「よお、待ったか?」
校門で。
明らかに男子校であるその学園の校門で名門女子高のセーラー服を着て、足元の小石などを蹴りながらぼんやりとしていたアーチャーはその声に顔を上げた。
すると覗き込むようにそこに端正な顔があって、思わずどきりとしてしまう。
「お……遅い! 十五分の遅刻だ!」
「悪りい悪りい。サッカー部の助っ人にかり出されてよ。だけど速攻で片付けて帰ってきたぜ?」
おまえのために、言うランサーの顔は明るかった。
「……成果は」
「もちろん完封勝ち」
ぶいっ。
にっかりと太陽のように微笑んでVサイン。
それにつれなく「当然だ」と返して影で軽く口元を綻ばせると、アーチャーは持っていた鞄をぎゅっとランサーへ押し付ける。
「とにかく、待たせた礼はしてもらうぞ! そうだな、まずはそうやって鞄を持つところから始めてもらおうか?」
「荷物持ちかよ。太鼓持ちよかマシだが……」
それにしてもとランサーは預けられた鞄を抱きしめて、ふんふんと匂いを嗅いだりなどしている。だからアーチャーもつい赤くなってしまい、君は一体何をしているんだこのたわけと青い頭をぽかんと殴りつける。
「あいてっ」
さすればランサーの口からは素直に言葉が飛び出して、何だよ痛てえなあなんて軽々しい憤りが返ってきたのだった。
「痛くもないだろうが、そんなもの。女の身である私が男の見本であるような君を全力で殴ったとして、何のダメージになる? ならんだろう」
「だってよー、痛かったような気がした……んだもんよー」
「その鞄で殴ったのなら話は別だが。何しろ教科書が全科目分、辞書が三冊にノートも全科目分入っているからな」
「げ。なんでおまえ教科書なんか持ち歩いてんだよ。あんなもん、机やロッカーに置き去りが基本だろ?」
「君の基本は怠惰すぎるな。勤勉な学生はその日使わぬ教科書も持ち歩くものさ。それでこそ学年主席が狙えるというもの」
「あー、おまえそうだったなー。何だっけか、下宿元の嬢ちゃん……遠坂凛、だったか? その嬢ちゃんと首位争いしてるんだってな」
わたしのアーチャー。遠坂が首位なのは基本だけど、別にあなたが首位を取ってもいいのよ。だからわたしたち高めあいましょう?大丈夫、もしあなたが勝ったからって追い出したりなんかしないから。ただ、あなたの努力を称えるだけよ。
気の強そうなツインテールの、あかいあくまと呼ばれる少女。アーチャーの下宿先の遠坂家の長女である彼女のモットーは、“常に余裕を持って優雅たれ”だ。
「中盤辺りをうろついてるオレとしちゃ是非ともおまえさんに蕩けるようなハチミツ授業をしてもらいてえよ。さぞかし成績が上がりそうなこったろ?」
「ハチミツ授業とは何だね……君、おかしな書物を読みすぎではないか?」
呆れたようにアーチャーが言えばランサーはキリッとした真面目な顔を作って。
「何を言いやがる。好きな相手にしてもらうハチミツ授業は男の浪漫だ」
「……そんな浪漫、今すぐ捨ててしまえ」
そう言ってアーチャーは歩き出す。翻る、少し長めのスカート。
規則すれすれに短くしている凛とは違って、アーチャーは校則をしっかり守ったスカート丈にしている。それは危うくすればダサく見えるものの、アーチャーが生真面目と清廉を体言しているような少女であったのでギリギリでおかしいところはないのだった。
「……ランサー?」
しかしその長めのスカートの裾を摘む者がいる。誰か。ランサーだ。
真面目な顔のままそんな行為に白昼堂々挑んでいるランサーは、アーチャーのじっとりした視線にもその表情を崩さずに。
「いや。このスカートの中にはどんな桃源郷が潜んでるもんかなと」
「ちょっと文学的な言い回しをしたって駄目なものは駄目だっ!」
ランサーのおそらくは必要最低限の物しか入っていないような薄っぺらい鞄を奪って白い顔に押し付けると、アーチャーは細肩にぐぐぐぐ、と力を込める。だがランサーの指先はアーチャーのスカートから離れない。どれだけ執着しているというのだろう。とりあえずは清く正しく美しくな男女交際を希望、のアーチャーからしてみればその行為は完璧アウトと言えた。
「……まへまへまへ、あーひゃー、まえ、が、みえね、」
「君が私のスカートから手を離せばこの鞄もどけてやろう」
「はなひゅはなひゅはなひゅ」
……情けない。
「……ぷはっ」
大きく息を継いで、ランサーが呻く。その顔には薄っすら鞄の金具の跡。
「……ア~チャ~」
「え? は、あっ!?」
セーラーの襟を摘み上げられて、足が宙を掻く。数センチ地面から浮き、慌てたアーチャーにかなりの至近距離と言える近さでランサーの顔が近付いてきて。
「これは、お仕置きだな」
「き、君が悪いんだろうっ! 意味もなく人のスカートの裾を摘んだりなどするからっ!」
「問答無用」
そのまま物陰に連れて行かれて、唯一の武器になりそうな薄っぺらい鞄も取り上げられて。
暗がり、裏路地。空気がひんやりとしているように思えて背中がぞくっとする。
辺りをきょろきょろと見回すアーチャーの顔の横に、学ランの腕が伸ばされた。だん、だん。
「……っ……」
「つかまえた」
わざとらしくゆっくり言って、ランサーが顔を近付けてくる。アーチャーは混乱。ぐるぐるコンフュージョン。「あっ、」朱色のスカーフをするりとほどかれて取り上げられて、何だかそれが心許ない。「や、め、」懇願しては、みるけれど。
「やめねえよ」
ランサーが聞き入れてくれる様子はなくて、頭の中はさらにぐるぐる。心臓はばくばく言い出すし、ああもうどうしたら。
大声を出して助けを求める?いや、こんな様子誰かに見られたくはない。隙を突いて逃げ出す?いいや、じっとランサーが目を覗き込んできていて、とてもではないが隙などない、ならば。ならばどうしたら。どうしたらいい?どうしたら。
顔がかあっと熱くなって耳まで紅潮し、心臓はさらにばくばくと音を鳴らす。耳元でうるさいな。自分の出す音だというのに抗議する。ばくばくばくばくばく、ほら駆け足。やがてそれは全力疾走になって、あるきっかけで躓いて、無様に転げて落ちていくのだ。
ランサーの手の中へ。
「らん……っ」
ほら、キスされた。目をぎゅっと瞑ってしまう。辺りが真っ暗になる。アーチャーを閉じ込めるのはランサーの長い二本の腕と己の鼓動。
逃げられない。逃げられない。逃げられない。だから。
だから、逃げないでいよう。おかしなことをアーチャーは脳内でつぶやいて、与えられるランサーのくちづけを懸命に受け止めていた。



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