「……釣れますか?」
「……珍しいな、君が“一日目”から干渉してくるというのは。どういった魂胆かな、シスター・カレン」
「あら、魂胆なんてありません。わたしはただ純粋に、“釣れますか?”とあなたに声をかけただけ」
平坦にフラットに、少女の声が語るからアーチャーは振り返らずに答えた。釣竿を手に、それよりも大事なことがあるのだというかのように。
「そうだな、大物がかかったかな。例えば……“君”のような」
「わたしときたらあなたにかかれば鮮魚扱いなのかしら? 活きはきっと良くないのでしょうね。生き汚く生きているくせにまるで死んだ目をしているのよ」
「…………」
答えに困る返答をしないでほしい。
なので黙っていると、隣にすとんと座り込まれた。あまりにも意外なことなので目を瞬かせていれば彼女はうっそりと笑う。
およそ少女らしくない笑い方で、うっそりと。まるで獲物を前にした獰猛な獣のように。
「あなた、この世界は楽しくて? 堪能していて? “生きている”と。ご自分が“生きている”のだと実感していて?」
「仮初めの、生だよ」
「それでも生きていることに間違いはないわ。だって、ほら」
「!」
少女の手がジャケットをかき分け無造作に胸元に触れてくる。心臓。そこは未だ誰にも触れさせたことのない場所。
たったひとりの例外を除いては。
そう――――。
「わたしの飼い犬に貫かれた痕があるんでしょう? 悪いことをさせましたね、よく叱っておくわ。……そう、よおく、ね」
「やめてくれ、きっと彼は知らない。私が過去にあんなものだったなんて知る由もない。だから、いいんだ」
「まあ。あんなものだなんて、可哀相。彼も立派に生きている人間よ? もっとも今は、単なる悪魔憑きだけれど」
「君、そこまで知っていて」
「何故、なんて無粋な真似はやめてねあなた? わたしは大体のことは知っているの、大体のことだけだけれど。だから知っているのよ、あなたの過去でさえ」
「……恐ろしいな、シスター・カレン」
目の前の少女が急にアイアン・メイデン、拷問器具である鉄の処女の異名を持ったそれに見えてきて、アーチャーはぶるりと寒気を覚える。あれはまだ、生前に味わったことはない拷問だ。当然である。
あんなものを食らえばとてもではないがタフであることが売りのアーチャー……エミヤですら生き残ってはいられない。
「……それにしても、シスター・カレン」
「そんなに他人行儀な呼び方をしなくともいいのですよ? ……それで、何ですか」
「胸に……その、手を」
「ああ」
これは失礼、そうつぶやいて少女はアーチャーの心臓へ触れさせていた己の白い手をあっさりと引き、その事実にアーチャーはほっとしたのだった。拷問すぎる。
敏感な箇所にああも無遠慮にじっくりと、じくじくと触れられていては敵わない。
「ところで、あの悪魔憑きの彼。あなたの過去なのでしょう? 何か思うところなどありませんか?」
「特に、何も。奴なら奴で勝手にやるさ。だから私も勝手にやらせてもらうことにした、橋を守る役目はもう終わりさ。だからこれからは道化に勤めさせてもらおうかと」
「まあ」
道化だなんて。
口元に手を当てて無表情ながらも少女が驚きの表情とポーズ。
「あなたにぴったりね。せいぜいくるくる素敵なダンスを踊ってわたしたちを魅せて?」
「…………善処する」
やはり、この少女は苦手だ。
あのクランの猛犬ランサーと小さいとは言えハイレベルでハイエンドの独善的である英雄王であるギルガメッシュを易々と従えてみせるのだから。
赤い布でこう、くいっと。
アーチャーのマルティーンの聖骸布と起源は同じなのだろうか?しかしアーチャーのそれにそんな効果は無い。せいぜいが守りに特化しているくらいだ。けれど戦いもすれば破れるし、千切れる。
少女の持つ赤い布は、その点で言えばアーチャーのそれよりやはり、頑強で強固なように思えるのだが。
「あなたの鼓動」
ふと、アーチャーの隣に腰を下ろした少女が語る。
年齢に似合う、高く甘いくせにぼそぼそとした、聞き取りづらい声だった。
「すごく、どきどきしていたわ。……ふふ。わたしに触れられて感じてしまったの? だとしたらとても可愛いわ、ええ、とても。それとも過去を思い出しでもしたのかしら? あの恐怖の体験。そして、甘美な死。蕩けるような、崖下に突き落とされるようなまっさかさまな死の感触。ねぇ、それはきっととても甘美であったことでしょう?」
「…………」
それが。
それが、違うことだとは言えなかったから。
どれが正解かは言えなかったけれど、クランの猛犬。
現在は少女の“飼い犬”として飼い慣らされたアイルランドの光の御子がかつて己に刻んでいった死のしるし。
それはまさに奈落の底へと突き落とされるような、舌が蕩けるような甘美な死の体験だった。その時は心臓が鼓動するばかりで、感じきれなかったけれど。
今思い出すのなら、それは間違いなく甘美であった、一瞬だけに味わえた、死の感触だったと言えるのだった。
「そんな体験をあなたにさせたわたしの飼い犬とわたしに、あなたは何か奉仕をするべきではなくて? いいえ、無理にとは申しません。けれど出来るのならば。出来るのならば、何か対価を頂きたいわ」
「……待っていてくれたまえ、シスター・カレン。何かの“御礼”を君には用意しておこう」
「ご厚意、ありがたく受け取らせていただきます」
そう言って、彼女はその日初めての“表情”を動かした笑みをその白い顔に浮かべた。凝り固まったかのような表情筋を動かして、笑ったのだ。
おそらく青い猛犬や金色の子猫は、その笑顔を見たら怖気を感じるはず。
けれど自分は何だか“慣れていた”から、平然を保って、ただそのままでいた。
ぱしゃっ。
「……まあ」
「……っと」
そこで餌に、針に魚がかかる。釣れましたねと少女が言って、ああと答えるアーチャー。少女は言った。まるで決め台詞のように。
「――――フィッシュ」


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