転がる腕。
転がる彼女。
転がる、命。


それを容赦なく踏みつけにして、それでいて拾い上げ自分のものにした男の名は言峰綺礼。神父だ。何でも願いが叶うという聖杯を賭け命を賭して戦う聖杯戦争、彼はそんなものの監督役だった。けれど違っていて、そうではなくて。
知っていた。昔、自分がこんな存在ではなく普通の、いや、歪に捩じれた“正義の味方”志望の少年だったころ。何度も何度も立ち向かったときがあったから。なのに自分は許してしまった。言峰の蛮行を。止められなかった。彼女を、
ころしてしまった。
直接手を下したのはもちろん自分ではない、言峰だ。だが自分がやったも同じことだろう。だって止められなかったのだから。
言峰と旧知の仲だった、彼女を殺してしまったのは自分。
「アーチャー。……おまえのその愁いた顔はなかなか私好みだが、そう塞ぎ込まれても困る。言いつけたい用事もあるのでな」
目の前が真っ赤になりそうだった。言峰へと、自分への怒りで。ぬけぬけと何を言う。彼女を、彼女をあんな目に遭わせておきながら。ぬけぬけとよく存在していられる。彼女をあんな目に遭わせておきなが、ら。
「……言峰、綺礼」
「何だ」
「どうして、彼女を殺した」
「どうしてだと? おまえが知ることではないだろう。駒のくせに余計なことを知りたがるな」
かっ、とまた頭に血が上る。まったく人を(自分はもう人ではないけれど)怒らせるのが上手いことで!
長椅子に座りかけて呑気にする話ではないと思うが、立ち上がれば自分は言峰の胸ぐらを掴み上げてその喉笛に噛み付いてしまうだろう。歯を立てて、肉を食んで、血を啜って。喰らってやる。糧としてやる、そして彼女の墓前に骨を供えるのだ。
せめてもの罪滅ぼしにと。
「――――ッ」
気がつけば顎に手をかけられていた。上を向いて言峰と目を合わせれば、まるで深淵のようなそれが自分の方を覗き込んできているのがわかる。悪い意味で吸い込まれそうだ、そう思った。
「わからんな」
礼拝堂に、言峰の声は低く響く。
「人ひとり、女ひとり殺したからとて何になる。何故おまえが激昂する? 何故おまえが血を滾らせる。理解出来んよ、私にはな」
「……理解してもらおうなどと、一度も思ったことはない……!」
すり潰すような声が出た。ごりごりと硬い何かを口の奥へ無理矢理押し込まれたような。それはまるで芳醇なチーズ。ぷんぷんとかぐわしい香りを放つが、その味には癖がある。
この男も同じか?まさか。癖があるということしか合っていない。
「アーチャー、私はおまえを理解出来んがおまえは私を理解しろ。おまえは私のサーヴァントだ。あの女はもう死んだ。帰っては来ない、永遠に」
「返せ」
「もう死んだ」
「ならば、おまえの秘術とやらで蘇らせればいいだろう……!」
けれど、そんなことをしても自分は納得しない。腐った神父の腐った外道の術で蘇った彼女、それはもう彼女ではない。きっとおそらく肉が爛れ落ち目は窪み、手足を引きずってひどい有様なのだろう。
そんな彼女は見たくない。けれど返せと喚いてしまう。一度堰を切った感情はスムーズに口から言葉を引きずりだしてきた。辺り一面に響き渡る大声を上げて、自分は言峰綺礼に喚き立ててしまう。
「返せ、返せ、返せ、彼女を返せ……! これ以上彼女の尊厳を踏みにじるな、おまえなどが神父の顔をしてどうして立っていられる? 彼女は死んだのに! 彼女は死んだのに、おまえはどうして生きている!? おかしいだろう、間違っている、何もかもが間違っている!」
顎にかけられた手を払いのけて立ち上がる、大きく手を振って喚き散らす!まったく見苦しい、これでは彼女も安心して眠れない。
ああ、眠らなくていい、起きていてくれ、目覚めていて。生きていて、生きていて、生きていて。
君が生きていられるのなら、私などはどうなってもかまわないから。
おあつらえ向きに目の前に喉笛、噛み千切りたくなる衝動が歯を疼かせる。その前に一度、思い切り殴りつけていた。
がっ、と鈍い音、感触、けれど言峰は少し顔を横に逸らした程度で受け流してしまう。
「……おまえは存外ヒステリックなのだな。もう少し冷静なのだと思っていたが……まあ、突然飼い主を失えば当然とも言えるか」
効いていない。年相応に荒れた肌には殴打の痕、けれど言峰に堪えた様子はない。
代わって自分の方が痛かった。こぶしを握りしめ呆然と立ち尽くす。どうして。


どうしてここまでしたのに、彼女は帰ってこない?


もういやだ。
今すぐあそこに帰りたい、殺風景な、それに相応する、誰も来ない場所に帰りたい。
そうして次に誰かに呼ばれるまでずっと眠っていたい。不特定多数の誰かを殺し続けることにも飽いたし悔いたが、それより今の現実の方が辛かった。
くたくたと足がくずおれて、簡素な床に膝をつく。見た感じでは言峰に屈服したような様に見えただろう。
いや、そうなのか?……どうでもいい。
何をしても彼女はどうせ、帰ってはこないのだから。
言峰の視線を感じる。だが、何をする気も起きない。
放っておいてほしい。次に命じられればもう、何でもするから今だけは。
今だけは、放っておいてくれ。
「今だけは……」
小さく口にする。その声はまるで他人事のように、礼拝堂の空気に溶けてはかなく消えた。


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