たすけてと。
かつてのあいつなら、言っただろうか。


赤い空に回る歯車、砂塵の錬鉄場。青い髪を風になびかせ、少年は男の前に立っていた。双方無言。口を開かない。ただ、じっと立ち尽くしている。
たすけて。
それは、一度も言われなかった言葉。
たすけて。
それは、一度も聞かなかった、言葉。
「言えばよかったんだ」
少年の声が歯車の軋む音を割る。凛、としたその声。高くはあるが、決して少女めいてはいない声。男の声だ。年齢は少年だったけれど、彼は立派な男だった。――――、大事な。
大切なものを、守らんと駆けつけて辿り着いた男。駆けて駆けて。その速さで辿り着いて。寸前に、間に合った。
男は口を開かない。世界に突き立つ鋼の色をした瞳。その瞳は。
生憎と、硝子玉になりかけていたけれど。
「エミヤ」
声を上げた。
「エミヤ」
大きく。
「エミヤ、」
もっと。
「エミヤ!」
張り上げた。
男の指が一度、ぴくり、と動く。
だが、それきりだった。
少年の眉が寄る。言えよ、と少年は詰め寄る。今からでもいい、言え、と。
「助けてやるから」
外套の裾を掴む。擦り切れて、穴が開いて、ずたぼろになった赤い外套。
あの鮮烈さは、もう、ない。
「言え!」
声を再び張り上げる。言え。助けてほしいと。オレの名を呼べ。助けてやる。何があっても。何を引き換えにしても。どうあろうと。
「助けてやるから」
必死な目で、少年は男を見上げた。視線が合わせられなくとも。今ならまだ間に合う。大丈夫なはずだ。
まだ、間に合う。
「助けてほしいと、オレに言え」
外套の裾。
男の心情を表すような。擦り切れて、穴が開いて、ずたぼろに。
でも、まだ。
「間に合うはずなんだ……!!」
少年は声を張り上げた。
そうだ。
絶望なんてない。オレがさせない。おまえには希望だけを与えよう。甘やかす?構うものか。
ずっと苦しんできたんだから。
少しくらいは、甘やかさせろ。
もちろん苦しんでいるのは、おまえだけではないけれどと少年は言って。
「でも」
オレが助けたいのは、おまえなんだ。
そう言って、少年は男の足にしがみついた。ところどころが切れたベルトがぶら下がっている。こんなになっちまって。
「馬鹿な奴」
どうして。
たすけてほしいと、そんな簡単なことすらおまえは。
「……言えなかったんだ」
たすけてほしい。
言えなかったのは。
男が、誰かを助けることしか知らなかったから。……自分を助けることを、終ぞ男は知らなかったから。
だから代わりに少年が来た。
こんな小さな体だけれど。
「オレは」
おまえを、
「助けたい」
そう、ささやくように言って。
少年は男の足に、切れかけたベルトに、しがみついた。
「まだ」
あったけぇな、と少年はつぶやいて。
「助けてやるからな」
おまえが何と言ったって、とその目蓋を閉じた。
風が、吹いた。



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