坊主はいない。アーチャーを可愛がるならいまのうち!
だと思っていたのに。
「ランサー、ランサー、どうしてふたりいるんだ? 双子だったのか? きりつぐに見せたらびっくりするな!」
「あー……あははー……そうだなすっげえびっくりするだろうな、なんでさーとか言って……はは……」
最初っからテンションだだ下がりのランサーである。そりゃそうだろう、イリヤの秘蔵ワイン(らしきもの)で酔っ払ったアーチャーを士郎がいない隙に最速でパパッと可愛がっちゃおう!的な心境だったのに邪魔者が入っては。しかも黒い自分。
「ていうかこんな状況なくなくねー……?」
お得意のツッコミにもいまいち力がない。なくなくねーと言われてもあるあるだから仕方ないのだ。なんで?と言われても確固たる理由なんてない!みたいな危うさだが、そこは大人の事情である。汚い。大人って汚い。
ちょっとした中二病っぽく今さらながら大人を憎んだりしてみて、それでも自分が大人だからそれは意味がないということはランサーもわかっている。
「なあ、アーチャ」
「そういえばランサー、きりつぐはどこに行ったんだ?」
「…………」
いきなりきりつぐ、ていうか坊主の話かよ!
可愛さ余って憎さなんとやら。ただし可愛さのベクトルはアーチャーへ、憎さのベクトルは士郎へと向けられる。
「なあ、きりつぐは? ランサー」
「いや、それよりよ……目の前にオレがふたりいることについてはもっとなんかコメントないのか?」
「コメント……?」
「ああ」
アーチャーはしばし考え、
「ない!」
「そうかーないかー! そうかー!」
相手がアーチャーじゃなければ宝具が発動しているところだった。
ていうかオレがふたりいても坊主ひとりに敵わねえのか、なんだ坊主なんて坊主なんてちっさいくせに生意気だ!だなんて士郎がいれば怒りの抗議を喰らう暴言を心の中で吐いて、ランサーはもうひとりの自分をねめつける。
「おまえよ。何の事情があってここにいるのかは知らねえが……せっかくいるんだ、ちっとは協力くらいしてくれたっていいんじゃねえのか」
「……オレは生憎とマスターにそういった命令は受けていない」
「じゃあなんでいるんだ。他に理由があると?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………特に」
「長いんだよ!」
無言の時間はそれに意味がないとわかったほど辛く重くのしかかるものだ。
まったく時間を無駄にしたとランサーがぶつぶつつぶやいていると。
「……あ」
「ああ?」
「……聞こえている。問題はない……繰り返す。“えみや”を奪え。了解した。これから実行に移す、マスター」
「―――――は?」
アーチャーの傍にいたもうひとりのランサーが立ち上がった。金色の目が鈍く光り、伸ばされた腕がぐいとアーチャーを抱き寄せる。
「……マスターから命令が下った。“えみやしろう”を連れてこいとのことだ。……手段は選ばず好きにしろと……」
「はあ?」
えみやしろう。
それは坊主のことだろうと言いかけ、アーチャーも“エミヤシロウ”であることにランサーはすぐ気づく。ならば話は早い。
「させるかよ。手段は選ばずだ? そんなもんはな、オレからそいつをさらっていける実力を見せてから言いやがれ」
「……面倒だからわざわざ見せる気はないが……動くながらに知るだろう」
「面倒なのかよ」
とにかく気力がないのに使命を果たす気満々のもうひとりの自分が概念武装を纏うのを見て、ランサーは自らも同じくする。息を吸って吐けば体中に漲る力。背筋に気持ちの良い緊張感のようなものが走る。
「―――――ゾクゾクしてきたな」
「…………」
「待ってろアーチャー。そいつぶっ倒して無事にこっちに来たら、すぐ坊主……キリツグに会わせてやっから」
「きりつぐに……?」
「そうだ。キリツグにだ、いいか?」
無造作に回された腕に首を軽く絞められ苦しそうな顔をしていたアーチャーは、その言葉を聞いてこくりとうなずく。ランサーは口端を吊り上げ、笑みを浮かべた。
「いい子だ」
次の瞬間、火花が宙を駆けた。
「悪いランサー、戻……って、なんだ!?」
用を済ませ足早に戻ってきた士郎は、概念武装を纏い、体のあちこちに傷を作ったランサーを見て目を丸くする。家から少し離れた間に一体何があったのか。傍にぴったりとくっついていたアーチャーは士郎の姿を認めると「きりつぐ」と頼りない声を上げるも、ランサーからは離れられないようだった。
「どうしたんだよ……何があったんだ、ランサー」
「ランサー……きりつぐ……」
「なんもねえよ。ほら、キリツグが帰ってきたぞ。傍行け傍」
「……ん」
声と同じ頼りなげな顔をして立ち上がり、士郎の元へ行くアーチャー。とりあえずその頭を軽く撫で、士郎は小さく、しかしはっきりとつぶやいた。
「なんでもないってことないだろ……絶対に話してもらうからな」
「強情だな、坊主は」
「どっちがだよ」
衛宮邸の夜は、一夜限りの深刻さに包まれ更けていく。
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