ざっくりと。 男の足が砂塵を踏んで、愕然とした瞳が二人分、その光景を見た。
「士郎……」
「アーチャー……!」
そこに膝をついてオブジェのように宙を眺めていたのは、かつて“エミヤシロウ”と呼ばれた存在だった。
今は壊れてしまった、哀れなアラヤの操り人形だった。


「士郎、士郎! 目を覚ますんだ、僕だよ、僕がわからないのかい!?」
壮年の男がエミヤの肩を掴んで、がくがくと揺さぶる。それを青い概念武装を纏った青年が未だ愕然とした顔で見やっていた。
「おい、何なんだよこりゃ……」
どういうこったと絶望につぶやく声は、たぶんきっと、かつて青年が生きた神話の時代でさえ誰も聞いたことがなかったと思われる。そのくらい貴重な、けれど聞かされることはなくて良かった、そんな種類の声だった。
エミヤの鋼の瞳にもはや光はない。戦闘の際に宿っていた覇気もない。
剣の切っ先のようだった闘気はどこにもなくて、ただただそこにあるのは虚無ばかり。
男は、衛宮切嗣は、揺さぶったエミヤの体を一度止めてその顔を覗き見る。そしてそこにある虚無に絶望して咥え煙草をぽとりと砂塵に落とす。すぐにそれは、砂に飲み込まれてなくなってしまった。
「アーチャー!」
そんな切嗣に代わって青年、ランサーがエミヤの肩を掴む。そうして、その顔を見つめるけれどやはりそこにあるのは虚無。深い深い、気をつけて見なければ、自らも飲み込まれてしまいそうな虚無。
一体どうしてエミヤがそんなものに捕まったのかまったくもって二人わからなくて、ただただ愕然とするばかりの切嗣とランサーの耳にふと声が届いた。
「……して」
「!」
二人してその声に反応して耳を傾ける、それは漏れ出たエミヤのかすかな、かすかな声だった。
本当に気をつけて聞いていなければ聞き逃してしまうくらいの、かすかな、かすかな声だった。
「……どう、して……」
オレは、人を殺さないといけないんだろう。
不思議そうに、エミヤはそう言って。
再び、貝のように黙り込んだ。
しばらく待ってもエミヤが口を開く様子はない。切嗣はひとりつぶやくように、「……殺す、って、」と低い声で口にした。
「この子が人を殺す、って、どういうことなんだ」
「……そういう奴なんだ、こいつは」
「!」
ばっ、と切嗣が顔を上げる。睨み上げるように見上げられたのはランサーで、その顔には苦味が走っていた。口にすればすぐさま死に至るだけの、苦味だった。
ランサーは膝をついてエミヤと視線を合わせた体勢のまま立った姿勢の自分を睨み付けてくる切嗣を赤い瞳で見下ろし、苦々しい口調でささやく。
宣告。それはそう呼ばれるもの。とてもとても、残酷なもの。
「こいつはそういうものなんだ。そういう風に契約したんだ、……“アラヤ”と。だからこうなった。耐えられなかったんだ。こいつが思ってる以上にこいつの心は弱かった。耐え切れなかったんだ。人を殺すことに、アーチャー……エミヤの心は」
だからこうなった。
あらかじめ納得済みかのようにささやくランサーの声に切嗣はかっと激昂したような様子を見せて、エミヤの肩に乗せていた手を離すと素早く立ち上がり、ランサーの胸倉を掴み上げる。
「どうして!」
耳に痛い、心に痛い切嗣の声が砂塵に沈んでいく。
その声を赤い空は飲み込んで、反射して世界に跳ね返していく。地獄のような。
よくある表現だったけれど、それはそんな光景だった。
「どうしてこの子が、そんなことをしないとならなかったんだ!」
それなら僕が!
切嗣は叫ぶ。
「それなら僕が、代わりにこの世界に捕まった!」
聖杯の泥に呑まれた身。
だから、絶望にもよく馴染むだろうと。
叫ぶ切嗣にランサーは首を左右に振った。静かに。苛烈な彼にしては本当に、本当に静かに。
「こいつが」
望んだことだから。
ランサーは本当に静かにそう言って、だけど辛辣な視線を切嗣に向けた。
「あんたの呪いでだよ」
ゆっくりと、嫉妬する男のように口にする。
「あんたの呪いのせいでこいつは正義の味方なんて破滅の道に走ったんだよ、衛宮切嗣。わかるか? あんたの遺した呪いに縋るしかなかったこいつの気持ちが。こいつの気持ちが、あんたにわかるのか? 衛宮切嗣」
「き、みに、」
何がわかるんだと。
切嗣は言いたかったけれど、言えなかった。
ランサーの言うことが、おそらくは正論だったから。
切嗣が最期に遺していった救いは、同時にエミヤ、衛宮士郎にとっては呪いだったから。
それだから、こうなった。
「あんたのせいだよ」
ランサーは言う。彼こそ呪うように。衛宮切嗣を呪うように。
いや、きっと呪っている。責めている。おまえさえいなければと。おまえさえいなければオレのエミヤはこんなことにはならなかった。
たぶん会うこともなかっただろうけど、こんなことにはならなかった、と。
「あんたのせいだ」
切嗣は押し黙る。何も言い返すことは出来なくて。
砂塵がその沈黙すら飲み込んでいく。絶望も侘しさも全て。



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