ごろりと。
教会の冷たい床に、転がるひとりの男。
さんざんっぱら遊ばれ尽くして捨てられた、男はぼんやりと焦点の合わない瞳で宙を見ていた。天井には美しいステンドグラス。だというのに。
私は、こんなに汚れてしまった。
男は思う。遊ばれ尽くした。そう言ったけれど、奴は、奴らはまた戻ってくるだろう。今はただこの遊びに飽いて、他の遊び場へと行っただけのこと。何事にも飽きやすいのがあの英雄王という存在だ。だというのに奴はどうしてだか男にだけは執着を見せて何度も何度も何度も男を抱く。
ぼろぼろにして、泥漬けにした体を抱く。「抵抗など出来なくするため」とあの王は言ったけれど、それならば足の腱でも寸断して放り転がしておけばよいこと。
男のマスターである少女とのパスはとっくに切られた。だから必要最低限の魔力しか男には蓄えられていないし、だから逃げ出せない。
「んっ、う……」
それにしたって体が疼く。
『フェイカーよ』
あの黄金の男の声が響く。
『神代から伝わる、体の底から欲情を引きずり出す類の薬だ。これをおまえにくれてやる。……我たちが戻るまで、せいぜい歯がゆさに悶えるがいい』
媚薬。
端的に言うのなら、それはそういうものだった。それを口移しで飲まされて、なのに相手はけろりとしていて。一体どうしてなどと考えることも出来ないくらい、次の瞬間にかあっと体が熱くなり、思わず男は声を上げてしまった。
――――嬌声と。いうものを。
それを見て英雄王は高らかに笑うと、男の体を蹴りつけて床に転がした。みっともなく受け身も取れず倒れる男を見て、いっそう、男は愉しげに笑ってみせるのだった。
「――――っ、は、あ、」
息が荒い。この体の奥に篭った熱を解放させたい。誰でもいい、抱いてほしい。意識を飛ばす寸前まで――――いや、意識が飛ぶまで。
願わくばこの存在が消え去るまで。
壊して、蹴散らして、踏みつけて、消してほしい。
「おお。おとなしくしていたようだな、フェイカー?」
ばっ、と。
振り向いた、つもりだった。
だけれど、ただ芋虫が床でもがいたようになっただけだった。待ち侘びた声だったというのに。自分を壊して、蹴散らして、踏みつけて、消してくれる相手の声だというのに。それを満足な状態で迎えることが出来なかったことに唇を噛む。
「どうした? まるで獣のような目をしている。そのような目付きを我に向ける男は既にいるのでな。……おまえには媚びることのみを許す」
どくん。
わかっていても、心臓が高鳴る。赤い瞳はさながら魔眼だ。男の五感を刺激して止まない。びりびりと痺れて、触れればさらに敏感になる。
きっとこの薬のせいだ。何か奇妙な配合でもされているのだ。で、なければ。
従おうなんて。早くこの体をどうにかしてほしいだなんて。思ったりは、しない。
「その泥にまみれた体……本来なら触れることすら厭うのだぞ? それを我自らの手で触れて、犯してやるのだから当然と思え」
「…………ぁ、ぅ、」
かつかつかつかつ、と靴音を鳴らして英雄王は歩み寄ってきて。男の顎を捕らえると、がばりと。
略奪する勢いで、唇を重ねてきた。
「……ふっ、うぅっ、ん、ぅ、」
「――――く、」
唇が離れる刹那、英雄王はくつりと笑う。「このような、」言い切ってくちゅ、と口内の泥にまみれた唾液を溜めると。
「このような穢れたもの、飲み下すのにも値せぬわ」
ぺっ、と男の顔に向かって吐き捨てた。
「…………!」
己の唾液と英雄王の唾液が混じったそれを顔に受けて、男の顔が歪む。だがそれを甘んじて男は受け止めて、震える指先で何とか拭い取って舐め始めた。
「……ほう」
ぴちゃ、くちゅ。
半ば必死になってその唾液を舐め取り続ける男を見て嘲笑い、英雄王はその肩口を蹴った。たまらず長椅子にぶつかりながら床に再び倒れ伏した男に、英雄王は言ってのける。
「卑しい下賎の者めが。誰が許した? 誰が許可した。其は我のものぞ。一度捨てたものとは言え、勝手におまえが舐め取るなど許さぬわ」
「……く、」
「何だ? 文句があるのか。それとも待ちきれないか? どちらでもいい。我は今――――」
英雄王は。
その美しい顔を歪めて、笑った。
「貴様を犯してやりたくて、仕方ないのだからな」
飴と鞭。どちらでも同じこと。文句があるのなら躾として犯すまで。欲しがるのなら与えるという意味をもって犯すまで。
「服を脱げ。そう何度も引き裂かれては面倒であろう? 我もたまには貴様が従順に求める様を見てみたい。言ってみろ、“欲しいです”と。そうすればくれてやる。何、馴らすなどと面倒なことはせんので安心するがよい。最初からおまえの中に入れてやろう――――しかし大声で泣き喚けば、殺すぞ」
尊大な物言いに、けれど男は逆らわず。
まずは赤い外套を脱いでいく。それから足のベルトを取り、ぴったりとした上下の鎧を剥いで。それから。
そうやって全ての手順を終えると、生まれたままの姿で英雄王の前へと立った。
英雄王の瞳は笑んでいる。細く、赤い三日月となって男の裸身を見つめている。
「さあ、口にせよ。貴様は我に何と言う?」
「ほ……」
「何だ、聞こえんぞ」
「欲しい、です、……」
「…………」
よし、と英雄王は言って。
「だが、そう従順でいられても少々つまらんな」
などと勝手なことを言いながら、その手にひとふりのナイフを持ち出した。そうやって男の褐色の肌に突きつけて、言う。
「これから思う存分、繰り返し繰り返し抱いてやろう。先に意識を飛ばすなよ? そんなことをすればいつもの仕置きが待っているからな!」
英雄王の笑い声が、ステンドグラスの嵌められた天井に反響して、いつまでも、いつまでも、響いていたのだった――――。
back.