた。
そっと。
上目遣いでセタンタはつぶやく。
「エミヤ、肩こってないか?」
「肩?」
また唐突に。
目をぱちくりとさせるエミヤに、セタンタは意気ごんで身を乗りだす。
「エミヤさ、いつもいつも仕事や家事ばっかりしてるだろ」
「それは、まあ」
けれど好きでやっているから、かまわないのだが……。
それを言いだすには少し遅すぎたようだ。セタンタの目はきらきらと輝いて、却下なんて受けつけません。といった雰囲気である。
「だから、男のカイショーとして! 肩でも揉んでやろうかなって」
思って。
ぽつりつぶやく。
ぎゅっと膝の上でこぶしに力を入れるセタンタ。きらきらと輝く目は丸く大きい。しっぽをぶんぶん振って期待に満ちたその様はまさに子犬。
思わずきゅんとなったエミヤだった。動物好きだから?セタンタが好きだから?それは言わぬが華だ。
「―――――」
見つめてくる赤い瞳。
エミヤは微苦笑して。
「それでは、頼もうか」
「……うん!」
ぱあっと顔を輝かせるセタンタに、打って変わって淡い微笑みを浮かべた。


さて。
セタンタの力は、意外に強い。
意識していないのだろうが、ぎゅうぎゅうとツボを押されると思わず声が出てしまう。
そのたびにセタンタが気持ちいい?気持ちいいのか?とはしゃぐものだから、エミヤは声をおさえる努力をする。
気持ちいい。
確かに気持ちいいけれど、そう言えばセタンタはきっと無理をする。
頑張りすぎてしまう。
だから、エミヤはなるたけ声を上げないようにする。
気持ちいいか?
その問いには、素直にうなずくようにしているけれど。
それにしてもセタンタの手はあたたかい。服を通してじんわりと体温がしみこんでくるようだ。
まるで温熱療法だな、なんて思いながらエミヤは目を閉じる。そっと。
そうすると体のあちこちがほぐれていくようで、さらに気持ちがいい。
ああ、とため息のようにエミヤはつぶやいた。
「気持ちいいか? エミヤ」
そうするとやはりセタンタが声をかけてきて、エミヤは笑ってしまう。背後でセタンタがなんだよ、とむくれるような気配、けれど揉む手は止まらない。
「いや、気分を悪くしたならすまない。君のことで笑ったのではないよ」
「そっか」
「うん、だから気にせず続けてくれるとうれしいのだが」
「わかった!」
セタンタは、素直だ。
エミヤの言葉にうなずいて、手を止めずに揉み続ける。
「それにしても、セタンタ」
「?」
「何故突然、こんなことをしてくれる気になったのかね?」
目を閉じたまま問えば、手が一瞬だけ、本当に一瞬だけ止まった。頬を掻くような一瞬の間。
へへ、とうれしそうに笑うと、セタンタは再び手を動かしながら答えた。
「本当は、ずっとこうしてやりたかったんだ」
秘めた心の内を。
口にする。
「突然じゃないんだぜ。寝る前に本とか読んで、勉強したんだ。マッサージの本とか借りてきて……」
それは難しくてよくわかんなかったんだけど、と苦笑い。
「エミヤはオレになんでもしてくれるから」
せめてオレも、エミヤになにかしてやりたかった。
そうつぶやくセタンタに、うっすらとエミヤはまぶたを開ける。
そうして、―――――く、と、喉を鳴らした。
ああもうまったく。
君は、それだけでいいのに。
いるだけで。
そう、思ってくれるだけで私には充分すぎるほどの幸福だと。
エミヤは思って、そうして、くつくつと喉を鳴らした。
「エミヤ?」
そっと手に触れて動きを止めさせると、エミヤは不思議そうなセタンタに向かい合った。
それからいつものように抱きしめて、戸惑う彼に胸の内を話し始めたのだった。
でも、それでも、オレはエミヤになにかしてやりたいんだ、と。
だって好きな相手になにもしてやれないなんて男じゃないから、と。
セタンタは話を聞き終えると至福の表情で笑って、エミヤにぎゅうとしがみついてきた。
あたたかな体温は体の疲れをすべて取り去っていくようで、エミヤはほとんどうっとりとしたのだった。



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