時々、彼はわたし越しに遠く誰かを見ている節があります。
そのときわたしは「あなたが見ているのはだあれ?」と正直にたずねたくなるけれども、どうせ聞いても彼が素直に答えてくれるはずはないのでたずねず黙っています。
彼はわたしの“サーヴァント”。従者だとか、使い魔だとか言うけどわたしはそうとは思わない。わたしは彼と対等でいたいのです。
うっすらと残る記憶、いつしかのわたしと彼がそうであったように。
わたしの名前はあってなきようなもの。彼にとっては。彼はわたしにとてもよく尽くしてくれる。でも、彼はわたしを見ていない。何故なの?どうして?わからない。
一度だけ、彼はわたしを呼びました。“アルトリア”と。正しくは呼びかけ、ました。呼びかけて止めたのです。だけどわたしの耳は、どうしてだか最後までそれを拾ってしまってひどく懊悩しました。アルトリアとは、一体誰なのか。
いいえ、知っています。それはきっと彼がわたし越しに遠く見ている誰か。わたしであってわたしでない誰かなのです。
わたしはわたしであってアルトリアではない。ですが、アルトリアであったときもあったのでしょう。だから。
だから、彼は。
わたしを護ってくれるのではないでしょうか?
駄目、そんなことを考えてしまっては。彼が今ここにいてわたしを護ってくれる、それだけでいい。永遠でなく刹那でもいい。それで、いいはず。永遠なんて言って彼をわたしに縛り付けてはいけない、どうしてかそう思う。本当は果てなく共にいたいけれど、束縛したくなんてないから。だからわたしは笑いましょう。微笑みましょう。彼が心安らかでいられるように。わたしにアルトリアの面影を見ても切なくはならないように笑いましょう。かつて彼とアルトリアがそうであったときのように、笑いましょう。
塞ぎ込んでは駄目。泣いては駄目。憂いては駄目。わたしを彼の重石にしてはいけない。枷にしては、鎖にしては。
さあ、笑いましょう。笑って彼にこう言うの。「ありがとう、アーチャー」と。「いつも傍にいてくれてありがとう、アーチャー」と。
わたしは彼に言いました。せいいっぱい笑って彼にそう言いました。すると彼の顔はくしゃりと、ゆがんで、まるで、大切なものをどうにかしてしまった子供のような顔になって、
わたしは失敗してしまったのでしょうか?わかりません。夜、鏡の前で金色の髪を梳きながら考えます。何か失敗してしまったのはどうやら確かのようです。やらかしてしまった、というやつです。
でも、失敗することを恐れてはいけない。失敗は成功の母というではないですか。だからわたしは今日も笑います。そして言うのです。ありがとう、アーチャー、と。だってそれがわたしの本心。
ありがとう、アーチャー。わたしの傍にいてくれて、本当にありがとう。心の底から思っています。わたしと共に戦ってくれて本当に、本当に、本当にありがとう。あなたが傍にいてくれるからわたしは、……わたしは。
そこで言葉を失ってわたしは下を向きました。でも、次の瞬間きっ、と顔を上げます。たとえ瞬間でも彼から目を逸らしてはいけないと思ったから。
彼は。
彼は、油断しきったという顔をしていました。わたしがずっと下を向いていると思ったのでしょう。だから素を見せてしまったのです。わたしの推測でしかありませんが、そういうことな、はずです。
彼は、微笑っていました。泣きそうな顔で微笑っていました。わずかに口角を吊り上げて、目許を歪めて。それはある日の彼が浮かべた顔に似ていました、けれど、決定的に違っていたのは。
それが哀しみから来るものなのか、それとも喜びから来るものなのか、ということ。
「アーチャー」
わたしは彼の名を呼びます。いいえ、違います。本当の彼の名を呼びましょう。知っています。わたしは彼の名を、本当の名を知ってる。
「……シロウ」
わたしはそう彼を呼んで、笑ってみせました。彼が泣きそうになっているのをあえて気付かぬ振りをして。
「シロウ、ありがとう。わたしを護ってくれて本当に。……本当にありがとう。だからわたしは今、ここにいられる」
剣を振るって敵を薙ぎ払い、弓で撃ち抜き、盾でわたしをかばい。
戦ってくれましたね。わたしと共にあなたは。そして、わたしがあなたの剣だったときもありましたね。思い出しました、ええ、全て、全て全て全て。
わたしはアルトリア。ブリテンの国王。一方でのクラスは“セイバー”。
さあ、呼んでください。わたしを好きなように。アルトリア、セイバー、そのどちらでも。好きに呼んでいいのですよ、どちらもわたしなのですから。
さあ、泣きそうな顔はもうやめて。笑ってください、わたしが好きだったあなたの笑顔で。
「シロウ」
わたしは呼んで彼を抱擁します。ああ、こんなことがありましたね。あなたは血塗れで、わたしの服にも血が染み込んで。
恥ずかしいこともありましたが、全て思い出しましょう。わたしたちにはそれが必要でしょう。
さあ。
――――シロウ。
わたしたちは黙って抱き合います。彼はぽろぽろと泣きだしていました。わたしはくすくすと笑ってしまいます。
それはどちらも嬉しさから来る行動。
願わくばこの時間が永遠に――――っと、それは言わない約束でした。
願わくば、刹那でもわたしたちが幸せでいられますように。
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