「我がアポロン」
ぞっとするような声が、呼ぶ。
「その肢体は美しい。……我が槍で貫き、命を奪い。そのまま人形としてしまいたいほどだ」
狂った声が。静かに、猛々しく。荒ぶるように、愛の言霊を。
紡いでは、好き放題に。
笑う。
「――――ラン、サー……」
口に出来たのはそれだけ。真名は知らぬ。ただ見えるのは槍だけ。刺々しく、痛みを与えるであろう。
我が身に痛みを与えるであろう、それだけだ。
「ああ、ランサーなどと。そのような仮の名で呼ばないでくれ、アポロン! 我には真の名がある」
にいっ、と。
口が、裂ける。
それは禍々しい獣のようだ。落下しながら突き立てる。
急降下しながら、心臓に、体中に、棘のある槍を。何度も、何度も、何度も。
繰り返し、繰り返してはきっと、笑うのだろう。
溢れ出した血を浴びては紳士のように、獣のように、笑うのだ。
「知ら、ない」
「知らないのなら、教えようか?」
「…………」
首を振る。知りたくないのではない。
知るのならば戦いで。それはマスターが得るもので。
自分などが知っていいものではない。
軽々しく、敵同士の間で知っていいものでは決してないのだ。
すると男は眉を寄せた。ああ!嘆きに満ちた声が木霊する。
「ああ、知りたくはないと。アポロン、何故。我が全てを知りたくはないと? 我が身はこんなにも欲しているのに!」
求めてくれ、と男は言う。
拒めば拒むほど、男は迫る。刺々しい槍を手に。だというのに乞うように。
首を振る。迫る。激しく振る。迫る。
「我が身は、こんなにもその全てを知りたくてたまらないというのに!」
突き立てて?
血を流し?
息の根を止めて?
笑うのだろうか。
この男は、と考えれば背筋に氷を押し当てられたような冷たさ。ああ、置いていけない。
大切なマスターを置いてはいけない。
こんなところで、脱落、する、わけには――――。
「暴いて」
槍が光る。
「裂いて」
鈍く、鈍く。
「全てを」
だというのに。
「我が目の元に!」
どうしようもなく、鋭く。
その槍は、血に濡れて光るのだった。
「ナニヲシテルノカナ?」
不意に聞こえたのは、力が抜けるような声だった。
「はっ!?」
男が素早く振り返る。
顔を上げた前には、派手々しい化粧を施した性別年齢不詳の存在。
「我が妻よ!」
先程まで熱意を持って迫ってきていた男は、俄かにあわあわと慌て出す。
「いや、これは、違う、」
「オリョウリ? デモ、ソレ、アンマリオイシソウジャナイネ」
「浮気ではないぞ!」
「ウワ?」
不思議そうに首を傾げる奇妙な存在。慌てる男についさっきまでの妖しさはない。……というか。
名札を付けるのなら駄目男、というのがぴったり来る。
「さあ、我が妻よ! ふたりの愛の巣に帰ろう!」
何か美味しいものを作ってやるから、といって男は槍を仕舞う。そして、
「我がアポロン。また、後で」
小さくごにょごにょとつぶやいて、奇妙な存在を肩車してどたばたと駆けていった。
「……何だったんだ、あれは」
つぶやいたところでやっと、遠くからマスターが駆けてくる足音が聞こえたのだった。
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