「クー・フーリン。そなたこの頃、修行に身が入ってないのではないかえ」
艶のある声に“クー・フーリン”と呼ばわれた青年が背後を向けば、そこにはにぃんまり、と笑って立つ美女がひとり。
今にも傾ぎそうな黒い帽子に肩の辺りで切りそろえられた黒髪、赤い瞳に抜けるような白い肌。彼女の名はスカアハ。
この、影の国の女王だ。
それが女王であるという証拠であるかのように彼女は威厳ある風格で青年の前に佇んでいる。唇に、どうしようもない笑みを浮かべて。一方青年は赤い瞳に困った様子も浮かべずに、むしろ飄々としながら下ろされた青く、長い髪をかき上げる。透き通るような白い肌は、逞しき男でありながら不思議と女王と同じような艶があったのだった。
「そんなことはありませんよ、師匠。それどころかオレは最近特に修行に熱が入ってるってくらいでですね。なんてったって」
そこで、かつかつとそこに歩いてくる足音があった。ゆっくりと、間を置いて、近づいてくる足音。それはおそらくは男の足音だ。女の足音はそのように重くない。もっと、軽いものだ。
「クー・フーリン」
果たしてそこに現れたのは、やはり男だった。白い髪を撫で付けて、褐色の肌に鋼色の瞳。どこの国のものなのかわからない、赤い布が主体の風変わりな衣装をまとい。
すると青年は嬉しそうに振り向いた。師匠、と呼ばわった女性と会話中であるにも関わらずにそれを打ち切って、だ。
「エミヤ」
エミヤ、と。
青年がそう呼んだのだ、ならばそれが男の名なのだろう。
女王は楽しそうに目を細めてそんな彼らを見ている。ほぉら、やっぱり。そんな風に、その瞳は言いたげで――――。
「どうした? 何か用か。いや用がなくてもいいんだ、おまえがオレに会いに来てくれる、それだけで嬉しい。話でもするか? おまえがいた時代の話でもいい、聞かせてくれよ。どんなくだらない話でもいいんだ、なぁ」
「くだらない話をする趣味は私にはないよ」
苦笑を浮かべてみせてエミヤ――――男は言う。低い声で。聞いているのが心地よい、長く聞いていたいと思わせる、そんな声だった。
「比喩だよ比喩。でも、ま、オレはおまえとする話ならどんな話だって楽しいんだ、それは本当だぜ」
「それは嬉しいな。でも本当に大した話ではないんだ。今日の夕飯の献立を念のために君たちに確認に回っているだけで――――」
「くっ」
そこで、たまらず女王は噴きだした。きょとんとした顔で振り返った青年とぎょっとした顔でそちらを見やった男にもかまわずに、そのままけたけたと笑い続ける。
「く、ははははは! よいよい、続けよ。確かに一日の最後に摂る栄養は大事なものよ。美味であることに越したことはない」
「……そ、そうか? ならば」
悪いが少しだけ時間をいただこう、
そう言って男は青年の腕を引いた。そうして自分の方に注意を引きつけようとして、とっくに強く見られていることに気がついた。そう、まるで痛いほどに。
「ク、クー・フーリン?」
「ああ。やっぱり、オレ、おまえの顔が好きだわ」
「な……」
にを、言っているのだと。言いだそうとした言葉は怒涛のごとく綴られる青年の言葉に押しつぶされて消されてしまう。どうやら男は、あまり雄弁ではないようだった。
「顔だけじゃねえぜ、性格も、料理の腕も、声も、匂いも、それから、その、何だ。体の相性もな?」
「なっ」
今度こそ男は絶句した。正しく、礼儀よく、規則正しく絶句した。そして女王の方を見てみれば、
「――――」
「――――」
「――――」
「いや、わらわは知っておったぞ? というかだな、この影の国においてこのわらわに隠し事など出来ぬと知れい、愚か者共め」
冷酷そうに言いながらも笑んで見せて女王は言う、居丈高に、たわわな胸を張って。
際どい切れ込みが入った、まるで将来“水着”と呼ばれるだろうことがわかる衣装はやたらに煽情的だったが、口にする言葉はそういやらしくもなく。
むしろ健康的なものであった。けれど、男にはそれでも耐えられなかったらしい。
「……――――〜ッ!」
「あ、ちょ、おい! 待てよ、エミヤ! フェルディア! 黙って見てねえでおまえも追いかけるの手伝え!」
青年の親友でありながら男と並ぶ常識人のフェルディアは――――、男の状況があまりに痛々しすぎて追いかけるのを手伝うことが出来なかった。むしろ、手を回して逃がしてやりたいくらいだったという話。
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