「見たところ、釣りに来たわけでもなさそうだな」
声をかけられる前に振り返って告げる。出鼻をくじかれたとまでは行かずとも少しは意表を突かれたのか目を丸くして、すぐにいっ、と笑った。本当に子供のように笑う男だと思う。
獰猛でいて人懐こく、情がありながら線はきちんと引く。
自分とはまるで違う。
「釣りはもういいっての。おまえとあの貧弱王子のおかげでしばらくは懲りた」
「それは済まないことをしたな」
「別に。気にしちゃいねえよ」
火をつけない煙草のフィルタを噛んであっけらかんと言う。真実そう思っているであろう口調だった。
二面性を持っているが裏表だとかそういったニュアンスではなく、ただそういう風に出来ているだけなのだ。どちらも表。裏はない。
「竹を」
「は? タケ?」
「竹を割ったような性格というのは、まさに君のような人物のことを言うのだろうな」
「なんだそりゃ。意味がわからねえ」
「教会に戻ったときに英雄王にでも聞いてみるといい。今の彼なら快く教えてくれるだろう。それか、商店街で諺の本を買うか」
「趣味に使う金でかつかつでそんな余裕はねえよ。ちょいと今頭ん中探ってはみたが、聖杯もさすがにそこまではご丁寧に教えてくれやしなかったみてえだし」
つうかおまえが教えてくれればいいんじゃねえか、と煙草の先端を跳ね上げる。
「人に聞くばかりではなく、自ら学ぶというのも大事なことだ」
「さっき自分で聞いてみろっつったのもう忘れたか、おまえ」
粗暴な言い方だが顔は笑っていた。光の御子、とその名の通り眩しい笑み。焦げた目には少し辛くそっと片方だけを眇めると、さて。
戯れを終わらせるかのように切りだした。
「さて、話を戻そうか。釣りをするわけでもなければ君は一体、何をしにわざわざこのようなところまで来たのかな」
「ああ、うん」
修正した軌道に声が乗る。
「そろそろ舞台からはけるんで、挨拶しに来た」
波の音。
「―――――そうか」
やっとそこまで辿りついたか、と奇妙な感慨深さを覚える。未熟者だと思っていたが……いや、思っているが、この状況を打破しないという性ではない。
むしろやっきになって急き、失敗するパターンだろう。
あれは誰よりも、繰り返しが叶うこの箱庭に感謝するべきだ。
でなければとっくに真実の意味で死んでいる。
「あの小僧は相変わらず辿りつくのが遅い。察しも悪ければ段取りも悪いのだな。救いようがないよ」
「言ってやるなよ。坊主もあれでなかなか頑張ってるぜ? それに、この場がまず底意地が悪りいんだよ。どうしようもなくな」
でもって趣味も悪い、と三度目、浮かべられた笑みはそれまでとは違いかすかな怒りと苛立ちを帯びていた。
けれど怒鳴り散らすようなこともふてくされるようなこともせず、男は与えられた役割をこなす。
そうして、舞台から降りる。呆れるほど潔く。
「そうは言っても、君はこの箱庭を楽しんでいただろう? キャスターやライダーもそうだが、君は特に満喫しているように見えたが」
「そりゃあ放りこまれたからには、楽しいことを見つけねえと損ってもんだろ。つまらねえつまらねえって愚痴ばっかり言ってても何の足しにもなりゃしねえよ。同じ足元見るのでもただ拗ねてるのと小銭でも探して見てるのとじゃ、大分気分が違うもんだぜ」
「……実に君らしい解答を、どうも」
やや肩から力を抜きつつ言うと、なんだその面、と不思議そうにたずねてくる。
途中まではいいことを言っていたのだが、小銭云々でどうもずれてしまった。そんなに金策に困っているのだろうかと内心で考える。
バイトを転々としていたというのは気楽に己に合う職種を探していたのかと予想していたが、まさか。
「ま、楽しかったのは事実だ。でも終わるってんならそれはそれで仕方のねえことだろ」
強がるでもなく負け惜しみでもなく本心からあっさりと言い切ってうん、とうなずく。
「それに極悪マスター様から労せずとんずら出来るってのは、オレにしてみりゃなかなかの幸運だと思うぜ」
四度目。笑った顔は悪戯な少年が得意げに内緒話を打ち明けるかのようで。
おまえにだけ教えるのだと、そう。
「いいのかな、そのようなことを言って。君の相棒は本来はともかく、今は耳聡いのだろう。告げ口でもされたらまずいのではないかな」
「その前に消えるからかまわねえよ。存在ごと完璧に消えちまえばさすがにあの赤い布でだって捕まえらりゃしねえだろ」
「……やはり消える、のか」
口から漏れたつぶやきに目を丸くする。
男を見れば同じように目を丸くしていた。
波の音。―――――そろって沈黙し、
「寂しがって泣くなよ」
「泣かんよ」
「泣けよ」
「誰が泣くか」
つれねえなあ、と言って。
五度目、男は笑った。
「ま、それがおまえだからな」
「ああ。それが、私だよ」
笑い返せば赤い瞳を見開き。
一足で距離を詰めると軽く唇に触れて離れていった。
視界に青い髪が残像のごとく焼きついて残る。たった今も頭上に広がっている晴天の空のような、青い髪。

「―――――それじゃあな」
「それでは」

けれど、きっとその青も忘れる。
そうしなければ自分はこの箱庭に終わりが訪れたとしても、いつまでも引きずって終われないだろうから。


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