「――――ちょっと待った!」
がたん、と長椅子が鳴る。きょとんとした瞳で、同僚のギルガメッシュ少年がランサーを見ていた。
「え――――え?」
辺りをきょろきょろと見回すランサー、完全に事態の把握が出来ていない。扇風機の首振りモードのように首を回して、沈黙して。
「夢……か」
ほっとしたように、ため息をついた。
「あら」
ほっとしたように、ため息をついたランサーの背にかけられる声。びしぃ、と定規を背中に突っ込まれたようにランサーのそこが伸びた。あーあ、といった風なギルガメッシュ。
「夢を、見ていたのですか? あなたには用事を言いつけていたはずですが、ランサー。それを忘れてまさか、惰眠を貪っていたとでも……そう、言いたいわけなのですか?」
「あ、いや、いや、」
仕事は終わりました、と声の主に必死にアピールするランサーに、声の主はころころ笑いを転がして。
「終わったのなら。“まだ仕事はありませんか御主人様”と聞いてくるのが常套手段でしょう?」
ランサーが解放されるのには、それからしばらくかかった。
「ねえ。最近ランサーの顔、見かけないと思わない?」
「そういえばそうだな。教会での仕事が忙しいんじゃないか? なあ、アーチャー」
「……何故、私に声をかける」
むっつりとした顔で洗濯物を畳む手を止めたアーチャーに苦笑して、士郎が言葉を投げ返す。
「いや、そのさ。港とかにも来てないのかなって。よく釣りに来てるだろ?」
「……知らん。会わん。まるで私と彼が腐れ縁のような言い方はよしてもらおうか」
「え、そうじゃなかったの?」
「凛……」
じっとりと湿る視線を己がマスターに投げるアーチャー。いやね、うそよ、そう言ってきゃらきゃら笑った凛の耳が、とある音を聞きつけた。
ぴんぽーん。
「あら士郎。お客よ、出てらっしゃいな」
「ええ? 今ちょっと手が離せないんだけど……」
「私が行く。貴様はそうやってそこで延々と進まぬ作業でもしているといい」
「なっ」
捨て台詞のように吐いて、アーチャーは最後のタオルを畳んで立ち上がった。進まないわけじゃない!と叫ぶ士郎を華麗にスルーして玄関へ。写るシルエットに覚えがないこともなかったが、とりあえずは開けないことにはどうにもならない。
「はい、衛宮ですが……」
がたたん!
途端に激しい音がして、扉の向こうで慌てる気配。オーケー把握、とばかりにアーチャーは仏頂面で扉を開け放った。
「……よ、よお」
「…………」
何故だか、珍客――――ランサーの顔は赤い。態度も限りなく怪しい。手に持っている魚がぎっしり詰まったバケツが余計に挙動不審さに拍車をかけていた。
「君か。ならば、インターホンなど鳴らさずにそのまま入ってくればいいものを……って、おい」
「これ! 受け取ってくれ! じゃな!」
バケツをアーチャーの胸元に押し付けて、ランサーはそのまま身を翻してダッシュした。アーチャーは後を追おうとしたがさすがに最速。
追いつくことなど出来ず、あっという間にランサーの姿は豆粒以下になってしまった。
「なーに? 今の誰だったの、アーチャー?」
居間から聞こえるマスターの声に、ただ立ち尽くすアーチャーなのだった。
“ランサー……”
脳内で声がこだまする。
“私は……君が、――――なんだ……”
甘く、低いその声は脳髄を焼いて。
“だから……――――くれないか、”
じわじわと、神経毒のようにランサーの思考を侵す。
“抱いて、くれないか”
「あ――――!!」
絶叫してその辺の電柱を殴り、びりびりと言わせてランサーは歯を食い縛った。たった今、目前に蘇った光景。それは夢だ。夢でしかない。
けれど、リアルすぎるほどリアルな夢、だった。
本人を。
前にすれば、咄嗟に再生されてしまうほど。
「ランサー」
「!?」
幻聴まで聞こえ始めたか、と辺りを見回すが、そこに相手の姿はない。ほっと胸を撫で下ろそうとしたところで。
「ランサー、……何故そのようなところにいるのか聞いてもいいかね?」
下に、いた。
うわわわわ、わ、わ、わ。
バランスを崩したランサーは落下し、敷かれたコンクリートに強か腰を打ちつける。痛い。いろいろと痛い。
「何をやっているのだね……」
「う、う、うるせえよ!」
乱暴な言葉を放ってしまい、はっとする。悪くない。アーチャーは何も、悪くないのだ。
「あのよ、アーチャー……」
顔を上げて、ランサーはその顔を見た。
そして後悔した。
自分の発した言葉を、多大に後悔して今すぐ手掴みで掴んで口に放り込み、飲み込んで消化したくなってしまった。
これ、は。
一方、アーチャーは静かな心で思っていた。これは、ばれてしまったのだろうか。心の底に抱いた彼への気持ち。
そうだ、だから逃げたのだろう。驚いたのだろうから。
犬猿の仲である相手がまさか、自分のことを好いていただなんて、思わなかっただろうから――――。
「済まない」
「へ?」
「……私が、悪かった。さぞかし気分が悪かったことだろう? もう、近付かない。近付かないから、これまでのことを許してくれ。これまでのことを、全部」
「っておい、何なんだよ、意味わかんねえぞ」
「いいんだよ、私がわかっているんだから」
「子供か、おまえは」
「子供の遊びであれば、楽だったかもしれないな」
笑った。
無理をして、笑ってみせた。
笑顔にどきり、とする。けれどそれはよくない笑顔だと思った。だって、全体に哀しさが漂う。何かを諦めようとしている顔だ、と思った。
「……待てよ」
「話はもう終わりだ。それでは、ランサー」
「――――待てって!」
ぱしり、と腕を掴む。その一瞬アーチャーは、ひどく驚いて、それから傷付いた顔をした。いけないのに。
好きな、相手にこんな顔を。
させてはいけなかった、のに。
「……好きだ」
「え――――?」
「それだけ。それだけ、覚えておいてくれよ」
他のことは全部、忘れたっていいから。
言ってランサーはそろそろと掴んだアーチャーの腕を離そうとする。
ふと、その上から手が重ねられた。
褐色の、手だった。
「ランサー」
「な、何だよ」
「今のは……」
「……気持ち悪かった、か」
ぶんぶんと首を振る姿に虚を突かれて。
「……え?」
「私、も、」
好きだった。
そう言われて、頭の中が真っ白になった。
「同じく、気持ち悪かったのなら忘れてくれて構わない」
「ちょっと待て、なんでそういう話になるんだよ。先に好きだって言ったのはオレだろうが」
「それはそう、だが、」
「何だ、オレたち」
両想いなんじゃねえか。
アーチャーの顔が真っ赤になる。
「り、りょ?」
「両想い。……好きなんだろ? オレのこと」
「す、きだ、が、」
「なら、両想いだ」
逃げ出しそうな体を抱きしめる。抱いてくれ、とは現実のアーチャーは言わなかったけれど。
ランサーは抱きしめたかったから、抱きしめた。
普段冷たい体が熱く感じられて。
夢を見るのもいいものだ、と何となくそう、思ったのだった。
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