「釣れますか」
昨日と同じ台詞だが声は平坦なものだった。振り返ればこれもまた昨日とは違う随分な長身。ボリュームのある肢体をシンプルな服装に包んだ女性の隣にはおとなしそうな少女の姿があった。
「釣り道具もないのに釣れるわけもないだろう。聡明な君ならわかると思ったのだが」
「嫌味はわたしには通じませんよ、アーチャー」
「……嫌味のつもりではなかったのだけどな」
「ラ、ライダー」
わたしたち喧嘩をしに来たんじゃないでしょう、と少女がおどおどと言う。すると女性はそうですねサクラ、と従順に彼女に従った。
まるで立場が逆だ。女性がリードする立場で、少女はおとなしくそれに付き従うように見えたのに。
――――まあ、それが見かけだけであることは、よく知っていたのだが。
「それで? 一体何の用事だろうか」
「アーチャー。単刀直入に言います。衛宮邸に来てください」
あまりにもあまりな言葉に、一瞬理解が遅れる。単刀直入すぎて頭に浸透しない。衛宮邸に来いと?今、彼女はそう言ったのか?
「……何故だね」
「ほ、ほら、ライダー。理由もきちんと言わないと駄目だってば」
「ですがサクラ、わたしはそれをあまり必要だとは思いません。アーチャーとて、子供ではないのですから自分の考えがあるでしょう。付いてきたければ付いてくる、来たくなければ来ない。簡単な話ではありませんか」
「……もうっ! お話っていうのは、そういうことじゃないでしょうっ!」
怒ったように叫んだ少女に、女性が驚いた様子を見せる。そうだ、これが彼女たちの正しい姿。
それを自分は“知っている”。
「アーチャーさん、あの、ですね。セイバーさんたちから聞きました。アーチャーさん、住むところがなくっていつも独りで過ごしてるって。あの、わたし、そんなのってとっても辛いし、悲しいことだと思うんです。本当はこういう話は、姉さんからするべきだと思うんですけど……あの、その、だけど、」
自分も少し、驚いた。少女がこんなにも積極的に話しかけてくることなど、記憶にはなかったのだから。
いや、磨耗してしまったのかもしれない。けれどこんなことなら覚えているだろう。あまりにも意外なことだから。
「……だからっ! わたし、先輩にもお話して、アーチャーさんを住まわせてあげてください、って頼んだんです! そしたら先輩、いいよって言ってくれて、」
「ちょっと待ってくれ」
「はい?」
少女が不思議そうな顔をする。つられて自分も不思議そうな顔になる。
「衛宮、士郎が?」
「はい」
「私を受け入れると、そう、言ったのか」
「……はい」
少女は。
真剣な顔で、うなずいた。
しっかりと、うなずいた。
風が吹く。
それに合わせるように首を振った。
「残念だが、私は行けない」
「どうしてですか!」
「敵が罠を張って待ち構えているようなところに、むざむざと行けるものか」
「先輩はそんな人じゃありません!」
少女の声が涙声になる。そうだ、彼女はこういう性質だった。昨日のことを繰り返さなければいけないのかと、金紗の髪の少女のことを思い憂鬱になったところで女性が声を投げてきた。
「サクラ」
「…………っ、なあに、ライダー」
「士郎とアーチャーの不仲はサクラも知ったことでしょう。それが昨日今日のことではいそうですかと行けるわけがないではないですか」
「で……でも、先輩はそんな人じゃ……」
「アーチャーは何も悪い意味で行けないと言ったわけではありません。そうですよねアーチャー?」
「あ、ああ?」
「おそらくアーチャーは士郎と正面から相対するのが照れ臭いのかと。喧嘩友達が顔を突きあわせれば、そういうことになるでしょう?」
「喧嘩友達……」
「そうですよね、アーチャー?」
「あ、ああ、そうだな」
女性はそこで言葉を切ると、ふう、とため息をついた。それはとても悩ましいため息だった。
「男性同士のことは女性であるわたしたちにはわかりません。ですから、放っておくに越したことはないかと」
「で、でも、それじゃアーチャーさんが……」
ぱちん、と女性からのウインク。眼鏡の奥の四角い瞳孔が怪しく輝く。
「……桜、私なら大丈夫だ。見ての通り体も丈夫だしランサー程とは行かないがサバイバルの知識もある。独りでの生活など、事もないさ」
「ほんとう、ですか」
「ああ、本当だとも」
シーク・タイム。少女は考え、
「信じて、いいんですね」
「……信じて、くれないのか?」
チク、タク、チク、タク、チク。
「わかりました」
少女は言うと、踵を返す。それまでまるで昨日の彼女のようで、少しおかしくなってしまった。
「? どうして笑ってるんですか、アーチャーさん」
「いいや、何でもないよ。ただの思い出し笑いさ」
くだらない、ね。
そうだ。
本当に、くだらない感傷だ。
彼女たちに手を振りながら思う。次は誰が来るのかと。そうしてこのくだらない箱庭には、いつ終わりが来るのだろうかと。


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