「……釣れますか?」
そう聞いた彼女でさえ、戸惑っているようだった。
当然だろう。彼女の時間は“夜”限定だ。こんな昼間から活動しているなんてことは有り得ない。
それでも彼女は今、ここにいる。
その名をバゼット・フラガ・マクレミッツ。昼間はただのひとりの、女だ。
彼女は大して驚きもしないような様子のアーチャーを見てどこかやはり戸惑ったような顔をし、顔をじっと見つめてくる。
いっそ無遠慮と言えるほどのその視線は、彼女らしいものだと繰り返しの中でかつて学んだ。
忘れることが出来ない記憶だった。“衛宮士郎”であった頃。
その時に彼女と遭遇して、そして覚えた死の感触は。
あの決定的な“死”には負けるものの、それでも強烈だったと言えるだろう。
「……君、」
はじめて、を装ってアーチャーは聞いてみる。それが不安定な今の彼女には似合うと思ったから。
「君、名前は?」
知っていたけど、知らない振りをした。
そうすると彼女は若干ほっとしたような顔を見せて、あ、あ、と、何度か頷いてみせて。
「……バゼット。バゼット・フラガ・マクレミッツと言います。バゼットと、そう呼んでください」
「それではバゼット。立ちっぱなしも何だろう、座るなり何なりしたらどうだね」
「――――そう、ですね」
言って彼女はきょろきょろと辺りを見回し、アーチャーはその隙にポケットからハンカチを取り出した。全くもって彼らしい、真っ白な飾り気のない、白いハンカチ。
それをコンクリートの上に広げると、まだ座る場所を探してきょろきょろしている彼女に向けて指し示した。
「ここに。座ったらどうかね」
「あ……りがとう、ございます」
唐突に現れたように見えただろう、ハンカチに瞠目した彼女はけれど、すぐにすとんとそこに腰を落とした。ハンカチと同じ、何の色気もないパンツスーツ。
それはもしかしたらきっと、男物のそれかもしれなくて――――。
「…………」
彼女の耳に今は無き、“彼”とそろいのはずのイヤリング。おそらくそれがそろうのは、そろっていたのは過去だけのはずで、これから先にそろうことはずっとないはずで。 そう考えなければどうしてか安堵出来ず、釣竿を握る手にも力が篭る。うっかりすれば壊してしまいそうで、「クラッシャー」そんな異名を持つはずの彼女とは一緒になんてなりたくなかった。
そう、これは。
嫉妬だ。
“彼”と束の間にでも共にいられた彼女への嫉妬。醜い。なんて醜いのだろう。神話や逸話に出てくる女性を笑えない。嫉妬に狂う彼女たちを笑えない。
素直に嫉妬だと、認められるようになるまでは時間がかかった。それでも。それでも真に納得するまでにさらに時間がかかった。
難しいのだ。負の感情でしかないそれを認めて己のものとするのは。
難しいのだ。負の感情でしかないそれを認めて、我が物とするのは。
「……それで」
釣れますか?
もう一度同じ質問を繰り返してきた彼女に向け、まあそこそこ、という返答を返す。しかし結果はそれを上回っていて、背後のクーラーボックスには釣れ立てである鮮魚が溢れていた。
それは酸素を求めて苦しげに喘いでいた。口をぱくぱくと何度も開け閉めして。苦しみに悶えていた。まるでアーチャー自身のように。
苦しい。
苦しい。
やがてやって来る“終わり”が。
彼女の迎える、“彼”が齎す“終わり”が。
アーチャーは決して関われない、彼女、バゼット・フラガ・マクレミッツの迎える“終わり”。一度きりの完全なる死。
アーチャーがまだ衛宮士郎であった頃、その胸を貫いた魔槍が今度はこの女の胸を貫く。それを想像しただけで嫉妬を覚える。魔槍がその胸を貫き齎される死に、アーチャーは限りない憧れと情動を覚える。
欲しい。
あの、死が。
決定的な、覆せない死。助けてくれた凛には感謝する。その一方で死んでいたかったと思う自分がいた。あの甘美な死を味わったまま目覚めたくはなかったと、そう思う自分がいたことをアーチャーは知っていた。
だから。
だから、それをもうすぐ迎えられる彼女がいることを、例えこの箱庭のシステムですぐに生き返るとしてもその身にアーチャーと同じく魔槍での死が刻まれるだなんて、そんなことは羨ましくてたまらなかった。
そう。だから、嫉妬した。
羨望した。渇望した。求めた。
あの男から、与えられる死を。
おぞましいほど、アーチャーは太陽が燦々と照る昼間に、暗い死を求めたのだった。
「……成長しないものだな」
「は?」
「ああ、いや、何でも」
欲しいものを素直に欲しいと言えない。
それは昔からのアーチャーの性根。
もし隣の子供が赤い風船を欲しいと騒いでいたら、子供の頃の“衛宮士郎”はそれをその子供に譲って自分は青い風船を手にしたことだろう。
褒められることさえ求めず。
ごくごく自然に。誰かが目の前で一方を“欲しい”と騒げば、それを相手にくれてやっていた。何の葛藤もなく。不満もなく。
ただ、求めるものがいるのなら、と。
(……だから)
だからこんなものになりはてた。
「バゼット」
アーチャーは笑った。彼女へと向けて。もうすぐ彼女に与えられる彼からの死を欲しがりながら、それを決して口には出さず微笑んだ。「君にはこれから幸運が訪れるだろうよ。期待して待っているといい」そして怪訝な彼女に向けて、もう一度にっこりと笑ってみせたのだった。


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