「あの子、苦しんでいるかしら」
簡素な一室で、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはそうつぶやいた。
椅子に座り、背もたれに寄りかかって目を閉じていたサーヴァント、アーチャーはそのままで彼女に答える。
「“あの子”とは衛宮士郎のことか」
「そう。シロウのことを言っているのよ。……でも、わたしにとってはあなたも“エミヤシロウ”なのだけど」
イリヤスフィール。アーチャーは短く彼女の名前を呼んだ。まるで咎めるかのように。それが咎であるかのように。
髪色が同じな彼ら彼女らは見方によれば兄妹に見えた。だが、その実は裏側。
――――イリヤスフィールが姉であり、アーチャーが弟なのであった。
「ねえ“シロウ”。あの子のこと、まだ憎い?」
「……そんなことを言っているときではないだろう。それにイリヤスフィール。君ならもうわかっているはずだろう?」
「そうね。わかってるわ、“もう”。ここまで来たら、子供の振りなんてしていられないもの」
よいしょっ、と。
弾みをつけて寄りかかっていた壁から離れ、イリヤスフィールは正面からアーチャーを見た。彼だけをじっと。
「愛しいわ、“シロウ”。わたし、あなたが、とても。だからこうして面と向かって話し合える時間ができて、とても、嬉しかった」
でも、もうすぐお別れなのね。
寂しそうにイリヤスフィールは笑って、アーチャーを見た。無くなった片腕。これから“衛宮士郎”に移植されるであろう、別室にある腕。
かいな。
「イリヤスフィール?」
不意に抱きつかれて、アーチャーは怪訝そうな声を上げる。それに「黙って」と返し、イリヤスフィールはさらにぎゅっとアーチャーを抱きしめた。
「わかってるの。わかってるのよ。あなたからわたしを抱きしめてくれることなんてもう、ない。物理的にも心理的にもね。だからわたしが抱きしめてあげるの。だってわたしはお姉ちゃんだから。最期まで、ずっとあなたと一緒にいてあげる」
だから。
「だから、泣かないで。男の子でしょ? “シロウ”」
「……泣いてなど、」
「えい」
ちゅっ。
かわいらしい音がして、アーチャーの頬にイリヤスフィールの唇が触れていた。丸く丸く丸く――――なるアーチャーの鋼色の瞳。すぐぱっ、と離れ、背伸びをしたイリヤスフィールはえへへと笑う。
「“シロウ”、隙だらけなんだから」
これだからお姉ちゃんは心配なのよ。
「イ、リヤ」
「お姉ちゃん、でしょう?」
こんなのも最期まで言えないようじゃお姉ちゃん、安心できないじゃない。
そんな、アーチャーにとっては訳のわからないことをイリヤスフィールは言って、そろそろかしらね、とささやいた。
術式の完了まであとわずか。それがアーチャーとイリヤスフィールには見ずとも解かる。だがアーチャーは動揺していたので気づくのが遅れた。
「ねえ、“シロウ”。もうそろそろお別れだけど、わたしたちそれでもずっと一緒よね」
「……そうだな」
「もう、もっと嬉しそうに言って。それとも“シロウ”はわたしと一緒がいやなの?」
再び詰め寄ってくるイリヤスフィールから顔を背けながら、アーチャーはそうではなく、と言う。
「じゃあ、何なの」
「わからない。……けれど……」
嫌じゃ、ない。
その答えにイリヤスフィールはきょとんとして、むっと唇を尖らせて、外見に似合う幼さで、けれど声だけは本来相応に大人びて、
「“シロウ”、あなたの言ってること、わたし、よくわからないわ」
アーチャーはそれに何度かのまばたきを返す。そうして、それから。
「……これから、ずっと一緒なんだろう? だったら急がずに知っていけばいいさ」
姉さん。
淡々と、しかし愛しさがこもった口調でそう言ったアーチャーの残った褐色の手の上に、イリヤスフィールの白い手が置かれる。
「……そうね」
わたしたち、これからずっと、いっしょなのね。
やはり淡々と、そして愛しさがこめられた口調でそう返したイリヤスフィールの口元が微笑む。
「ねえ“シロウ”、シロウを助けてあげてね。わたしもシロウを助けてあげるから」
「さて――――どうかな。オレは意外と嫉妬深いから。あいつの邪魔をするかもしれないぞ?」
「もう、馬鹿」
くすくす、とふたりして笑う。
もうすぐさようなら、そしてこんにちは。
ずっと、ずっと、ずっと、ふたりはいっしょに。
――――困難に、立ち向かいましょう。
「術式が終わったわよ…………? イリヤ、あんた何笑ってるの?」
「ううん、何でもないわ」
back.