「きゃはははは! シロウ、よわーい! よわーいっ!」
「くそっ……」
台所で作業をしているアーチャーの耳に、甲高い声と悔しそうな声が届く。
どうやらイリヤと士郎がふたりでトランプゲームをしているらしくて、今のところ士郎が連戦連敗のようだ。英霊エミヤとなった自分がLUK Eということだから、…………生前の運の悪さは仕方のないことなのか?
それにしてもふたりは本当に楽しそうだ。フライパンの中味をひっくり返しながらアーチャーは思う。と、ちくり、と胸の奥が何故だか痛んだ。
「…………?」
どうしたのだろう。サーヴァントが病気?まさか不整脈だとでもいうのか?まさか。
「シロウ、シロウは弱いねっ!」
「……なんだろう、その台詞、どこかで聞いた気がするぞ……」
「気のせいじゃない?」
じゃっ、じゃっ、じゃっ、
雨音のような響きがフライパンの中から、自分の手元から。アーチャーは胸の疼きを堪えながら居間の会話を聞いている。どうしてか、マスターであるあかいあくまが「だからあんたは鈍いのよ」とささやいた気がした。実際にその場に彼女はいなかったのだが。
ざあっ。
今日のメニューは中華。美味しそうな湯気を立てる茄子味噌炒めを皿に移すと、アーチャーは手早くフライパンを洗ってしまう。油汚れなどは放っておくとこびりついてしまって大変だから。大変だから。
「…………、」
大変だから、とわざわざ二度繰り返したのは何故だろう。“放っておくと”“こびりついてしまって”。この辺が何だか心の琴線に引っかかった、ような。そうだ、まるで油汚れのようなどろりとしたものが胸の奥にこびりついている。これは何だろう?わからない。あの少女なら知っているだろうか。大事なところではうっかりだけれど、人の心を見通すのには基本的に長けている少女。ああいや、けれど彼女に頼るのはよくない。後が怖い。
「出来たぞ。いったん遊びは止めて、ちゃぶ台を片付けてしまってくれ」
「あ、はあい! ほらシロウ、出来たって! 早く片付けましょう?」
また後でね、イリヤが言って、それに再度アーチャーの胸は痛む。配膳をしながら奇妙な感覚に眉を潜めていたから、自然とふたりにも知られてしまった。イリヤが箸を持ったまま首をかしげて、どうしたのアーチャー?と問いかけてくる。
「今日もアーチャーの料理、とても美味しいわよ? それなのにどうしてそんな顔してるの?」
「あ、ああ、いや、」
そういったことではないんだと、言おうとしても突っかかってしまって上手くいかない。代わりに彼女のやけに上手な箸使いを見て、何だかもっと変な気持ちになってしまう。
だからふっと目を逸らして士郎の方に気をやれば、士郎も何だか変な顔をしてアーチャーを見ていた。
「どうしたんだ? おまえ、何だか変だぞ」
「……おまえに言われたくはないがな、小僧」
「む」
とたん士郎の眉間に皺が寄った。何だよ、心配してやったのに。口で言いはしないが顔がそう言っている。
「ああ、ほら、イリヤ。あまり急いで食べるものではない、飯粒が口端についているぞ」
「え、嘘。やだ、どこ?」
ここだ、と言って取ってやればありがとアーチャー、とイリヤはにっこり微笑む。それに素直に笑おうとして――――どうしてか、できなかった。
先程の楽しそうなふたりの会話が脳裏に蘇って、笑えなかった。
結局浮かべる表情はぎこちなくなってしまい、それにイリヤはきょとんとしている。アーチャーはそんな彼女の顔を見て、自らを恥じた。彼女の前で笑うことすらできない自分を大いに恥じた。
胸は痛みを必死に、懸命に訴える。ずきんずきん、どくんどくん。その音がイリヤと士郎にも聞こえてしまいそうで恥ずかしい。
だからアーチャーは堪えて堪えて堪えて、なるべく平常に見えるように食事をした。平常に見えるようにして、しかし早めに終えられるように。早めに終えてしまって、ふたりの前から退散できるように。
「――――ごちそうさま」
みっともなくないように早めに食べ終えて、アーチャーは自らの食器を持って立ち上がる。後は食事が乗っていた大皿も。今日は、食事当番も、洗い物当番もアーチャーなのだ。
一刻も早くこの場を後に――――そう思って身を翻したアーチャーの背に無邪気なイリヤの声が、


「ねえアーチャー、後片付けが終わったらアーチャーも一緒にゲームしましょうね! 待ってるから早くしてね!」
「――――」


アーチャーは、正しく絶句した。心臓もが止まってしまいそうだった。
まさか、そんな言葉が自分に向けられるとは思っていなかったのだ。まさか、そんな言葉が。“一緒に”?“待っている”?まさか!
「ね、シロウ。シロウも一緒に待ちましょうね? できるわよね?」
「ん? いいぞ、今度こそ俺が一番になってやるんだからな!」
少年らしく士郎が意気込む声が聞こえるが、それさえもアーチャーの心に杭を打ち込む結果となる。
アーチャーは、自分の顔が紅潮していくのを知った。止まりかけた鼓動が激しく脈打ち始めるのを悟った。顔が熱い、どうしよう、耳が赤くなっていないだろうか。
どうしよう、嬉しい。
……こんなに嬉しいだなんて、思わなかった。こんなに嬉しいだなんて、そして、今までの自分が抱えていた感情が何だったのか知ってこれほど恥ずかしいだなんて、思いもしなかった。
嫉妬だ。
嫉妬、だったのだ。
イリヤと士郎が一緒に遊んでいるのを見て、自分は嫉妬したのだ。そうだ、アーチャーは嫉妬していたのだ。楽しそうなふたりに。仲がよさげなふたりに。兄と妹のような、姉と弟のようなふたりに。
「…………? アーチャー、どうしたの?」
ゲームするの、いやなの?
不安げに聞いてくるイリヤに返事しようとする、けれど声が上手く出ない。何とか搾りだすようにして出した声は、それはそれはか細いものだった。
「……嫌、ではない、よ……」
まったくもって恥ずかしい。だがそれを聞いたイリヤは次の瞬間嬉しそうに、
「そう? よかった!」
じゃあ、待ってるから!


何なら手伝いましょうかという言葉を振り切って大急ぎで後片付けに向かったのは、熱くなった顔を冷ます時間が欲しかったからだ。


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