「アーチャー!」
周囲に響き渡った声に時計台の下に立っていたアーチャーは思わずびくり、と反応した。どう見ても過剰反応。けれど反射的にだから、仕方ない。眉間に軽く皺を寄せてうつむき気味にしていた顔を上げれば手を振りながら走ってくる人影。
さらに深くなる眉間の皺。
帰りたい。
切実に思うアーチャーの内心も知らず、青く艶やかな髪を後ろでひとつにくくった美女……見た目二十代前半程度、が満面の笑みを浮かべて駆けてくる。その度に銀色のピアスと平均以上の胸部が揺れた。
「よー! 待たせちまったな、悪りい悪りい!」
待ってない。
待っていないから。たとえ待っていたとしても待っていない、待っていないことにしてほしい。
そこまで大声でアピールされてしまってはどう見てもふたりは関係者同士にしか見えないだろう。実際そうなのだが、世の中には世間体というものがあって。
随分遠くからやってきたのに、ほんの一瞬でアーチャーの元までやってきた美女は笑みを浮かべたまま、よっ、などとざっくらばんに手を上げる。
「嬢ちゃんやライダーに捕まっちまってよー。どうせ出かけるんならちゃんとした格好してけとか何とか。ライダーの言い分はまだわかるんだが嬢ちゃんはひでえったらねえんだよ。“あんたがみっともない格好してたらわたしのアーチャーまで同じ目で見られるでしょ”とかよ、ほんと、キッツいったらないねえ」
大口を開けて笑う。すらりとした肢体にモノトーン調でまとめたコーディネート。高めの背がヒールつきのブーツで上乗せされている。 …………、と無言のアーチャーに笑っていた美女は不思議そうな顔になり、
「どうした? 腹でも痛いか?」
「―――――ランサー。あまり目立つような行動は……その、どうかと思うが」
「なんだ、照れてんのかよ! っと、かわいいよなあおまえ!」
問いかけに押し殺すような声で答えたアーチャーへ、またも笑顔で言ってのけた。
大声で。
集まる周囲の視線にアーチャーはただただ、その大柄な体を小さくすることしか出来なかった。

暇が有り余っているのねランサー。
労働に励んでいるかと思えばそれも女性漁りのための手段だったとは、ほとほと呆れ果てました。そんなに女性が好きならば、あなた。
いっそ、女性になってしまえばいいのでは?
カレン・オルテンシアの超理論。まあ、小さくなって今は無害とは言えあの俺様我様英雄王ギルガメッシュを従える器の持ち主である。世間の普通からは明らかにずれているだろう。
そんなカレンにほとんどチート、反則じみた様々な道具を取り扱えるギルガメッシュをセットにした世の中の意思とは、世界の意思とは本当に悪趣味としか言いようがない。よく子供に危険物を持たせてはいけないと言う。
子供はその危なさがわからないから、だけど今のギルガメッシュはそれ以上に性質が悪い。
危なさをわかっていて、持ちだしてきて使用するのだから。
しかも決して無理強いされたのではなく。
ライダーから借りてきたという秋色のコートの裾を翻し、ランサーはアーチャーの先を行く。カレンの命を受けたギルガメッシュにより男性から女性へと変貌させられたその肉体は一見華奢に見えながらしっかりと筋肉がついていて、さながら野性の獣のようだった。
「休日となると人出がすげえよなあ。おいアーチャー、はぐれんなよ。まあ、おまえの背だったら人混みでも簡単に見つかるし、まずだ。オレがおまえを見失ったりはしねえんだけどよ」
「……はぐれるのは君の方ではないか、ランサー。どんどんそうやって先に行ってしまい、気がついたらひとりで慌てても遅いのだぞ」
「ガキじゃあるまいし。そんなことで慌てたりはしねえよ、心配すんな」
「心配だとかそういうことではなくてだな……」
「ん。なら、手ェつなぐか? だったらどうしたってはぐれようがねえだろ」
「それは勘弁してもらえないだろうか」
「なんだ? 照れてんのかよ」
振り返ったランサーの動きに合わせて揺れる後ろ髪。流線形に尾を引いて視界に残る青さに、アーチャーがため息をついて目を閉じる。
「……だから。照れる、だとかそういった問題ではないと」
言いかけた口が途中で違う声を吐きだした。
「ランサー!」
「案ずるよりなんとかっつったか。まあ、ぐだぐだ言うよりやっちまえってこった」
アーチャーの手を握りしめたランサーがあっけらかんと言う。女性に変貌したその体。当然指は細くなり、手も縮んだ。それなのに覆い被さるように大きく節くれだったアーチャーの褐色の手を包む白い手。
いわゆる恋人つなぎ。なんて甘ったるさとは程遠い男らしさでもっていつも通りに主導を取るとランサーは、前に向き直って歩きだす。
「よっし、これで心配ねえな。行くぞ」
「待っ……待て! ランサー!」
慌ててアーチャーは叫ぶ。これではどう見ても彼女の尻の下に敷かれた情けない彼氏だ。
そう周囲に思われるのも嫌だし、その実は逆なのだと自分だけが知っているのも、嫌だ。
―――――いや、彼氏だの彼女だのそういったことではなく、と、考える暇もランサーは与えない。
「とりあえず腹が減ったな……前に話したジェラートおまえにも食わせてやりてえけど、この季節であんま冷てえもんもどうかって思うしな……あ、あそこなんてどうだ、美味そうな匂いするぜ」
「……もう、好きにしてくれ……」
「よっしゃ」
機嫌よくうなずくとランサーはアーチャーの手を引いて人混みをかき分けていく。その先にあるのは、年若い少女たちが集うクレープ屋だ。
姿だけは女性であるランサーはともかく男、それも半端なくがたいのいいアーチャーが立ち寄るにはどうかと思われたが、現状からしてもう、どうでもいい。
問題はそこではない。そういった些細なことではない、根本からして問題がある。
「姉ちゃん、オレはストロベリースペシャルと……アーチャー、おまえ何にする」
「何でもいい」
「何でもいいって。えーとじゃあ、適当にオススメ見繕ってくれるか」
はすっぱを越えたランサーの口調に店員は驚いていたが、客商売という立場上、慣れているのかすぐにはい、と答えて準備を始めた。
たねを鉄板に流してへらでぐるりと薄く伸ばす。その時点でふわりと甘く漂ってきた匂いに満足げに目元をゆるめると、ランサーはつながれた手を持て余しているアーチャーに声をかけてくる。
「緊張してねえで肩の力抜けって。いや、全身の力か? いつもみたいによ、こうおとなしく」
「君は往来で何を言っているのかね!?」
素っ頓狂な声に、店先にかかった垂れ幕が揺れた。
しばらくしてふたりぶんのクレープが出来上がるとランサーが礼を言ってそれを受け取る。タイトなジーンズのポケットから小銭を取りだして、店員へと手渡した。
釣り銭を受け取るとまたポケットへと入れ、手にしたクレープの一方をアーチャーへと差しだす。
「ほら、食えよ。出来立てであったけえから美味いぞ」
「君な、ポケットに直に硬貨を入れるのはどうかと……ああ、もういい」
あきらめてしまってアーチャーはクレープを受け取った。見てみれば定番といったチョコレートとバナナ、そして少な目に生クリームが飾られている。少な目というのはたぶんアーチャーへの配慮だろう。
男性というのはあまり、べたべたに甘いものを好まないイメージだから。
「…………」
「ん? どした?」
「いや、何でも」
たっぷりの生クリームとストロベリーソース、そして小さくカットされた苺で溢れかえりそうなクレープをぱくついているランサーには、その公式は当てはまらないようだが。
今は女性だからどうこうではなく、普通に元から好きだった。彼は。
しばらくふたり無言でクレープを食べる。
「それにしても、君は苺が好きだな。甘党なのか? 何となくこう……意外だ」
「別にそればっかりってわけでもねえけどな。肉も魚も食うし辛いもんも苦いもんも、癖のあるもんもそれなりに好きだぜ。……まあ、なんつーかよ。度を越してんのはどうかと思うがよ。たとえば死ぬほど辛いマーボーだとか、死ぬほど甘い菓子だとか?」
どこか遠い目をするランサーに、ああ、と微妙な反応を返すアーチャー。
二代続いて味覚障害じみたマスターに恵まれたランサーよ、哀れ。
「ま、今はおまえの美味い飯が食えるから帳消しってことで」
軽く、けれど決して軽々しくはなく言ってランサーはまたクレープをぱくついた。手に垂れ落ちたストロベリーソースをおっと、などと言いながら舌で拭う。
その様に常日頃の自分へと喰らいつく野性味を思いだし、アーチャーはどぎまぎとする。
「……身だしなみに気を遣うなら、ハンカチくらい持ってきたらどうだね」
「お、サンキュ」
差しだされた飾り気のない真っ白いハンカチを受け取ると、ランサーは舌で舐めた場所を片手で拭いた。
「まったく凛も……肝心なところで抜けている」
「まあ、そう言ってやるなって。そこが嬢ちゃんのいいところなんじゃねえの。人間味があるっていうかよ」
「しかしだな。私からしてみれば、女性としてどうかと思うぞ」
「それは嬢ちゃんに言ってんのかね、それとも今のオレに?」
不意の質問にアーチャーは瞠目する。見上げてくる赤い瞳。
仕掛けた側と仕掛けられた側、そろって沈黙してからしばらくして切りだしたのはアーチャーの方だった。
「……ランサー、君、どうして数ある果実の中から苺を好む?」
己でもどちらに向けて言ったのかよくわからず、アーチャーはまったく違う方向から話題を持ちだしてきた。特に真実を知らずともいい話題。唐突にそれを振られたランサーはきょとん、と目を丸くしてからああ、と。
「ああ、そりゃおまえを連想させるからじゃねえの」
「は」
「とか。最初は味が単純に好きで食ってたけどよ。最近そうじゃないのかと思い始めてきたんだが、おまえはどう思う? アーチャー」
美貌が意地悪く微笑んだ。藪をつついて蛇を出す、脳裏に浮かぶ呑気な言葉。
「なあ? アーチャー」
「…………」
「なあ。なあって」
「…………」
「なーって。どう思うっての」
普段のランサーらしからぬ態度。
アーチャーのマスター、遠坂凛のように悪戯っぽく小悪魔めいて絡んでくるのに目を背ける。ファッションだけでなく、他人をからかう手管まで教えられたか……!
華奢な女性の外見をフルに活用し、それなのに彼らしさは失わず追い詰めてくるランサーに、アーチャーはどうして外出の誘いを受けてしまったのだろうかと今さらながらに思った。




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