濡れた音が鳴る。
それは白い白い白い足を舐める男の口元から鳴っていて、それ以外には何もない静かな空間を犯していた。
薄いけれどやけに発色が良い赤い唇は適度に唾液に濡れ、悦びの音を立てて。
そう、男は悦んでいた。舐めることを。――――他人の足を、舐めしゃぶることを。
「…………」
岩場に腰かけ、足を舐められている男の面には不機嫌さと嫌悪感が混ざったものが浮かんでいる。けれど嫌だ、と、やめろ、と言って、足を引き戻さないのは一体何故なのか。それはその男でなければわからなかっただろう。だから誰にも語ることは出来ないのだ。
一方、相手の足を舐めしゃぶる男の面に浮かぶのは恍惚。一見死蝋とも取れるほどに白い面には赤い紋様が脈動していて、それが何だかやたらに淫らだった。
白い白い白い、唾液に濡れた素足とあいまって。
そうだ、そういえば愛撫とも取ることが出来ただろう。その行為を愛撫だと。ただ、それは一方通行の愛で、決して何かが返ってきたりなどはしないのだが。
何も返らない、産みださない。何の生産性もない。ただ勝手に男がやっているだけ。それに対しての褒美も何もない。それでも男は男の足を舐めるのだ。
忠誠を誓うという名目によって。
ああ、ぞっとする。舐められている男がそれを聞けばそう思うだろう。忠誠?誰に?自分に?――――まさか!
本当にぞっとする。それならまだ愛していると身勝手に言われた方がましだ。忠誠だなんて誓われたくもない。要らない。必要がない。たとえそれがほんの少しの欠片でも。
それが男の口から出てしまったら、きっと自分は破滅する。思考回路など即座にぶち壊し、舐められている足でもって男の顔を蹴り抜くだろう。そうに決まっている。激怒するでもなく憤怒するでもなくただ反応して、反射的にそうするだろう。
思いながらどくん、どくん、……と、白い肌の上で脈動する赤い紋様を見ている。赤い紋様。赤。
あの赤い弓兵はどこに行ってしまったのか。自分を置いて、こんなものに成り果てた。今、岩場に流れるのは黒。確か聖骸布だとかいう、男が身につけるものが男が跪くことにより冷たい岩場に流れている。形は一緒なのに色が違う、それだけでこんなにも印象が変わるものか。
今は目を閉じているので見えないが、あの好ましかった鋼色の瞳すらやたらに澄んだ金色に成り果てたのを男は見た。
どこまでもどこまでもどこまでも、透明な金色に。
……ずぐり、と、心臓が疼く。単純であるが故、強い苛立ちに。男はずっと先程から男の足を舐め続けている。まったく、飽きるということがないのだろうか。
ないのだろうな、とすぐに雲散霧消させて男はただちに冷ややかな自分を取り戻そうとする。とことん冷ややかで、無関心な自分を。
関心など持ってはいけない。この男に対して、そんなもの。持ってしまった時点で負けだ。あの男に対する侮辱にもなる。
そんなことはしたくなかったし、してはいけないと思った。だからただただ無関心に。させたいようにさせればいい。それくらいならばやらせてやらないこともない。
その先に進もうとすれば、すぐさま思考回路をぶち壊すが。
思考回路をぶち壊して、この男をぶち壊す。元があの男だとか、そんなことはどうでもよかった。こんな風に成り果ててしまった時点で駄目だ。もうこの男はあの男ではない。
その間にも、思考する間にも男は足を舐めしゃぶる。忠誠を誓うだけにしてはやや行き過ぎた行動だった。
だから、愛撫なんてものは、やめてほしいのに。
ついぞ自分はあの堅物な男にはそれをしてやることが出来なかったのだから――――とそこで少しだけ後悔して。
自分らしくない、そう男は自分を評価した。
そうだな、自分らしくない。こんな風に勝手をさせているのも、諦めに近い気持ちを持つのも。
ならば今すぐ蹴り抜こうか?姿形だけは似ているけれど、まったく別のものに成り果てたこの男を。顔だけでなく腹も足も蹴り抜いて、二度とこんなことを出来なくしてやろうか。自分にはそれが出来る。ただ一度、あの赤い男を諦めれば。


「なあ、ランサー……――――」


男が自分を呼ぶ。やめろ。それだけはやめろ。言葉を続けるな、さもないと。


「私は、君を」


だからやめてくれと言うのに!


男の顔を見る。チチチッ、と脳内で何かが繋がって、それから。
……それから?
壊れてしまった思考回路では、何も考えられないし覚えられもしない。


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