「釣れてっか?」
気のいい声が、背後でした。
それに空手を万歳するかのように上げて答えると、ああ、とその声が変調して。
「釣りに来てたんじゃねえのか」
「生憎と。君は?」
「おまえに会いに来たんだよ」
「――――」
「会いに来たんだって」
喜べよ、と声が言うから、振り返ってむっすりとした顔を向けてやった。
そうすれば声の主――――ランサーは楽しそうな顔をして、歩み寄ってくる。そして、
「ん!」
いきなり、唇を奪ってきた。
「ん、んん……、んっ、」
舌を入れられそうになったところで、慌てて後ずさる、
「危ねえな」
次の瞬間、唇は解放されて、代わりに腕が掌握されていた。
「離せ、離っ……」
「馬鹿、暴れんな」
落ちるだろ。
「おちる?」
「見てみろ」
そっとな、と言うから、そっと見てみた。
「……あ」
すぐ下は、海。
「季節外れの水泳がしてえってなら離してやっけど」
「……したくはない」
「だよなあ」
よっ、と、とランサーは腕を掴んだまま引っ張って、無事にコンクリートの上に体を戻してくれた。
「おまえ、抜けてんとこあるよなあ、結構」
「君が、いきなりっ……」
「オレが?」
不思議そうな顔をしているから、黙った。恥の上塗りをこれ以上自分でしたくない。
「それで。用事は?」
「だから、おまえに会いたくなったって」
「それだけではないだろう」
「…………」
笑顔が真顔になる。聡いな、と低い声が告げた。
「今夜な。殺しに行くんだ」
女を、とその声が続ける。ああ、今夜か。そう思った。
「だからもう会えねえ。二度と。だから、顔を見ただけでたまんなくなったんだ」
「だから? 突然くちづけをしたと?」
そう、と返してやけに幼くランサーは笑う。
「出来れば押し倒してやりてえよ」
「殺すぞ」
「昼間だ。無理だろ」
なあ、とランサーは問いかけてくる。
「寂しいか?」
「……何が?」
「オレに会えなくなるんだぜ」
「寂しくなど、ないよ」
「薄情な奴だな」
「忘れはしないから」
君は私の、
「ここに、いるから」
そう言って左胸を押さえた。そして笑う。ランサーはそれを見て、不意を突かれたような顔をして、
「……ああ。おまえは相変わらず、殺し文句を平気で吐く男だな」
端正な顔をくしゃりと歪めて笑った。
しばらくは潮騒。ランサーが顔を近付けてくる。目を閉じかけたところで、にゃあん。
「ん?」
怪訝そうにランサーが動きを止めた。その間近に、ぴょこんと子猫が顔を出す。
「何だ。おまえ、オレの他にこんな奴まで胸に飼ってたのか」
「懐かれてしまってね。ここに入れておかないとひどく泣き喚くんだ」
「羨ましいの。……なあ、おまえ」
ランサーは子猫に向かって言った。ひどく優しい顔で。
「こいつを、守ってくれな。……強がりばっかり繰り返す馬鹿な、奴だから」


back.