――――その瞬間、少年、間桐慎二の脳内は真っ白になった。
屋敷内のとある一室、散らばった魔術書にところ狭しと詰め込まれたマジックアイテム、床に描かれたのは複雑な魔法陣。
「問おう――――」
がくがくと震えなかったのが不思議なくらいだ。その代わりにぽかんとして抜け殻のようになってしまったが。
しかしそれもほんの一瞬、慎二の顔は紅潮し、あからさまな喜びの感情に彩られていく。
「……君が、私のマスター……なのか、ね?」
「やったあああああああ!!」
やった僕天才ほんと天才マジ天才いやぁやる男だと思ってたよ我ながら!
床にへたり込んだまま拳をぐっと握って快哉を、勝利のシャウトをかます慎二に、魔法陣の上に立った男はやはりあからさまな戸惑いの感情をその顔に浮かべていく。
今、ここに。
間桐慎二の、華麗なるマイ・ロードが開けたのであった……!
「って思ってたのにさ。なんだよ、カードおまえじゃん。ていうか衛宮じゃん。カス札じゃん。ていうか何なの? おまえ将来英雄とかなるわけ!? へーぇっ、意外だねぇ! 前々から正義の味方とかってイッちゃってんなーとは思ってたけど、まさか実現させちゃうとはねっ」
「……私にマスター殺しの汚名を着せたくなければ、今すぐその口を閉じてくれ我がマスター」
むぐ、と慎二はてのひらで口を押さえる。そこにやれやれ、と遥か上から声が降ってきた。
「冗談だ、殺しなどせんよ。ただ、あまりにも君の発言がひどかったものでな」
「なんだよ、だって僕とおまえの仲じゃん。僕たち友達だろ? あ、“だった”って言った方がいい?」
エイユーサマ、明らかに言い慣れない調子で慎二は言って、頭上の声を発した“衛宮”とやらを仰ぎ見る。
するとそこには白銀の髪をオールバックに撫でつけた褐色肌の男がひとり。いや、この言い方は正しくないか。
彼はひとのかたちをしていても、ひとではない。“英霊”というエーテル体によって形作られた神秘の存在なのだ。加えて言うならその名は“衛宮”ではなく今は“アーチャー”。衛宮というのは過去の彼の名前であり、そして彼の真名であった。
「いやあ……それにしてもあの衛宮がねぇ……ふーん……」
「マスター、いや、慎二。何が気になるのかは知らないが夕飯に対する熱意をもう少し感じさせてもらえると嬉しい。君のリクエストを聞いて作らせてもらった食事なものでね」
「リクッ……ば、ばーか! 違うよ! なに言ってんだよ! サーヴァントはマスターの言うこと何でも聞くんだろ!? いわゆる絶対服従なんだろ!? あと慎二って呼ぶな! 僕はおまえのマスターだぞ!」
「ならば、君も私を衛宮とではなくアーチャー、と。そう呼んでくれなくては」
真名をそうポンポンと連発されては困るのでな、頭上の存在アーチャーがつぶやく。慎二はナイフとフォークを握った手をだん!とテーブルに叩きつけて、
「だって、衛宮は衛宮だろ!? だったら――――」
「マスター」
わがままを言う子供のように。
というかまさにその様で駄々をこねる慎二に苦言を呈するといった顔つきと声音でアーチャーは口を開いた。低いトーンが洋風の室内に響き渡る。
「私は“アーチャー”であって決して君の友人である“衛宮士郎”ではないのだ。重ねてもう既に私は“エミヤ”として成ってしまった。もう戻れないし戻る気もない。だから、」
「ああもう、うるさいなあ!」
慎二の癇癪、炸裂。アーチャーの眉間に皺が寄る。
「君はちっとも変わっていないな、慎二……」
「あっ、今シンジって呼んだな! だったら僕にも衛宮って呼ぶ権利与える必要が発生したぞ! 一度につき十回だ!」
「それは……ハイリスクローリターンだな」
「いいんだよ、僕がマスターなんだから、偉いんだからな!」
えへん、と胸を張ってみせるがふたりっきりでは虚しいだけだ。普段この家にいる家族は年老いた祖父と年の近い妹だけ。そして、そのふたりはいま、ここに、いない。
ひゅるる。
なんて、虚しい風の音が聞こえた気がした。室内なのに。
「マスター」
「ふん!」
言って、慎二はぱくぱくとリクエストであるところのハンバーグを食べ始める。ちなみにソースはデミグラだ。付け合わせの野菜もきちんと食べてくれないと困るぞ、アーチャーは言い、慎二はほんとに変わってないよねおまえ、と甘えという名の悪態をつく。
そうなのだ。結局慎二は甘えてしまっているだけなのだ。元・友人であった、今は従者であるサーヴァントのアーチャーに。
慎二は学園で女子にはちやほやされているが、その取り巻きがいないときはぽつんとひとりで佇んでいることが多い。その横顔はどこか寂しげで、それに気づいた妹が「にいさん」と呼ぶと顔を赤くして「なんだよ、いきなり声かけるなよ!」と裏返った声で叫ぶのだ。
家でも学園でもひとりきりではいられない意地っ張りの甘えたがりの王子様。それが間桐慎二という名の少年、なのだった。
「……何笑ってるんだよ」
「うん? いや、な」
君は、本当に変わらないと思って。
苦笑しながらつぶやくアーチャーにぽかんとする慎二だったが。
「それを言うならおまえだってなあ――――」
「だから私は変わってしまったというのに」
「ばーか、おまえは衛宮だ! どうしようもなく、ぜんっぜん、これっぽっちの余地もなく、おまえは衛宮のまんまだよ!」
「ふむ……」
さて、これからこの王子様をどう扱ったものか。
体面は悩んでみせたものの、どうしようもなく懐かしくて笑ってしまうアーチャーと、顔を赤くする慎二。
この凸凹コンビが行く手に待ち受ける“敵”にどう立ち向かうのかというと――――それは、まだまだ先の話だ。
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