「駄目だろうか……姉さん」
「駄目よ。駄目ったら駄目。絶対に、駄目なんだから!」
珍しく、姉が弟を突っぱねている。それも露骨に。すさまじく露骨に。しかも距離を取っている。隙あらば弟の胸に飛び込むのが彼女の流儀であるはずなのに。
それのそのはず、弟の腕の中にはとある存在があった。それはか弱い声で一声鳴いた。
……にぃ、と。


「いーいアーチャー、いいえシロウ。その腕の中の生き物がいつわたしに飛びかかってくるかわからない、そんな状態でわたしは毎日をここで過ごしたくないの。ここはわたしとシロウだけのための楽園。パライソなのよ」
「だが、彼を置いては、」
「駄目ったら駄目! 駄犬もそうだけど、どうしてあなたは害獣ばかり拾ってきてしまうの? 猫なんて、猫なんて、猫なんて……」
百害あって一利なしだわ!姉――――イリヤの可愛らしい唇が残酷に冷酷に口にする。わたし、残酷でしてよ。
それに弟――――アーチャーは一生懸命に反論する。けれど、姉さん。私……オレは。
「みっともない話だが、彼を自分と重ねてしまって。そうしたらもう、駄目だったんだ。放ってなんておけなかった」
「わたしは? わたしはどうなるの? あなたの大事な姉じゃあないの?」
「姉さんはオレにとって大事な姉さんだよ、でも……」
「それでもあなた、その猫を受け入れてって無理な相談をわたしにするんでしょう。でも無理よ。無駄よ。駄目なの。甘えても甘えてもそれだけは駄目なの。わたし、あなたの頭ならいくらだって撫でていられるけどその害獣だけは屋敷に入れられないわ」
「害獣……」
すると目に見えてアーチャーの様子がしょんぼりとしてしまう。攻撃されているのは腕の中の存在……子猫なのに、まるで自分が痛みを受けたように眉を寄せて、肩を縮まらせてしまうのだった。
イリヤはそれを横目片目でちらりと見て「まずいかな」という顔をするのだが、すぐに子猫の存在否定に戻る。何しろ彼女は大の猫嫌いだ。弟であるエミヤシロウ、アーチャーと天秤にかけるわけではないが生理的に駄目なのだ、仕方ない。
「なあ、姉さん。彼の頭を少しでもいい、撫でてやってはくれないか。触ってみればもしかして……」
「駄目よ無理よ嫌よ! そんな奴の頭なんて触れない! 撫でられない! ねえシロウわかるでしょう? わたしは猫が嫌いなの。嫌い嫌い大っ嫌い! 存在も許したくないほどよ!」
本当は視界に収めたくもないのだとイリヤは騒ぐ。ぷんぷんと、外見に副ったやり方で。
そうすればアーチャーはなだめることも出来ずにしょげてしまう。イリヤが“姉”と振る舞う内は特に、だ。単なる無邪気な少女としてだけではなく、“姉”として。
……結局はアーチャーは“弟”として願いを叶えることが出来ずに屈服し、「わかった」とひとことつぶやくのだった。
「……わかったよ、姉さん。ならオレは彼を連れてどこかに行こう。彼がいる限り、ここにいることは許されないのだから……」
「…………」
「それじゃあ。姉さん……ありがとう」
話を、聞いてくれて。
そんなことを言って、アーチャーはイリヤに背を向けた。そしてそのままゆっくりとゆっくりと子猫と共に歩みだす。広い背中がやけに小さく見えて。
遠ざかっていく速度は一定なのに、何だかとてつもなく彼が遠くに行ってしまうかのようで――――。


「待って!」


イリヤは叫んだ。叫んで、走って、アーチャーの背中に飛びついた。そして彼が抱いた猫そのものも一緒に、ぎゅっと抱きしめてしまう。
「ねえ……さん?」
「駄目、行っちゃ嫌。許すわ。その……ネコ、のこと。許すから、お願い。わたしを置いていかないで」
目を見開く、気配がした。イリヤはアーチャーの背に顔をうずめていたので、実際には彼の顔は見えなかったのだが。
顔が、鋼色の目を見開く彼の顔が、見えた気が、したのだ。
「いいから、一緒にいてもいいから……だから、わたしを置いていかないで」
サーヴァントである彼からは何の匂いもしない。けれど確かにアーチャーであるという匂いはして、イリヤはそれが愛しくて愛しくて、たまらなくなってしまうのだった。
「わたしを、置いていかないで」
「…………」
しばらくイリヤはアーチャーにしがみついていた。服の生地をも握りしめて、ぎゅっと。
やがて、アーチャーが。
「……姉さん」
「なあ、に?」
「一度でいいから……彼を抱いてやってくれないか。一度だけで、いいんだ」
「…………」
一度だけでいいの、と、イリヤは言った。
何度でも抱いてくれるのなら?と少しおどけてアーチャーは言った。イリヤはふるふると首を振ると、彼から離れてにっこり笑う。


「一度だけよ」


奇しくも日付けは2/22。猫の日と呼ばれる記念日の出来事だった。


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