透ける階段。
夜空に高く、どこまでも続く路。ふたつの影がそこを昇っていき小さくなり、やがて。
繰り返す日々が終わる。
四日目の夜は明けて、五日目の朝が来るのだ。

「ねえ」
少女が語りかけてくる。名の通り凛とした声は、先程までの激しい戦いの疲れを微塵も感じさせない。あれだけの数を相手にして、疲労していないわけがないのに。自然にそうふるまえる。
本当に。
本当に、まったく。
「何だね」
笑いをかすかに滲ませて聞き返す。
「そろそろ終わるわよ。思い残したこととか、やり残したこととかないの」
「特には。しかし、そう聞かれるとまるで死人のようだ。特に思い残したことなどというのは亡霊がこの世に蘇るきっかけの典型だろう」
「って。あんた、一応似たようなもんじゃない」
「……そう言えば」
間の抜けた沈黙。
しばらくしてほぼ同時に笑いだした。
「あー、っとにもう」
いっそ躁気味に笑い合って、ため息に余韻を残しつつ少女は爪先に視点を落とした。流れるように黒髪が細い肩を滑る。
「何やってんのかしら、わたしってば。髪もぐちゃぐちゃだし。女の髪は特別だって知らないのかしらあいつら……しかも魔術師の髪はさらに、なのよ」
責任とってくれんのかしらね、と毛先をいじって言う。変わらぬ様子に思わずまた、笑いが漏れた。すかさず顔が上げられ視線と追究が飛んでくる。翡翠色の瞳。ついさっきまで白い指先に挟まれていた宝石よりも華やかな輝きを宿したそれが睨みつけてきて、
「アーチャー」
「いや。済まない」
「随分と楽しそうね、ねえ?」
「いや、」
「アーチャー?」
抉りこむように見上げてくる。物騒な声音で言いながら顔が笑っている。何をやっているのだかと、少女が言ったのと同じようなことを思う。
アーチャーと。
そう呼ばれる存在ではなくてかつての頃に戻ったようだ。凛ではなく、遠坂と。そう。
呼んでも。
「どうしたのよ」
「―――――いや。何でもないよ」
言った。
少女は、彼女は納得しないだろうが。今の自分はもうかつての時間にはいない。生きている人々と共に時を過ごせる存在ではないのだ。この四日間が特別だっただけで、本来は別の時間を過ごす。
死してなお、永遠に繰り返し続ける存在なのだ。
……なんだ。
この四日間と何も変わらない。いや、終わるだけここの方がまだ良く出来ている。
気づき自嘲めいて目を細めれば、少女もまた目を細めた。
「アーチャー」
声。
「また何を馬鹿なこと考えてるのよ、あんたは」
「……突然にひどい言い草だな」
「ずっと同じことをあんたが繰り返すからよ。仕方ないでしょ。で、何考えてるのって聞いてんの。さっさと白状しなさい」
「別に何も考えてはいないさ」
「この嘘つき。そんな顔してよくもいけしゃあしゃあと言えたもんね。ほんっとに、素直じゃないんだから」
可愛くないわよそういうのって、と言うのに思わず眉間に皺を寄せて身を引いた。
「可愛くなくともかまわんよ」
「わたしがかまうの。傍にいるのは可愛い相手の方がいいでしょ」
わたし、可愛いのが好きだし。
そう、さらりと告げるのにますます眉間の皺を深めた。数秒間を溜めて君は、と。
「君は…………いや、いい。そうだったな。君はそういうキャラクターだったよ、凛」
「キャラってなによ。別に変なことでも何でもないじゃないのよ」
「そうだな」
「思ってもいない顔で言うんじゃないの」
軽く足を蹴られる。痛くもないが眉間の皺は盛大に深くなった。
「……凛」
優雅たれといった家訓はどこに行ったのか。だがこれが遠坂凛という少女である。
自分はよく、骨身に沁みて知っている。
「傍に、などと言うがな。私はもう消えるよ」
「そうね」
「舞台は幕を閉じる。聖杯戦争は、今度こそ終わりだ」
「そうね」
「私は消えるよ」
翡翠色の瞳が、凛と見上げてくる。
「そうね」
少女はつぶやいて、
「だけど、まだあんたはここにいるし。もしかしてまた会うかもしれないでしょ」
「……このような茶番は、二度と起こらんさ」
「でしょうね」
「私も座に戻る。あのときのように君に喚ばれることも、もうない」
「わたしも、あんたの意思を無視して無理矢理喚んだりしないわ」
だけど、と少女は言って。
「だけど、縁があったらまた会えるかもしれないじゃない」
強い。
彼女は、強い。
内面は少女でか弱さもあり、まだ十代の若さだけれど。それでも、彼女は強かった。
遠坂凛という少女は、いつまで経ってもエミヤシロウの。
真剣な顔から一転して笑みを浮かべ、少女はこぶしで胸元を叩いてくる。

「だから。そのときまでにあんたはもっと可愛くなっときなさい」

もっとわたし好みにね、と言われて目を見開いた。絶句してから頭を掻き、
「……凛。それは、どちらかと言えば立場が逆だと思うのだが」
「今時男がどうの女がどうのなんて考え古いわよ。あんた未来人でしょ、意識改革しなさい、意識改革」
「そういう問題では……」
「マスター命令よ、アーチャー」
有無を言わさず言い切って、少女はもつれた髪で、ほつれた服で、それだというのにきらきらと輝いて、笑った。
…………。
「……了解した。マスター」
敵わない。
苦笑してそう返すと、少女は満足そうにうなずいた。
「あ」
ふと漏れたつぶやきに自身を見てみれば薄く透け始めていた。来たのか、と思う。
見れば空は白み始めていて、四日目の夜は五日目の朝へと移り変わろうとしていた。繰り返しは終わり。
時間は先へと、進みだす。
「時間のようだ」
「そうね」
「それでは、凛。……また」
「うん。またね、アーチャー」
冗長な言葉はいらない。短く意図をかわしあい、戦友のように軽くてのひらを叩きあわせて別れた。
ただし音が鳴る前に、自分の体は朝の靄へと消えたのだけど。




―――――Four days, end.


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